清瀬 一光

加賀蒔絵を代表する作家の一人が「清瀬一光」さんです。

加賀蒔絵とはその名の通り江戸時代に加賀藩で作られた蒔絵技法の事を言います。
加賀藩の三代目藩主であった前田利常は文武の一環の一つとして京都から「五十嵐道甫」江戸から「清水九兵衛」が招かれ現在の加賀蒔絵の礎が作られました。
「清瀬一光」は当代で二代目となり初代の長男の方が二代目「清瀬一光」を襲名されています。

二代目「清瀬一光」さんは「加賀蒔絵」の伝統を守りながらも様々な新しいことに挑戦されています。
今まで一般的に蒔絵というと木製の漆器に施されることが多かったですが、二代目清瀬一光さんは他の素材にも蒔絵を施すことに挑戦しました。
ガラスやべっ甲、象牙などです。
この挑戦が「加賀蒔絵」の技術を向上させ、更に見事な作品を作り上げる事へつながりました。
今までに無い新たな試みに挑戦したことにより「加賀蒔絵」の可能性がまた一つ広がりました。

平成7年に二代目「清瀬一光」さんは通産大臣認定伝統工芸士となり現在は「金沢漆器」「加賀蒔絵」の魅力、文化を広く世界へ広めると共に次の世代へ向けて後進の育成に尽力されているとの事です。

音丸 耕堂

人間国宝(重要無形文化財保持者)の漆芸家である音丸耕堂(おとまる こうどう)は、香川県高松市に生まれます。驚くことに小学校を卒業後、13歳で讃岐彫りを専門とする石井磬堂(いしい  けいどう)に弟子入りし、4年間讃岐彫りを学びます。その後、16歳で独立したのちに20歳のとき香川漆器の玉楮象谷(たまかじ しょうこく)の作風にひかれて私淑して彫漆を独学し、「堆朱」・「堆黒」・「紅花緑葉」など古来の色漆を用いた彫漆を行いました。昭和7年(1932)第13回帝展に「彫漆双蟹手箱」で初入選して以後は、官展を中心に出品し、昭和12年(1937)上京してからというもの、色漆の色彩の幅を広げ、新色を用いる試みを行いました。昭和30年(1955)重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されます。日本工芸会の創立にも参加し、日本伝統工芸展にも出品を続けました。色漆に金銀粉を混入して塗り、漆の固まる間に金銀が沈澱して層をつくるのをいかし、文様があらわれるように研ぎ出す技法や、彫り口の傾斜の角度により、重ねた色漆の層の断面を加減して微妙な文様をあらわす技法など、彫漆による多様な表現の可能性を引きだしました。

小島 雄四郎

小島雄四郎は、国の重要無形文化財「木工芸」保持者、黒田 辰秋(くろだ たつあき)氏に師事します。黒田辰秋は、現代漆工芸の第一人者として活躍した名工になります。修業中は、師と共に飛騨高山にて皇居新宮殿の調度品を作成しました。師の黒田辰秋に感化を受けた螺鈿細工は、伝統の味わいを湛えながらも、 現代的感覚を持った小島雄四郎ならではの作域へと変貌をとげています。旺盛な制作活動を続ける小島雄四郎さんは、阪急梅田本店 美術画廊での個展を2015年までに19回も行っています。日々の暮らしの中で使える螺鈿細工の神秘的な貝の輝きを暮らしのいろどりにできるよう作品を制作されています。

赤塚 自得

赤塚自得は、東京で代々漆芸を家業とする家系に生まれました。狩野久信と寺崎広業について日本画を学び、更に洋画を白馬会洋画研究会で学びました。

蒔絵を父から学び、明治40年(1907)に東京勧業博覧会の審査官に就任して以来、多くの審査委員を務めました。

昭和2年(1927年)第8回帝展から工芸部門が新設されると、こちらにも出品を重ね、帝国美術院会員、帝展審査員にも就任しました。

昭和5年(1930)、帝国美術院会員となり、蒔絵を専門として近代漆器工芸に伝統を踏まえながらも自らの創意で自然を描き、漆芸の近代化を進め重厚な作風は現代漆工芸作品にも大きな影響を与えています。

 

 

赤地 友哉

赤地友哉は、石川県金沢市出身の「髹漆」(きゅうしつ)の人間国宝となっている漆器芸家です。髹漆とは、器物に漆を塗ること。また、漆を塗った器物を表します。本名は赤字外次と言い、1906年に檜物師赤地多三郎の三男として生まれました。

上京し、塗師の新保幸次郎に師事して髹漆の修行を始めました。また茶道を遠州流家元の小堀宗明に学び、友哉というようになりました。5年後に独立し、京橋や日本橋で茶器などの製作をします。

1974年(昭和49年)に重要無形文化財「髹漆」に認定されました。紫綬褒章、勲4等旭日賞を受賞。

 

前 史雄

前史雄さんは沈金の技術で人間国宝(重要無形文化財)に認定された漆芸家です。
沈金とは、輪島塗の加飾技法のひとつで、漆器にノミなどの刃物で模様や絵を彫り込み、そこに金箔や金粉を刷り込んだり貼ったりする技法で、沈金の彫り方には、線、点、こすり、片切り彫り、という4種類の技法があります。
前史雄さんはこのほかに「角のみ」という技法を新たに考案した人物です。
前史雄さんが考案した「角のみ」という技法は沈金ノミで少しづつ削っていく技法です。
前史雄さんの作品は奥深い絵画的表現と自らで編み出した鑿による彫跡が特徴であり、それらを見事に融和させた作品は見目麗しく沢山の人を魅了します。
前史雄さんはそのような作品を数多く世の中に生み出しております。

前史雄さんは1940年に「前大峰」氏の元に生まれます。
金沢美術工芸大学を卒業後には、故郷の中学、高校で美術教師を務めるつつも「前大峰」氏に輪島塗の沈金技法を学びました。1968年に日本伝統工芸展に初入賞した後には、1973年に文部大臣賞と受賞し、1989年より石川県輪島漆芸技術研修所次長に就任。
1999年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。

角 偉三郎

角偉三郎は1940年生まれの漆工芸作家です。 父親は輪島塗の下地職人で母親は蒔絵職人という、漆塗一家に生まれました。 1955年に沈金の名人である「橋本哲四郎」に弟子入りし技術を学び、20代前半に「橋本哲四郎」から学んだ …

川之邊 一朝

「川之邊一朝」は幕末から明治時代の幸阿弥派の伝統的な蒔絵を伝承した蒔絵師です。 「川之邊一朝」の代表作品として11年もの歳月を費やして完成させた超大作「菊蒔絵螺旋御用棚」があります。 「川之邊一朝」は幼児期より書籍を好み …

神坂 雪佳

神坂雪佳は、絵師としてだけでなく、優れた工芸品デザイナーとしても明治から昭和にかけて活躍し、京都の地で琳派の復興に大きく貢献するなど、多くの功績を残しました。また、その典雅な作風によって海外でも非常に高い評価を受けている …

初代 村瀬 治兵衛

現在三代目まで続いている村瀬治兵衛、その初代は名古屋の木地師の家に生まれました。木地職人としての技量は非常に高く、削り落とした木が透けて見えるほどに薄い極薄挽きを得意としています。 しかし、初代治兵衛は木地師の技量だけで …

音丸 淳

音丸淳は香川県出身の漆工芸家です。父は人間国宝、音丸耕堂で、幼い頃よりその技術を学んでいました。1951年の日展で初入選を果たし、その後も4回入選しています。東京美術学校工芸科を卒業後は、イタリアへ留学し、ブレラ美術大学 …