アールデコ時代に活躍したフランスの画家、ルイ・イカ―ル(1888年~1950年)。
アールデコとは1910年~1930年代にパリを中心として栄えた装飾様式のこと指します。
アールデコと比較されるものとしてアールヌーヴォーがあります。
アールヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで流行した美術様式です。
植物や昆虫といった有機物をモチーフが多く自然な曲線や局面を用いた美術様式で、ジャポニズムも取り込んでヨーロッパを席巻しましたが、第一次世界大戦後はその装飾性の高さから大量生産に向かず、廃れてしまいます。
その後を引き継ぐように、アールデコが登場します。
アールデコはシンプルで合理的な幾何学模様をはじめとした、直線的、記号的な表現が特徴です。
大量生産と美術が組み合わさったアールデコという時代において、ルイ・イカールは多くの銅版画作品を残しました。
ルイ・イカ―ルは華やかな女性たちを繊細なタッチで表現します。そして第一次世界大戦を生き抜いた彼自身の戦争観を元にエッチング作品を多く生み出しました。
ルイ・イカ―ルの描く作品は、妖艶な魅力を放つ女性が多く、植物を添えて季節観表したり、動物と戯れる様を描いたり、女性の柔らかな体を煙草の煙で表現しておりました。
これは生涯「女性」をテーマにしたルイ・イカ―ルならではの特徴であり、現在も多くの人々を魅了していることは間違いないでしょう。
骨董品・古美術の作家一覧
田中 訥言
田中 訥言(たなか とつげん 1767年-1823年)江戸時代後期の絵師です。復古大和絵の祖として知られています。門下には幕末の大和絵師の宇喜多一蕙や尾張国出身の復古大和絵画家の渡辺清などがおります。訥言自身は尾張国名古屋の出身で、幼いころに日蓮宗の寺に入門、のちに比叡山延暦寺で天台宗を修めます。画は狩野派一派である石田幽汀に学び、石田幽汀の死後は土佐派の土佐光貞の門に入ります。土佐派の中で訥言の評価は高く、22歳の時には法橋位を得ています。訥言は有職故実に精通しており、当時の形式的な画風よりも大和絵の復刻を目指し古絵巻を熱心に模写、のちに復古大和絵の祖として知られるようになりました。眼病を患っており医療費のために画会を開いた考えられていて、視力を失った際に舌を噛んで命を絶ったといい伝えれています。現在確認されている作品は300点以上。著名な門人の作品には訥言に倣ったと思われるようなものが複数残っており、訥言の影響力の大きさを見ることができます。
トーマス・マックナイト
トーマス・マックナイトは、アメリカはカンザス州ローレンス生まれの画家です。
マックナイトはコネチカット州ミルドタウンのウィズリアン大学に通い、芸術を専攻したわずか5人の内のひとりでした。大学を卒業後はコロンビア大学で美術史を学び、1964年にタイム誌に仕事を得ます。8年間働きますが、66年から68年の3年間は朝鮮戦争にてアメリカ陸軍に従軍しています。
1972年にギリシャのミコノス島に避暑で向かった際に本格的に絵を描き始めます。マックナイトが人気を得るようになったのは1980年代の頃で、制作数を限定したセリグラフが人々の目に留まりました。1991年にアーバンリゾートフェア神戸93のイメージアーティストに選ばれ、1992年から1994年にかけて日本各地で個展や来日展が開催されました。
1994年にマックナイトは当時大統領のビル・クリントン大統領の公式カードをホワイトハウスから依頼され、そのうちの一つがランズエンドのカタログの表紙に採用された功績があります。
小原 治五右衛門
小原治五右衛門は「城端蒔絵」を代々継承している漆芸家です。
城端蒔絵(じょうはなまきえ)とは白色をはじめとする鮮明な中間色を表すことができるのが特徴としてあり、花鳥文様などをそのままの色調で表すことができる技法です。「加賀蒔絵」とは異なり、金銀を使用することを禁じられていた時代に漆の色彩で表すことは不可能と言われていた白色を表すことに成功した城端蒔絵は「治五右衛門の白漆」と呼ばれました。
以後、小原治五右衛門が一子相伝として技術を代々受け継いでいき、城端の人や文化、自然と共に作品を作りあげていきました。
