バーナード・リーチはイギリス出身の芸術家です。
画家、陶芸家の他にデザイナーとしても知られています。
リーチは官僚であった父の影響で香港で産声をあげました。
幼少期を日本で過ごした事で日本に憧れを抱きます。その後ロンドン美術学校で高村光太郎と出会い、高村光雲を頼り来日。高村光雲の協力等を得て日本でエッチング教室を開きます。その生活の中で富本憲吉や柳宗悦、白樺創刊のメンバーと出会い交流を深めていきました。
一時期日本を離れ、香港等に滞在していたリーチでしたが、そういった縁もあり柳宗悦の民藝運動や日本民藝館の設立等に関わりました。
日本から帰国したリーチは英国イングランドのコーンウォールのセント・アイブスに新たに窯を開きます。東洋の文化と西洋の文化の融合を目指した新たな挑戦でした。
そういった活躍からリーチは英国ではスタジオ・ポタリーの父と言われています。
人気小説家の原田マハさんがリーチを題材とした小説を書くなど、国内でも人気の高い芸術家であります。