カミーユ・ピサロは、印象派の代表的な画家です。
ピサロは、1830年にセント・トーマス島で金物屋の家に生まれました。
1855年に画家を志してパリへ移り、アカデミー・シュイスに通いはじめます。
数年後には、パリに出てきたモネやセザンヌ、ギヨマンと交流を深めました。
1859年のサロンに、『モンモランシーの風景』が初入選。
その後もバルビゾン派の影響を受けた作品をサロンに提出し、入選を重ねます。
普仏戦争が勃発すると一家でロンドンへ避難し、ターナーやコンスタブルの作品に触れながら風景画を研究しました。
1874年以降、ピサロはすべての印象派展に参加し、1880年代には人物画にも力を注ぎました。
印象派グループにおいて、彼は印象派と後期印象派の橋渡し役のような存在だったとされています。
晩年には視力の衰えにより戸外での制作が難しくなり、ホテルの窓から都市の様子を描き続けました。
人と自然を愛し、穏やかな日常を描いた彼の作品には、素朴ながらも見る者を惹きつける魅力があります。
日差しや向けられた視線の優しさなどにも、彼の人柄がよく表れています。
代表作には『モンモランシーの風景』『エルミタージュの丘・ポントワーズ』『ヴォワザン村の入口』などがあります。
小野 州一は、富良野ゆかりの洋画家として知られています。
1927年に北海道千歳市に生まれ、幼少期から絵や詩に関心がありました。北海道立札幌第一中学校を卒業後は独学で絵を学び、画家仲間と共に「北象会」を立ち上げて注目を集めます。1973年から1977年までパリを拠点に活動し、1995年には北海道富良野市へ移りました。
小野は油彩を中心に、風景、静物、女性像など幅広い作品を手掛けました。
鮮やかな色彩に重なる沢山の線描が印象的で、対象物に自身の内面を反映させた詩的な作風が魅力です。
没後も北海道立近代美術館や富良野市などで遺作展が開催され、「線描のコロニスト」とも称されました。
落合 芳幾は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。
伝統的な浮世絵の様式を受け継ぎつつ、新たな主題や視点を積極的に取り入れた作品を数多く残しました。
1833年、江戸・日本堤にて引手茶屋(遊廓の客と店との仲介を担う茶屋)を営む家に生まれました。
一説には、遊郭に入る客へ顔隠し用の編笠を貸す茶屋の生まれとも伝えられています。
父親は「堅気の商売に就いてほしい」と願い、芳幾を質屋へ奉公に出しましたが、芳幾は絵師になる夢を諦められず、最終的に許しを得て歌川国芳に入門しました。
1854年、柳水亭種清作『箱根霊験躄仇討』の挿絵を手がけ、絵師としてデビューしました。しかし翌年の安政大地震で新婚の妻を亡くし、悲嘆の中、吉原の惨状を現地で写生し、三枚続きの錦絵として発表しました。
この作品が評判を呼んで多くの注文が舞い込むようになり、芳幾は人気絵師としての地位を確立します。
1861年には師である国芳が没し、一門の中で認められた者のみが描ける「死絵」を手掛けました。
その後は月岡芳年との競作をはじめ、「東京日日新聞」の発起や「平仮名絵入新聞」の創刊、挿絵や新聞錦絵など、多岐にわたる分野で活躍しました。
しかし、1890年に絵入新聞が終刊すると、新聞錦絵の需要も急速に衰退し、芳幾は次第に困窮しました。晩年には借金取りに追われ、一家は離散。あばら家での貧しい生活を送った末に72歳で亡くなりました。
代表作には『英名二十八衆句』『小栗一代記』などがあります。
Michael Leu(マイケル・ルー)は1950年に台湾で生まれたポップアート作家、イラストレーターです。
「ルーグラフ」と呼ばれる、コンピューターで描画・配色・製版を行う版画技法が有名です。
幼少期から「絵画の天才児」と呼ばれ、7歳で東京国際児童絵画コンクールで1位を獲得するなど早くから才能を発揮していました。1968から1983年にかけて台湾の主要な新聞や雑誌、ユネスコ関連出版物など、重要な国際的出版物なの挿絵画家としても活躍しました。
彼の作品のトレードマークは「猫」です。飼い猫の「ファジー」をモデルにした、自由気ままさや人の心に優しく寄り添う姿を描いた作品が知られており、独特な色使いと造形センスが特徴で豊かで多彩な色彩、タッチで描かれます。
観る人に明るい気持ちや癒しを与えてくれる彼の作品は、イメージを通して愛情、希望、結城、平和などを力強く訴えかけています。
日本の洋画家として活動し、特に裸婦や異国風俗画を題材とした作品描いたことで知られています。
1925年兵庫県神戸市で生まれ、1949年の自由美術展出品を皮切りに、数々の作品を出品・受賞してきました。また、1952年に反戦平和美術協会を結成、1955年にはリアリズム美術集団を結成し、今現在作品の特徴的軸となる具象リアリズムの基盤を作っていきます。
1966年からは個展を開催し、1970年代は制作の為に欧州の取材旅行をするなど、多岐にわたる活躍を見せます。
生命賛歌に満ちた健康的な肉体美や、光導く美しい風景画を描く栄永氏の作品は、恍惚感に浸るほど魅力的で惹きつける力を持ち合わせています。
ゲーリー・ウェルティは、海や自然をテーマにした風景画を得意とする画家です。
1964年にアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、10歳で油絵を始めた彼は、学生時代から数々のコンテストで入賞を重ねます。
1982年に訪れたマウイ島に魅了され、その後、マウイ島に活動拠点を移しました。移住後すぐにいくつかのギャラリーと契約を結びますが、自然と戯れることに夢中になって絵を描かなくなってしまいました。
20代後半で故郷に戻って本格的に作品制作に没頭します。企業向けイラストレーションを中心に活動し、これをきっかけに自身の作品制作に自信が持てるようになりました。
そして再びマウイ島に移り、毎日絵を描くようになります。この時期は、作品がギャラリーに掛けられるとすぐになくなってしまうほどの人気でした。現在は、故郷で創作活動を続けているとのことです。
ゲーリー・ウェルティは、スケッチや写真の模写を行わずにアクリルボードに筆を滑らせる、という独自の描き方が特徴で、「天性の画家」として多くの人に愛されています。