鈴木 強は、現代の琳派を代表する日本画家のひとりとして知られています。
『笑う動物シリーズ』で人気を博しました。
金銀箔が施された華やかな背景と、長谷川等伯や伊藤若冲などをオマージュしたモチーフが特徴的です。
『笑うカバ』では「神奈川沖浪裏」、『笑うニワトリ』では「群鶏図」がモチーフにされています。
このような作風を確立したのは、雪の降る日に訪れたサファリパークで出会ったゾウがきっかけだったといいます。
彼は、「可哀想だと思っていたが、ゾウが長い鼻で雪を口へ運んでいたのを見て、可哀想だと思うのは自分のおごりだったと気付いた。そこには、人と自然の対立した悲劇性をとっとと乗り越えて笑うゾウがいた。
それ以来、心の強さや幸福を表すような笑う動物を描いている。」と語りました。
やまと絵と現代的な感性を掛け合わせた彼の作品は、縁起物として飾られるなど多くの人に幸福を届けています。
磯野宏夫は、RPGゲーム「聖剣伝説」のメインビジュアルを担当したことで知られる画家・イラストレーターです。
彼は、1945年に愛知県で生まれました。
愛知教育大学教育学部 美術科を卒業後、デザイン会社を経て1970年にイラストレーターとして独立しました。
八重山列島を周遊した際、亜熱帯の森に触れたことをきっかけに世界各地へ赴き、森林を描くようになりました。
彼の作品には、生命の力強さを感じる幻想的な世界が描かれています。
自然を愛し、敬い、実際に触れた彼独自の視点で描かれた景色はとても美しく、この自然を守り続ける事の大切さを改めて感じさせてくれます。
時代が進むにつれ、人に都合の良いように姿を変えられてしまう木々に心を痛め、自然と向き合えるようなメッセージ性の強い作品を多く手掛けました。
今でも原画展が開かれるなど、多くのファンに愛され続けています。
曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。
独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。
彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。
1730年に京都の商家に次男として生まれ、「高田敬輔」に師事したとされています。
両親と兄妹がいましたが、彼が11歳の時に兄が亡くなり、その3年後に父親、また3年後に母親が亡くなりました。
彼は、二十代~三十代にかけて伊勢や播州を巡りながら作品を制作しました。
大胆にデフォルメされ、荒々しく奇抜に描かれた作品はどこか妖しげな印象を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。
このような作風は、当時から現代においてもなお、見た人が忘れられなくなるほどの衝撃を与え続けています。
代表作には『群仙図屏風』『旧永島家襖絵』などがあります。
辻 真砂は、女性画や風景画を中心とする洋画家です。
無所属のまま活動を続けており、定期的に個展を開催しています。
辻は1951年に大阪府で生まれました。
関西美術院に通い、卒業後は1976年~1980年までスペインに留学します。
1989年になると「真砂美塾」という画塾を開きます。
日本で育まれた「侘び寂び」などの情緒や、抽象性をもった写実を追求することを理念として掲げ、今も多くの作家が彼に技術を学んでいます。
その徹底されたリアリズムは、人や自然を美しく抒情的に表現し、光の動きや髪の質感、布の素材感、表情までをも繊細に描き切っています。
温かくも力強い女性の「生」を感じる彼の作風はとても魅力的です。
また、脆さや苦悩などといった要素も作品に散りばめ、上手くバランスを取っているようにも感じられます。
誰かの母であり子でもある、そんな彼女たちの背景に垣間見える物語を想像するのも、楽しみ方のひとつかもしれません。
北田 稔は1969年に埼玉県で生まれ、専門学校卒業後はアニメーターやデザイナーとして活躍していきます。後にイラストレーターとして独立し、展覧会の実施や、SNSを通じて作品や制作過程の様子を発信するなど、現在においても幅広く活動を続けております。
作品の共通するポイントとしましては、可愛らしい動物やキャラクターが柔らかなタッチ感で描かれており、和やかで心癒されるような印象を与える作風が特徴的です。主に猫や鳥などを万年筆で描いたり、水彩画でとても温かみのあるイラストを描くこともあります。
また、キャラクターたちが四季と共に描かれる作品も多く、作品と一心同体かのように季節感を味わえるのも魅力の一つとなります。
小早川 清は、美人画を得意とし、大正から昭和にかけて活躍した画家です。
現代的な女性像を描き、艶やかで上品な雰囲気を繊細に表現しました。小児麻痺の後遺症のため、左手一本で絵を描いたことで知られています。
小早川は、1899年に博多に生まれました。19歳で上京し、近代日本画の巨匠として知られる「鏑木清方」に師事し、美人画を学びます。
鏑木の開いた画塾で腕を磨き、1924年に開催された第5回帝展にて「長崎のお菊さん」を出品し、初入選を果たしました。
1927年頃には木版画の制作を始め、「近代時世粧」というシリーズを出版して表現の幅を広げていきました。芸者歌手の市丸を描いた「旗亭涼宵」が第14回帝展で新特選を受賞するなど、多くの功績を残しました。
その後も熱心に活動を続けていた小早川ですが、1948年に東京の自宅で脳溢血により亡くなります。
彼は数多くの作品を手掛け、特に昭和初期の作品は高く評価されました。
代表作には『長崎のお菊さん』『春琴』『蘭館婦女の図』などがあります。