濱田 観

濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。
大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学校で研鑽を積み、帝展への入選を果たしました。
晩年も精力的に制作を続け、代表的な花鳥画や鯉をモチーフにした作品を次々と発表。柔らかで幽玄な筆致と淡い色彩が特徴です。

代表作には、日展で特選を受賞した「芥子」や「蓮池」、文部大臣賞を受けた「朝」、日本芸術院賞の「彩池」などがあります。これらの作品はいずれも、静謐で幽玄な自然の風景を描き、彼の画風の魅力をよく伝えています。

東皐 心越

東皐 心越は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧です。

心越は、1639年に中国浙江省で生まれました。
幼い頃より仏門に入り、1676年に清による圧政から逃れるため、日本へ亡命しました。

長崎に移住し、日本各地を訪れていた彼は、清のスパイと疑われ幽閉されました。
しかし、半年ほど経った頃に水戸藩の「徳川光圀」の尽力により釈放されます。
その後は水戸に移り、中国の文化を伝えるとともに光圀との親交を深めました。

心越と光圀に関するこんな逸話も残されています。

『ある日光圀は、心越の力量を試すため茶室に呼んだ。
心越がお茶を口にしようとした瞬間、準備しておいた鉄砲を家来に一発放たせた。
しかし、心越は落ち着いて一滴もこぼさず飲み干した。

光圀が「失礼した」と詫びると、「鉄砲は武門の常、ご配慮無用」と答え、安心した光圀はお茶を飲もうとした。
その時、心越は「喝」と大声で一喝。光圀の手は思わず震え、茶碗を落としてしまうが、心越は「喝は禅家の常でございます」と言った。』

と、このように心越を試そうとしたのにかえって自分が試されてしまったのです。

彼は、詩文書画篆刻などに優れており、中国の様々な文化を日本に伝え、日本の発展に貢献しました。
また、日本における琴楽の中興の祖とされています。

山本 梅逸

山本 梅逸は、花鳥図を得意とした文人画家で「尾張南画の巨匠」と称されています。

1783年、梅逸は名古屋に生まれました。
幼い頃から絵が好きだった彼は、12歳で見事な襖絵を描きあげ周囲を驚かせたという逸話があります。
父親を早くに亡くしましたが、教育熱心だった母親から和歌を教わりました。

はじめは狩野派山本蘭亭に絵を学びました。
蘭亭は彼の絵の才能を見抜き、次に四条派張月樵の下で学ばせました。
その後、中国絵画コレクターだった富豪「神谷天遊」のもとで修行をしました。

1802年に天遊が亡くなると、兄弟子の中林竹洞と共に京都へ赴きました。
一度は名古屋に戻りましたが、1832年に再び京都へ出ると人気が高まり、南画家としての地位を確立しました。

彼は巧みな筆使いで、柔らかな花や自然の立体感、生物の動きを表現しました。
花鳥図を得意としていましたが、笛や煎茶道にも造詣が深かったといいます。

彼の作品には『文豹図』『墨梅図』『四季花鳥図』などがあります。

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。

惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。

周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされています。

はじめは東福寺(京都府)に住んでいましたが、雪舟の死後は「雲谷庵(山口県)」を継いで、二代目庵主になったとされています。

周徳は、仏画や花鳥画などを題材とした幅広い作品を手掛けました。

墨の滲みやぼかし、濃淡を巧みに使い、立体感や自然の空気感を表現しています。

静かな美しさを感じさせるような、落ち着いた構図も魅力的です。

代表作には『山水図』『紙本墨画布袋図』などがあります。

董 寿平

董寿平は、中国の著名な画家・書家です。

 

山西省出身で、生家には膨大な絵画や書画のコレクションがありました。そんな周囲の影響を受け、画家・書道家としての基礎を築き上げました。

1926年に北京の東方大学を卒業したのち、北京に定住して書道や絵画を研究しました。主に松、竹、梅、蘭、山水を描き、特に安徽省の仙境・黄山を好んで描きました。
後年は日本とも深い関係を持ち、幾度も来日して個展を開催しております。ですので、中国作家の中でも比較的高い認知を得ております。

 

作風としては、紅梅図をはじめとした花鳥画や山水画を多く描きます。董寿平の持つ広い絵画技法の知見、風景への深い洞察は豊かで荘厳な自然の美を描き出します。
また書法にも優れ、古朴で洒脱、力強く流麗な筆致が特徴です

 

