石ノ森章太郎

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石ノ森章太郎は、漫画家として活躍し特撮ドラマの原作者です。代表作は『仮面ライダー』や『サイボーグ009』であり、日本に住んでいましたらご存じの方も多いかと思います。

代表作のSF漫画だけでなく、ギャグ漫画など幅広い作品を描いておりました。昭和30年以降様々な漫画手法を開発し、鉄腕アトムなどで有名な「手塚治虫」と並びSF漫画に大きな影響を与えた人物の一人と言われております。
漫画を描く技術の高さから「漫画の王様」や「漫画の帝王」などと呼ばれていました。1998年に亡くなるまで数多くの作品を世に残し、最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されました。

仮面ライダーシリーズの原作者でもある為、テレビの原作者としてクレジットされた期間はサザエさんの原作者である「長谷川町子」を超え国内では最高記録で現在も記録を伸ばしています。

前川 強

前川 強(まえかわ つよし)は、前衛芸術グループである『具体美術協会』に属する日本を代表する抽象画家、美術家の一人である。
1959年より具体美術協会の創設者である吉原治良に師事。
織りの粗い麻布(ドンゴロス)で『ひだ』を形成し、着色するというユニークな手法で絵画の制作をした。この作品が吉原治良に高く評価をされ、第8回の具体美術展に出展、1963年には具体芸術協会に入会をする事となった。
その後、前川 強は、具体美術の代表作家として、松谷武判・向井修二と共に名前のイニシャルから「3M」と呼ばれ、1966年には、グタイピナコテカにて「3M」による3人展を開催をした。
1972年には師である吉原の死去をきっかけに『具体美術協会』が解散されるが、前川は、ミシンで細かく縫った布(リネン)による技法で絵画の制作をし、1982年には「現代日本絵画展」大賞を受賞、その後も国内で多くの賞を受賞し、偉大な功績を残した。

トーマス・マックナイト

トーマス・マックナイトは、アメリカはカンザス州ローレンス生まれの画家です。

マックナイトはコネチカット州ミルドタウンのウィズリアン大学に通い、芸術を専攻したわずか5人の内のひとりでした。大学を卒業後はコロンビア大学で美術史を学び、1964年にタイム誌に仕事を得ます。8年間働きますが、66年から68年の3年間は朝鮮戦争にてアメリカ陸軍に従軍しています。

1972年にギリシャのミコノス島に避暑で向かった際に本格的に絵を描き始めます。マックナイトが人気を得るようになったのは1980年代の頃で、制作数を限定したセリグラフが人々の目に留まりました。1991年にアーバンリゾートフェア神戸93のイメージアーティストに選ばれ、1992年から1994年にかけて日本各地で個展や来日展が開催されました。

1994年にマックナイトは当時大統領のビル・クリントン大統領の公式カードをホワイトハウスから依頼され、そのうちの一つがランズエンドのカタログの表紙に採用された功績があります。

中村 元風

中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテーマを据え、アートとサイエンスの両面で追及し続けている。また、自身の研修開発により生み出した独自素材を用いて作品制作を行っております。当初祖父の中村翠垣(県指定無形文化財、日展参与)に師事してたが、祖父亡き後は、3代徳田八十吉に師事しておりました。

 

天野 喜孝

天野善孝は静岡県静岡市出身の現代アート作家・イラストレーターです。

1967年にタツノコプロに入社し、「タイムボカン」シリーズのキャラクターデザインを手がけました。担当したキャラクターを上げればキリはありませんが、代表となるところでは「ガッチャマン」「ヤッターマン」「みなしごハッチ」など多くの有名作品を手掛けていました。

1982年にタツノコプロからフリーランスとなりSFやファンタジー系のイラストを手掛けることが多くなります。独立後初期の作品は夢枕獏の「キマイラ」や菊池秀行の「吸血鬼ハンターD」などが挙げられます。

1987年にはスクウェア(現スクウェア・エニックス)に参加し「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインを手がけたことでさらに注目を集めました。ファイナルファンタジーシリーズにはⅥまではメインで関わってきましたが、それ以降は役職を辞任し、原案やイメージイラストといった形の関わり方となっています。

タイムボカンシリーズのようなコミカルな画風から、ファイナルファンタジーシリーズのようなSF要素のある幻想的な画風も手掛け、両方の面で大きな人気を集めています。
ゲームやアニメの人気と共に、日本だけでなく海外でも高い支持を受けており、ニューヨークやパリ・ロンドンなどでも個展を開き、成功を収めております。

岩田 久利

日本におけるガラス工芸の先駆者である岩田藤七、その長男として自身も父と同じ道を進むことなったのがガラス工芸家、岩田久利です。

久利は1925年、東京美術学校を卒業してまだ間もない藤七の子として生まれました。父と同じく東京美術学校に進み、工芸部図案科で学びました。在学中に日展で初入選を果たし、以後も出品を続け、第11・12回の日展で2年連続特選という快挙を成し遂げています。その後は日展審査員をつとめる一方、日本ガラス工芸会を設立、ガラス工芸の振興にも尽力しました。
1976年の第8回改組日展にて文部大臣賞、1982年日本芸術院賞を受賞するなどの実績を重ね、1979年には紺綬褒章も受章しています。

若き頃より様々な分野の文化に触れ、独自の世界を作り上げた久利の作品は、緻密な技法を使いこなし、不透明な色ガラスを大胆に用いるなど日本のガラス工芸に新たな風を起こしました。

千住 博

千住博といえば、1995年にイタリアのヴェネチア・ビエンナーレ優秀賞を獲得した「ウォーターフォール」といった、滝や崖などの自然物を題材にした作品が多い画家です。作品を見ると千住博らしさを感じる独創的な作画なのですが、その …

元永 定正

自然現象を用いた抽象作品を得意とした画家・元永定正。近年の具体美術の再評価とともに、現在その人気は国内外問わず非常に高いものとなっています。 定正は1922年、三重県に生まれました。学校卒業後は工具店や国鉄に勤務しました …

草間 彌生

 草間 彌生は長野県松本市生まれの芸術家です。幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニ …

村上 隆

 村上隆は1962年生まれの東京都板橋区出身で日本の現代美術家です。1986年東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年同大学大学院美術研究科修士課程修了、1993年同博士後期課程修了、博士(美術)。 村上隆は、アーテ …

藤城 清治

藤城 清治は、日本を代表する影絵作家です。 影絵とは、動物や人物などに光を当てて、その影を投影したものの名称です。 影絵は日本だけでなく、あらゆる国で親しまれており、影絵芝居は世界的にもとても有名です。 元々絵を描くこと …

浜口 陽三

浜口陽三は和歌山県出身の版画家であり、銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者です。また、葉巻の愛好者としても知られております。妻である南桂子も版画家です。 1909年にヤマサ醤油の創業家である …

山下 清

全国を放浪した画家・山下清。裸の大将としてドラマが大ヒットした影響で、全国的にその知名度も高い人物です。 山下清は関東大震災の前年に東京・浅草に生まれます。震災後の避難先で生死の狭間をさまよったときの影響で、軽い言語障害 …