河合 誓徳

河合 誓徳(かわい せいとく)は日本の陶芸家であり日本芸術院会員でした。大分県に生まれ、旧制宇佐中学校を卒業。1951年京都陶芸家倶楽部に加入し、6代清水六兵衛に師事されました。1962年日展特選北斗賞を受賞=「蒼」、1968年日展菊華賞を「宴」で受賞しました。1971年日本現代工芸美術十周年記念展で現代美術会員賞を「円像」で受賞するなど数々の賞を受賞した方になります。その後日本新工芸家連盟会長、2005年日本芸術会員、2007年日展常務理事、2008年日顧問を務めました。2010年、肺炎のため82歳で死去されました。

斎藤 清

斎藤清は1907年生まれ、福島県河沼郡坂下町出身の版画家です。

生まれは会津ですが、4歳の時に北海道の夕張に移住しています。幼いころからイラストを描くのが好きで、24歳で上京してからも広告業をしつつ、独学で油絵を描いていました。
29歳の時、安井曽太郎の木版画『正月娘姿』に感銘を受け、独学で木版画制作を行うようになりました。そうしてできた
初めての木版画を同年の日本版画協会展に出品すると、見事入選を果たします。以後、木版画制作へ傾倒するようになりました。

 日本の伝統表現に西洋の近代造形を取り入れた木版画技法は、海外でも評価されることとなります。モチーフを世界各地に広げ、独特の構図で表現された木版画を制作する中で、世界中に多くのファンを作ることとなりました。
海外での高い評価を起因として、日本国内でも斉藤清の評価が高まりました。現在でもその唯一無二な作風は、多くの人を虜にしています。

宮之原 謙

宮之原 謙(みやのはら けん)明治31年(1898年)2月9日~昭和52年(1977年)8月23まで活躍された陶芸家になります。鹿児島県出生の方で1924年(大正13年)頃に川端画学校へ通い、山之内高門に日本画、宮川香山に陶芸を学びました。また、板谷波山にも師事し、1972年(昭和2年)「東陶会」創立に参加し、1929年(昭和4年)第10回帝展に「鉄砂釉竹又陶製花器」で入選。岡倉由三郎にインド哲学を学びます。1931年(昭和6年)「銀河」、翌年の第13回には釉薬象嵌「十字文花瓶」で連続して特選を受賞し、1933年(昭和8年)帝展無鑑査となった。また、佐々木象堂とともに「新潟陶苑」を創設し越路焼の指導を行った人物になります。

沈 南蘋 (沈銓)

緻密に写生された色鮮やかな動植物。中国、清代の画家・沈 南蘋によってもたらされた新たな画風は、当時硬直していた日本絵画界に新しい風をもたらします。

南蘋は絹織物商の子として生まれますが、絵に興味を持ち画家・胡 湄に入門。独り立ちした後は清朝の宮廷画家として仕えました。
1731年、徳川幕府8代将軍の吉宗に招かれて来日し、約2年ほど長崎に滞在します。通訳を務めた熊代熊斐が日本人唯一の弟子となり、以後熊斐の弟子らによって日本における南蘋派が発展しました。

その後の南蘋の行方について詳細は分かりませんが、1760年頃までは存命であったと考えられています。また、徳川吉宗は南蘋の彩色画を好み、帰国後も清から取り寄せていたようです。
南蘋の画風は、長らく狩野派中心で変化のなかった日本の画家にも大きな影響を与えました。丸山応挙・伊藤若冲・渡辺崋山など、後に有名となる画家もこの影響を受けています。

 

【南蘋派】

熊代熊斐とその弟子たちによって作られた画派で、南蘋の技法を受け継いだ写実的で色鮮やかな花鳥画が特徴となっています。
代表的な画家として森蘭斎・鶴亭・宋紫石・建部綾足・伊勢長島藩主 増山雪斎などがあげられます。
一時はかなりの流行をみせましたが、円山応挙の円山派に押されやがて衰退しました。

 

 

亀井 南冥

亀井南冥(字 道載)は江戸時代、九州で活躍した儒学者です。また現在国宝に指定されている志賀島の金印研究の第一人者でもありました。

南冥は1743年に九州・筑前国に生まれました。医者であった父の影響をうけ幼い頃より学問に触れて育ち、京都に出て儒学や医学を学びます。
九州に戻った後は町医者を開業する一方、自らの私塾も開き多くの弟子を育てました。

1784年、志賀島で金印が発見されると南冥はこれを研究し、「後漢書 東夷伝」の記述を発見・発表します。この研究は南冥の名声を高めるものとなりました。

しかし、1790年寛政の改革の一環として幕府は朱子学以外の学問を禁じる決定を下します。この影響は全国に波及し南冥の属する学問所も廃止されます。晩年は息子の開いた私塾にて指導にあたりましたが、1814年自宅の火災で亡くなりました。

龍泉窯

龍泉窯(りゅうせんよう)とは、中国浙江省の西南部に存在した名窯の一つ。

五代・北宋期にの流れを受け継いで青磁を製作していた窯元で、質の高い青磁を生み出し、中国国内のみならず、海外輸出も盛んにしていた。
日本にも鎌倉時代に多くの青磁作品が輸出されたと言われている。