現在でも多くの美術館や個人コレクターによって所蔵されており、その芸術的価値は高く評価されています。

王 成喜

王成喜は、中国河南省出身の画家です。

1940年に生まれ、1966年に中央美術工芸学院を卒業します。中国花鳥画の巨匠・董寿平に師事し、伝統的な中国画の技法を基に、繊細で色彩鮮やかなスタイルを確立しました。

 

王成喜の作品の中では特に「紅梅」の絵が有名であり、その他にも白梅や果物のモチーフを描くことが多いです。作品は人民大会堂や日本国会にも展示され、国内外で広く評価されています。

 

現在も国家一級美術師の画家として活躍しており、中国や日本に留まらずヨーロッパやアメリカでも高い評価を受けております。

山本 紅雲

山本紅雲は、兵庫県伊丹市出身の日本画家です。   京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で学び、日本画の大家である竹内栖鳳に師事しました。その作品は、繊細な筆使いと豊かな色彩表現で高く評価されています。 …

渡辺 省亭

渡辺省亭(せいてい)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家で、特に花鳥画で名を馳せました。     16歳のときに歴史画家の菊池容斎に師事し、写生を重視した絵画技術を磨き上げました。1878年のパリ万博では、工芸品 …

張世簡

張世簡は、中国の花鳥画作家です。 1926年に「画家の故郷」として知られる浙江省浦江県禮張村に生まれました。 叔父には花鳥画家である張振鐸(1908-1989)、従兄には同じく花鳥画家として活躍し、巨匠として知られる張書 …

木島 櫻谷

木島櫻谷は、1877年生まれの四条派の日本画家です。 京都に生まれ京都で育ち、幼少より周囲の影響で日本画をはじめとした文化の造詣を深めました。青年になると京都画壇を代表する作家・今尾景年に師事し、以降四条派の伝統を汲んだ …

竹山 博

竹山博は、東京出身の日本画家です。 1923年に生まれ、これまでに多くの作品を残されております。 1940年、東京美術学校(現:東京藝術大学)の日本画科予科に入学します。日本は当時太平洋戦争のただ中であり、竹山は43年の …

三輪 晁勢

三輪晁勢は、新潟県出身の日本画家です。 1901年に生まれ、昭和期に多くの優れた作品を残されました。 父の影響から、晁勢は小学校を卒業した後より絵を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校を卒業したあと、京都市立絵画 …

渡辺 小崋

渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。 小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿 …

許麟盧

許麟盧は、中国の絵画・書画作家です。 1916年に中国は山東省蓬莱市で生まれ、幼いころから絵画や書画に触れて成長していきました。1939年からは書家・絵画家の溥心畲に師事し、技術と心得を学びました。溥心畲は朱子学をはじめ …

竹田 益州

 竹田 益州は昭和を代表する臨済宗の僧侶です。法諱は宗進、道号は益川、室号は金剛窟です。   1896年大分で生まれ、尋常小学校3年の時近くの施恩寺という禅寺に5、6日滞在したことが縁となり、1906年に滋賀県大津市堅田 …

金島 桂華

 金島桂華は広島県出身の日本画家です。 14歳の時に大阪に出て、西家桂州や平井直水といった画家のもとで日本画を学びました。 19歳で京都に移り、竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入門します。1918年の第12回文展で初入選すると …

前田 青邨

前田青邨(まえだせいそん)は、岐阜県出身の日本画家です。 歴史画の名手であり、また近代日本画家・平山郁夫の師匠としても知られております。 日本の伝統的な大和絵を学び、ヨーロッパ留学で西洋絵画、とくに中世イタリア絵画の影響 …

酒井 抱一

「酒井抱一」は江戸琳派を代表する絵師で俳人の一人です。尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風と俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻弄したことでとても人気となり、江戸時代琳派の祖となった人物です。 酒井抱一は、1761年、姫路藩 …

伊藤 若冲

伊藤 若冲は「動植綵絵」で現代になってから人気が爆発したとてもめずらしい絵師です。 江戸時代中期に京都の青物問屋「桝源」の長男として生まれ、その時は8代将軍徳川吉宗の財政改革(享保の改革)により幕府の財政を立て直し、町衆 …

竹内 栖鳳

竹内栖鳳は、横山大観と並び近代日本画の大家として、非常に有名な人物です。 1864年、京都二条城にほど近い料理屋の長男として生まれました。1877年に四条派絵師の元で絵を学ぶようになり、1881年には川合玉堂や上村松園の …