ぼかしの技法、鮮明な中間色に加えて白の色鮮やかな色調を取り入れた作品は一般の蒔絵で作られる作品とは異なる独特な様式が特徴的であり、その技法を代々受け継いでいる小原治五右衛門は今後も多くの人々を魅了していくことは間違いないでしょう。
呉 昌碩
1844年9月12日~1927年11月29日 呉 昌碩(ごしょうせき)は、中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家、書画、篆刻家になり清の時代最後の文人といわれております。詩、書、画、篆刻ともに精通し「四絶」と称賛されており、中国近代でもっともすぐれた芸術家として評価が高い方になります。呉昌碩は、幼少の頃に父かた篆刻の技術を学び当時家庭が貧しくレンガに文字を彫っていたがその時から才能を発揮したと言われております。16歳までは安定した生活を送っており古文、篆刻を学んでいたが、太平天国の乱が発生し、戦火を逃れるために避難生活を送っていた。その際に弟と妹の兄妹達を亡くす悲劇を経験した。その後、呉昌碩は多数の方から書、篆隷篆刻の法、詩法等を学び同時に収蔵家として有名な方々の影響で鑑賞眼を高めております。結婚し、書や篆刻を売って生活をしていたが苦しい状況であった。50歳を過ぎた頃著名な芸術家の任伯年かた画を学び、この時期から上海の富裕層が呉昌碩の作品を購入するようになり、やがて書や篆刻が高値で売買されるようになった。
耀州窯
中国陜西省耀県銅川市に位置する中国古代の有名な窯場の中でも北方青磁を代表とする窯として有名なのは耀州窯でしょう。
青瓷のみならず白釉、黒釉、褐釉、醤釉、黄釉、唐三彩や花釉磁器も製作していたことから中国古代の北方の窯で製作された種類が最も多い窯であったとも言われております。
起源は唐の時代からであり五代に発展をして宋の時代には全盛期を迎えて、金・元代を経て明代中期に生産終了するまでの約800年も陶磁器を生産しておりました。
800年もの長い間、陶磁器を製作し続けてきた耀州窯ですが、原料は全て現地で調達されていたそうです。特徴としては、オリーブグリーンの青磁ではないでしょうか。作られた年代により色合いに変化が見られ、初期は器の表面近くが灰色で内部は黄色となっており、これは技術不足などにより窯の内部が不安定であったことが原因であると言われております。
次第に技術が発展していくことにより色味や濃い色に変化していきました。
文様にも特徴があり、時代により装飾技法が異なっており、最盛期であった北宋時代にはなんと200種類もの文様の数があったとのことです。
造形や文様に様々な種類があったからこそ、耀州窯は中国古代の名窯の一つとなりえたのでしょう。
西郷 孤月
西郷 孤月(さいごう こげつ 1873年-1912年)は明治時代に活躍した日本画家です。日本美術院の創設者のひとりでもあります。筑摩県筑摩郡松本深志町(現在の長野県松本市)に生まれる。1886年に小石川餌差町の私立知神学 …
南 桂子
南 桂子(みなみ けいこ 1911年2月12日-2004年12月1日)富山県射水郡出身の版画家です。詩的な作品が特徴的な画家です。南は生まれてすぐに母親を亡くしており、12歳の頃には父親が急死したために若くして親族によっ …
谷 文晁
谷 文晁(たに ぶんちょう 1763年10月15日-1841年1月6日)は、江戸時代後期の南画家です。文晁の祖父は民政家、父は漢詩人として名をしられていました。このような環境で育った文晁は文才を持ち合わせ、漢詩が「五山堂 …
青木 龍山
1926年8月18日~2008年4月23日 青木 龍山(あおき りゅうざん)は、日本の陶芸家になります。佐賀県西松郡有田町の佐賀県立有田工業学校を卒業後、神奈川県にある、縫製大学第二高等学校および法制大学女子高等学校の美 …
鈞窯
宋時代に繁栄し、人々を魅了した中国の五大名窯の一つが「鈞窯」です。 鈞窯はそれぞれ特徴のあった五大名窯の中でも釉薬の色に独創性があったことで知られております。 基本的な釉調は青みを帯びておりますが、釉薬の色に濃淡の差があ …
磁州窯
