平松礼二は1941年に東京都中野区に生まれた日本画家です。
愛知県立旭丘高等学校美術科、愛知大学法経学部卒業。
横山操に私淑し、1960年より青龍社展に出品します。
その後、個展を開催し、様々なコンクールに出品して多数の賞を受賞し、その技術力を世に広めていきます。
1994年には多摩美術大学教授(2005年に退任)、2006年には了徳寺大学学長を歴任するなど、自身が研鑽を積むだけではなく、後進の育成にも力を入れています。
岩彩、箔、墨、コラージュ等、多彩な技法を駆使した21世紀を代表する日本画家のひとりです。2000年から2010年まで「文藝春秋」の表紙画を担当しています。伝統的な日本画技法に加え、ヨーロッパ印象派の光と色彩を取り入れた革新的な日本画を描きます。美しいものへの憧れが、作品となっています。
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木村圭吾は京都府生まれの日本画家です。中学時代から画家を志し、1963年に京都市立日吉ヶ丘高等学校日本画科卒業し、日本画家・山口華楊に師事します。1974年にシェル美術賞展佳作賞を受賞する。1985年に第8回山種美術館賞展に招待出品する。1997年に「鐘韻燦花一遥かなる旅路一」の画集を出版する。1999年にNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の装画を担当します。2001年に法樂寺の障壁画が完成する。木村圭吾の作品は風景を題材にした絵画作品となります。日本各地の風景を描き、日本画が持つ柔らかさや安心感を表現しています。技術を研鑽し、対象物を画面上に落とし込む力量が作品のクオリティに反映されています。日本の伝統的な桜や富士などのモチーフと作品が人気となっております。
堀文子は東京都出身の日本を代表する女流画家です。画家を志して、女子美術専門学校(現・女子美術大学)に入学し、在学中から新傾向の日本画制作を実践する新美術人協会展に出品します。戦後も創造美術、新制作協会日本画部、創画会へと続く革新的なグループを活動の場としました。堀文子の作品はアマゾン、マヤ遺跡、インカ文明をはじめ、幻の高山植物ブルーポピーを求めてヒマラヤに取材旅行に行くなど、常に旺盛な好奇心で新しいテーマに挑む姿勢は多くの人々に感動を与え続けました。また、大好きな花や鳥などの自然の生命をモチーフとする作品も多く「花の画家」と呼ばれています。
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倉島重友は1944年、長野県に生まれの日本画家です。1971年、東京藝術大学大学院美術研究科を修了します。1971年、再興第56回院展で初入選したのち平山郁夫に師事します。1974年には高松塚古墳壁画模写に参加します。2003年に「穣」で第9回足立美術館賞を受賞します。翌年、院展同人に推挙されます。その間、広島市立大学教授となり後進の育成にも尽力します。2004年には日本美術院同人となり、現在も院展の中心画家として第一線で活躍しています。倉島重友は自然とともに生きる人々を、感情豊かに描き出しています。
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大分県日田市豆田町に生まれの日本画家・岩沢重夫は幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年でした。晩年の水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作しましたが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいています。京都市立美術専門学校卒業後、京都画壇の巨匠・堂本印象に師事し、日展を主な作品発表の場として活躍しました。岩沢重夫の画業の初期より、風景画の新たな可能性を探る創作活動を続け、心に響く風景との出会いを求め、全国各地を巡りながらスケッチを重ねました。大自然の雄大な景観や、四季折々の光景をみずみずしい感覚とさわやかなその作品は、今日もなお多くの人々を魅了しています。
下保昭は昭和から平成時代の日本画家です。下保昭は、昭和2年に富山県砺波市で誕生しており、昭和24年には西山翠嶂の師事し、さらには日展で活躍しています。また、昭和45年には日展常議員に選定されており、昭和57年には日本芸術大賞を受賞、昭和60年には芸術選奨文部大臣賞も受賞しています。そして、昭和63年には日展を脱会し、水墨画に専念しています。平成元年には、京都市の功労者として認められ、平成10年には来た日本新聞文化賞を受賞後、平成12年には京都府文化特別功労者に認定されました。平成14年には、旭日小綬章を受賞しています。下保昭の作品は、自然をモチーフにしたものが多く、水墨画を得意としており、作品も水墨画が多く、山水を主題とする水墨画を追及していました。