乃木 希典は明治を代表する陸軍軍人です。
武士道的な忠誠・献身の象徴的存在として広く知られ、「軍神」と称されました。
また、漢詩や和歌を多く残すなど、文学的な側面も併せ持っていました。
1877年の西南戦争では薩摩藩士による反乱鎮圧の任務にあたりますが、連隊旗を敵に奪われるという失態を経験。乃木はこの事件を生涯の恥とし、のちの徹底した忠誠心や自己犠牲的な行動に影響を与えたとされています。
また、1896年からは日本統治時代の台湾で総督を務め、治安維持やインフラ整備を進めました。
しかし、官僚との対立などもあり、短期間で退任しています。
1904年からの日露戦争では、第3軍司令官として「旅順要塞攻囲戦」を指揮。第3軍は3度の総攻撃と白襷隊の突撃を敢行し、最終的に旅順を陥落させますが、代償として多くの死傷者を出しました。
戦後は学習院院長に就任し、皇族・華族の教育に尽力しました。
1912年に明治天皇が崩御すると、葬儀の日に妻とともに殉死し、日本中に衝撃を与えました。
近代では、軍神としての称賛とともに、犠牲を多く出した愚将としての批判もあり、評価は二分されています。






