ミューラー兄弟とは、フランス・モーゼル地方出身のガラス工芸の一家であり、ランプなどのガラス作品を製作するメーカーでもあります。
9人の息子と1人の娘の10人兄弟を総称して「ミューラー兄弟」と呼ばれています。
普仏戦争の時に兄弟は疎開し、その内の5人がエミール・ガレの工房で働き高い技術を身に着けていきました。
その為作品の多くはガレの影響を非常に強く受けています。
ミューラー兄弟の作品は花瓶やランプ、シャンデリアなどガラス作品を多く残しており、模様は幾何学、朱雀、3色の色を配合して作られた被せガラスの作品が多く、幻想的で美術品として価値の高い作品となっています。
ガラス工芸作品で有名なところは、エミール・ガレやドーム兄弟とありますが、シャンデリアやテーブルランプを多く残しているのは実はミューラー兄弟です。
中でも注目すべき点が、シェードのガラス部分を作ったのはミューラー兄弟であることです。また、土台のブロンズの部分は専門の工芸家に委託しており、ガラスのプロとブロンズのプロが共同で製作しているという点がオリジナル要素を高めていることに繋がり、当時のヨーロッパの富裕層階級を唸らせる作品を手掛けていました。
日本ではエミール・ガレやドーム兄弟がアンティークガラスで有名ですが、世界ではミューラー兄弟も劣らずの知名度と人気を博しています。
作品の素晴らしさや歴史的価値から、今後ますます見直されていくことでしょう。
イポリット・モローは彫刻家業を営むモロー一家の次男として生まれます。父のジャン・バティスト・モローは18世紀生まれの著名な彫刻家でした。功績としてはブルゴーニュ王墓の修繕などを行っています。
そんな父のもとに産まれたイポリット・モローは、長男のマチュラン・モロー、三男のオーギュスト・モローとともにモローブラザーズと呼ばれパリ万博などで様々な受賞歴を残しました。
イポリット・モローは兄弟の中で一番早く工房で働き始め、小規模から中規模サイズの像や花瓶を主に製作しました。18世紀の影響を受けたクラシカルな作風は狩りのシーンや、子供、若い女性などをモチーフにした作品が多いです。
イポリット・モローの作品の多くは地元のディジョン美術館に保管されています。またパリ市庁舎の最も目立つファザード(正面外観)に彫刻を施したのも彼になります。小型作品からパリ市庁舎のような大きな作品まで様々な規模を手掛けているのも大きな特徴と言えます。
リヤドロはスペインに本社を置く陶磁器製品を製造するメーカーです。
1951年、リャドロ家の三兄弟が自宅に陶器用の窯を設置し、ランプ用の花飾りを製作しました。この花飾りが人気を博したのをきっかけに、ここから今に至るリヤドロが誕生しました。
三兄弟が磁器人形を製作しだしたのは1956年頃の事です。「優しさあふれる世界を創造したい」という想いを胸に、三人は陶磁器にその可能性があると信じ製作活動を続けました。人形を製作するうえでは「人生の喜びを描く」という理念を抱き、それらの想いが世界中の人々の共感を呼びリヤドロをトップブランドまで押し上げていきました。
ロシアのエルミタージュ美術館やベルギー・ブリュッセルの王立美術歴史博物館など名だたる美術館・博物館で常設展示または所蔵されるに至り、リヤドロは世界的作品を生み出しながら歴史、文化的に長く保存されていく存在となりました。
現在では、世界的に有名なデザイナーやクリエイターを起用した作品を製作し、そのデザイン性や創作意欲は今後ますます期待と注目を集めています。
1919年~2016年 ポール・アイズピリは、フランスの画家になります。1919年彫刻家でバスク人の血をひく父のもとに誕生し、父は息子をブール象嵌学校に入学させたが、アイズピリは画家になるのが夢でその夢を捨てきれず、1936年にエコール・ボザール(パリ国立美術学校)に再入学します。1939年の第二次世界大戦に徴兵とされ、ドイツ軍の捕虜になりますが脱走し、1943年パリで初個展を開催して以降具象画家として実績を積み重ねます。1946年新人画家の登竜門として名高い「青年絵画展」で3等賞、1951年ヴェニス・ビエンナーレでプリ・ナショナル大賞を受賞するなど、フランス画壇に確固たる名声を高めました。その後1960年代は、ニューヨーク、東京、ジュネーブ、アヴィニヨンなど各国で個展を開催し、1963年の第2回国際形象展に初出品。以後毎回同展に出品し続け、1971年トゥールでジュマイ賞を受賞しました。アイズピリの作品は、パリ画壇の中でもとてもわかりやすい具象絵画で親しまれ、人気なポピュラーな作家でした。自然と家族を愛する画風がコレクターでも愛され、リトグラフ等でも親しまれております。2016年老衰の為96歳で死去。
1919年~2004年 フランス・パリ出身の画家になります。1945年パリの国立高等美術工芸学校に入学し、モーリス・ブリアンションに師事し、ムルロー工房へ出入りする様になります。結果、1965年「ムルロー工房の版画」のカタログに有名なシャガール、ピカソ、ミロらと共に採録されることとなります。ヨーロッパだけでなく、ニューヨーク、東京をはじめ各地で個展を開催し東京では吉井画廊で個展を開催。日本にも多くのファンを持っております。カトランの作品には花などの静物が鮮やかな色彩と微妙な色調によって巧みに描き出されており、静かで詩情豊かな世界が表現されているのが特徴で、多くのファンを魅了し続けております。2004年に心臓疾患の為パリ市内の自宅で死去。享年84歳でした。
1928年7月10日~1999年10月4日 フランス・パリ出身で、第二次世界大戦後の具象絵画の代表的作家ベルナール・ビュッフエ。工場を経営していた父の元に誕生したが、父が多忙だった為関係は希薄でした。心のよりどころであった母を10代と若い年齢で無くし、孤独感を埋めるべくキャンバスに向かうことが多かったそうです。1943年にパリ国立高等芸術学校に入学し、1948年パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞します。この頃からビュッフェはかなり有名で、硬質で鋭く太い針金のような輪郭線とモノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を描き、作風には人物の不安げな表情などとあいまって大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されており、天才画家として評されておりました。女性像のモデルの多くは後の妻・アナベルになります。ビュッフェといえば油彩画が有名ですが、版画も多く製作しております。最愛の妻アナベルと生涯を添い遂げる間でしたが、幼少の頃に経験した孤独感が癒えることがなく、晩年にはパーキンソン病を患い、自ら命を絶ちました。1999年享年71歳でした。