宋時代~元時代に最盛期を迎えた龍泉窯は、明時代以降、景徳鎮窯へ人気や需要がシフトしていったことにより、徐々に衰退することになった。

龍泉窯の青磁は、その美しさから中国美術品の中でも高い人気を誇る名窯の一つです。
緑和堂では、龍泉窯をはじめとした中国陶磁器作品を強化買取中です。
ご売却をご検討中のお品物などありましたら、是非お気軽にご相談くださいませ。

三輪 休雪

三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。 三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続い …

高畠 華宵

高畠華宵は愛媛県宇和島市裡町に生まれの日本画家です。雑誌や新聞の挿絵・広告絵などを描いて、人気画家として一世を風靡しました。大正から昭和初期にかけて、華宵の絵は当時の少年少女の間で絶大な人気を得ました。津村順天堂のポスタ …

平野 千里

日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた 彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」が父になります。 平野千里は20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国しました。 …

上村 松篁

上村松篁は日本画の巨匠である上村松園を母に持ち、上村松篁も花鳥画の最高峰と言われた作家です。 京都に生まれた上村松篁は、幼いころより母・上村松園が絵を描いていたことも影響して自然と画家を志すようになります。しかし、松園は …

ルネ・ラリック

ルネ・ラリックは、フランスで活躍したガラス工芸作家です。 1860年、フランスはシャンパーニュ地方のマルヌ県アイ村に誕生し、パリで育ちました。1876年にパリの装飾美術学校に入学します。夜は学校で学びながら、宝飾工芸家の …

川瀬 忍

川瀬 忍は、中国陶磁に倣った名工・川瀬竹春(初代および2代目)に師事し、 18歳から陶芸の道に入った川瀬は、青磁を発表するようになるとすぐにその質の高さで注目された。細部まで隙のないシャープなかたち、静謐で深い青の釉調と …

清水 六兵衛

 清水 六兵衛(しみず ろくべい)は、江戸時代中期以来の清水焼の陶工です。 京都五条坂の陶芸の家系であり、当代・清水六兵衛は八代目となります。 初代 (1738~1799) は京都五条坂の窯元・海老屋清兵衛に学んだあと、 …

鈴木 盛久

江戸時代初期の1625年、南部藩(盛岡藩)御用鋳物師として創始し、現在までその技術を脈々と受け継ぐ鈴木盛久工房。長年守り続けた伝統技能は、現在非常に高い評価を受けています。 御用鋳物師を勤めていた頃は仏具や梵鐘、燈籠の鋳 …

川端 康成

『国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた』 川端康成の小説「雪国」冒頭のこの文は今でも非常に高い知名度を誇ります。 川端は1899年、大阪の医師のもとに生まれます。幼いうちに両親を失い祖父母の元で育てられ、小学生時代は …

松井 康成

「練上手」にて1993年に国の重要無形文化財に認定された陶芸家として有名な人物は松井康成でしょう。 「練上手」とは異なる色の粘土を練り合わせてその収縮にて模様を表す技法です。色が違うといっても土は同一で顔料にて色を変えて …

池田 満寿夫

池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。 1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ …

中川 浄益

中川浄益(1559~2008年)は、金物、金工品を得意とした千家十職(金物師)の一人です。 初代である紹益は、当初、武具や鎧などの製作をしていたが、千利休の依頼をきっかけに茶道具製品の製作を開始したと言われております。 …

竹影堂 榮眞(栄真)

竹影堂 榮眞(ちくえいどう えいしん)とは、寛政時代から約200年以上の歴史を持つ、京錺(きょうかざり)、金工品を製作する京都を代表する有名工房です。 栄真(榮眞)という屋号は、竹影堂の四代目竹次郎の時に、当時の有栖川宮 …

原田 拾六

備前焼にて人間国宝に認定されていないものの、近年、人気が高まってきている原田拾六という陶芸家をご存知でしょうか。 岡山県の備前市に生まれた原田拾六は東京農業大学を卒業してから普通の会社員として働いておりました。 ですが、 …

中村 翠嵐

中村翠嵐(なかむら すいらん)は、京都出身の陶芸家です。 色鮮やかなコーチ(交趾)において、絵具の改良により 独自の色を創出しました。また、従来にはない 極細の文様の作品を得意としております。 茶席での取り合わせによって …

佐々木 二六

三代目佐々木二六は1917年に愛媛県に生まれました。 1932年旧制三島中学校卒業後は、初代・二代のもとで陶磁器製造に従事し、1940年三代目佐々木二六を襲名しました。 二六焼の命名は、祖先で楽焼を製作した人から二代目に …

金谷 浄雲

金谷浄雲は、1933年富山県に生まれました。   鋳造家で、宮内庁からの依頼を受けて正倉院供物の複製を制作している釡師の般若勘渓(はんにゃかんけい)に師事します。   弟子入りした般若鋳造所において、唐銅風炉を主とする茶 …

鎌田 幸二

陶芸家 鎌田幸二は、1948年京都に生まれました。 高等学校卒業後は、作陶を志し、五条坂共同登釜で清水正氏の指導を受けます。 京都府立陶工職業訓練校専攻科修了後は、指導員として働きながら共同登窯『鐘鋳窯(しょうじゅ)』に …