中国を代表する名窯の一つ、それは「磁州窯(じしゅうよう)」です。 中国河北省磁県を中心とする民窯で、起源は五代十国時代ではないかと言われており、その歴史は1000年以上にもなる窯です。 磁州窯でも特に評価が高いと言われて …
竹内 久一
1857年(安政4年)7月9日~1916年(大正5年)9月24日 竹内 久一(たけうち ひさかず)は、明治時代の彫刻家になります。最初は、多才であった父のはからいで、象牙彫刻家の堀内龍仙の弟子となります。もともと病弱な久 …
市橋 とし子
1907年8月21日~2000年10月26日 市橋とし子は、日本の人形作家になります。東京都千代田区神田の出身で、桐塑(とうそ)の人間国宝になります。桐塑とは、粘土の一種になり桐の粉末に正麩糊(しょうふのり)というのをま …
平田 郷陽
1903年(明治36年)11月25日~1981年(昭和56年)3月23日、平田 郷陽(ひらた ごうよう)は、日本の人形作家で重要無形文化保持者(人形師として初の人間国宝)になります。衣装人形の第一人者で、木目込みの技法を …
堀 柳女
1897年8月25日~1984年12月9日、堀 柳女(ほり りゅうじょ)は、日本の衣装人形作家で、東京都港区出身です。本名は、山田松枝。自然を取り入れた「柳女人形」で知られており、人間国宝となります。日本伝統工芸会鑑査・ …
隅谷 正峯
隅谷 正峰(すみたに まさみね1921年1月24日‐1998年12月12日)日本の日本刀匠です。日本美術刀剣保存協会元理事であり全日本刀匠会元理事長でもある。石川県松任市(現在は白山市)出身。立命館大学理工学部機械工学科 …
西出 大三
西出大三(にしで だいぞう) 1913年6月7日~1995年7月8日(享年82歳)は日本の截金師です。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。 石川県にて生まれ、東京美術 …
川北 良造
川北良造は、人間国宝にも認定されている石川県の木工芸家です。 1934年に石川県山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家だった父の技術を学んだ他、人間国宝の氷見晃堂にも師事しその技術を磨きます。挽物と呼ばれる木材をろくろで削 …
奥田 元宗
奥田元宗は 1912(明治45)年、広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町)に生まれます。小学校4年生の頃から、図画教師であった山田幾郎教諭の影響で絵を描き始める。1930(昭和5)年に上京し、同郷の日本画家・児玉希望 …
尾形 月耕
尾形月耕は、1859年9月に江戸京橋で生まれた浮世絵師・日本画家です。 絵を描き始めたのは父の勧めによるもので、1881年頃には新聞や雑誌の挿絵を手がけるようになり、人気を博しました。当時、日本の出版業界が勃興していたこ …
平福 百穂
平福百穂は日本画家、歌人で画家平福穂庵(順蔵)の四男として、秋田県仙北市に生まれました。本名は貞蔵。幼い時から秋田市の豪商である那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年から父から絵を学びはじめる。 …
高田 博厚
高田博厚(たかたひろあつ)は、明治33年(1900年)8月19日、矢田郷村(現石川県七尾市岩屋町)に生まれました。晩年、七尾の知人の中に宛てた手紙の中で高田は、七尾湾の夕空に浮かぶ雲が大変美しかったと回想しているそうです …
三代 山田 常山
三代山田常山は「常滑焼(急須)」で重要無形文化財に認定された人物です。 常滑(とこなめ)の時代は古く、日本六古窯の中でも最も古い歴史を持つとされており、その始まりは奈良、平安時代を代表する遠投の影響を受けて、十二世紀初頭 …
岩倉 寿
岩倉寿は香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身の日本画家です。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了します。京都市立芸術大学名誉教授です。京都市立美術大学 …






