ここでは入江光人司の作品についてご説明します。
備前焼で主に宝瓶(ほうひん)を制作している数少ない作家です。
宝瓶とはお茶を入れる急須の一種であり、取っ手が無いので片手で両端を持ってお茶を注ぐ茶器のことです。
入江氏の作品作りの大きな特徴としては、轆轤を使用せず手捻りで制作しているという点です。
轆轤を使用して制作すると水を大量に使用する為、土の持ち味が活かされません。
土の持ち味である士味を活かす為に入江氏は手間や時間は掛かりますが丹念に手捻りで制作をしています。
その結果、土味を非常に活かした入江氏独特の作品が出来上がります。
又、入江氏は希少価値のある鉄分の少ない土で制作した白備前の作品も制作し
ています。
白備前の作品も高い評価を受けています。
音丸淳は香川県出身の漆工芸家です。父は人間国宝、音丸耕堂で、幼い頃よりその技術を学んでいました。1951年の日展で初入選を果たし、その後も4回入選しています。東京美術学校工芸科を卒業後は、イタリアへ留学し、ブレラ美術大学にて海外の芸術を学びました。帰国後は日本伝統工芸展にて文化財保護委員長賞や総裁賞を受賞、さらに1984年には紫綬褒章、1999年に勲四等旭日小授章受章など多大な功績を残しています。
父から学んだ伝統的な讃岐彫の彫漆の技法と、自ら創作する絵画的な意匠の掛け合わせは、日本伝統の漆芸でありながら現代的デザインをもつものとなり、その作品は国内のみならず国外でも高く評価され人気となっています。
ここでは萩焼深川窯と田原陶兵衛家についてご説明します。
萩焼は、文禄・慶長の役にて日本に渡来した朝鮮李朝の陶工、「李勾光」と「李敬」が17世紀初頭に李朝前期の陶技を以て安芸の広島から萩に渡り、松本中の倉に開窯した萩藩御用焼物所が始まりとされています。
それから約半世紀後、李勾光の子である山村新兵衛光政の高弟である「蔵崎五郎左衛門」と「赤川助左衛門」の一統が藩の許しを得て深川三ノ瀬の地に移り、新たに窯を築きました。
明暦三年には、李匂光の孫、山村平四郎光俊も移住して惣都合〆を命じられたことで藩の御用窯「三ノ瀬焼物所」が創業し、萩焼深川窯が誕生しました。
田原家は李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、松本の御用窯を始めた松本ノ介左衛門を始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人、赤川助左衛門を初代として代々赤川助左衛門を称して藩の御用を勤めてきました。
幕末に八代喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り始め陶兵衛と称する事になりました。
石黒光南(本名:昭雄)は金工・銀工作家として非常に有名な人物です。ふんだんに使われた金や銀の豪華さがある一方、その作品の姿は端麗に仕上げられており、素材に比して非常にシンプルなつくりとなっています。
また、石黒光南は初代・二代共に「霰打ち」と呼ばれる技法を得意としており、光南作品の特徴となっています。作品全体にバランスよく打ち込まれた霰は、その一つ一つまで美しい円錐形となっています。まさに匠の技といえるでしょう。
その優れた技術から、二代光南は1990年に国の伝統工芸「東京銀器」の伝統工芸士に認定されています。さらに東京都の伝統工芸士認定、日本伝統工芸展入選、伝統工芸新作展入選など数々の賞も受賞しています。
現在流通している光南作品は二代光南のものが多く、人気も非常に高くなっています。