薩摩びーどろ工芸

薩摩びーどろ工芸株式会社は、鹿児島県に本社を置く、薩摩切子作品を強みとしたガラス細工工房です。

薩摩切子とは、江戸末期に薩摩藩で造られた切子ガラスです。無色のガラス(クリアガラス)の上に色つきのガラスを被せ、それを磨き上げて作られます。色つきのガラスの色彩が淡いためにできる、クリアガラスとの間のグラデーションが薩摩切子の特徴です。

薩摩びーどろ工芸は1994年の設立以後、途絶えていた薩摩切子の復元・発色に注力してきました。

金赤・瑠璃・藍色に始まり、緑色・黄色・金紫・銅赤・飴色の復元に成功し、さらには黒色・茶色という新色の発色にも成功しています。伝統と独創性を併せ持った、今なお進化している切子工房です。

一つ一つがガラス生地から職人の手で作られており、そのカットデザインと緻密な造形、そして発色はどの角度から見ても美しく映えます。

作品は猪口、グラスに始まり花入や盃、角皿、ワイングラスなど多岐に制作されています。実際の使用はもちろん、飾って見るだけでも楽しめる逸品の数々です。

ジェームス・リジィ

ジェームス・リジィは版画作品の3Dアートで世界的に有名なアーティストです。

平面作品を立体的に見せる3Dアートの先駆者として名高く、地元であるニューヨークのような都会の日常風景である喧騒をポップに表現したことが高く評価されています。
彼の作風は明るい色味が特徴で、作品全体にアメリカが持つエネルギーを感じさせるものです。当初は都会の喧騒をテーマに描いていましたが、より独自性を出すため3Dへと作品を進化させます。
これは当時活躍していたヒロ・ヤマガタや、後に3Dアートの大家となるチャールズ・ファジーノが作品に取り入れるなど大きな反響を呼びます。
世界中にファンを獲得するにまで至ると、アトランタオリンピックの公式アーティストとなりポスターを手掛け、長野オリンピックにおいてもIOC公式アーティストになるなど、活躍の場を広げていきます。

華々しい活躍を遂げたジェームス・リジィですが、2011年に惜しまれながら世を去ります。彼の作品は現在でも多くの人々に親しまれております。

ドームナンシー (ドーム兄弟)

ドームナンシー(ドーム社)はフランスのナンシーに現存するガラスメーカーの一つです。

1878年にジャン・ドームがラ・サント・カトリーヌ・ガラス工場の経営をすることになり、後に「ラ・ヴェルリ・ド・ナンシー」としてガラス工場の操業を開始した事から始まり、長男のオーギュスト・ドームと次男のアントナン・ドームが1891年新たに装飾工芸ガラスを制作する美術工房アトリエ・ダールを設けたことにより、その名を広めて行きました。

工房名にDaum Frèresと付けていた事などもあり、通称「ドーム兄弟」と言われています。

兄のオーギュストは1879年頃、弟のアントナンは1887年頃からそれぞれ父のガラス工場を手伝うようになり、1889年のパリ万博博覧会にテーブルウェアなどを出品しました。その後1894年のリヨン博覧会で金賞を受賞。1899年にはガラス素地に絵模様を描き、さらにガラスをかぶせて模様に奥行きを出すアンテルカレールという技術で特許を取得し、1900年のパリ万国博覧会ではグランプリを受賞しています。

初期の作品にはエナメル色彩による絵付けが多く見られましたが、1910年前後辺りから色ガラスの粉を再加熱して素地になじませるヴィトリフィカシオンという技法も使い、マーブル模様など表現する色の世界の深みや幅を広げていきました。

個人の才能を発揮した作品を中心としているエミール・ガレに対し、才能豊かな装飾美術家たちをデザイナーとして登用し運営していたドーム兄弟。創業者のドーム一族による経営は途絶えていますが、ドーム社の作品は仕上げの丁寧さに定評があり、この140年間にコラボレーションしたアーティストたちは350人以上に及びます。

そして現在もナンシーの地で高級クリスタルメーカーとして操業を続けています。

 

REUGE リュージュ

リュージュはスイスで生まれたオルゴールメーカーです。
創業者はシャルル・リュージュ。
彼が1865年にスイスのサンクロワに移住したところから始まります。

初めはオルゴールのついた懐中時計を作ります。
産業革命の波はかなり以前に押し寄せ、世の中は工業化・機械化が当然のことになっていた時代です。
そんな中で、全てを機械任せにせず、こだわりを持った手作業で、一つ一つ丁寧に作り、多くの人々にその技術力を認められるようになります。
こだわりの手作業と伝統の作り方は現在まで続き、世界最高峰のオルゴールメーカーと呼ばれるに至りました。

そのこだわりは製作期間にも表れます。
一つを作り上げるのに最低でも3か月を要し、長いものでは1年に及ぶものもあります。
決して妥協を許さないその姿勢から作り出されたオルゴールの音色はとても繊細かつ美しいものです。

特にリュージュはオルゴールの中でもシリンダーオルゴールを作っています。
オルゴールにはシリンダーオルゴールとディスクオルゴールの2種類があり、シリンダーオルゴールはより繊細な音を出すことができます。
シリンダーがゆっくりと回転し、シリンダーに植えられた小さな突起が、弁(櫛歯)を弾くことで音が鳴るわけですが、その弁を増やし、突起を増やせば、より複雑な曲を奏でることができます。
その分、要求される技術力は高度になり、リュージュがその弁の数を144本用いていることで、リュージュの技術力の高さが分かります。

手巻きのため、巻き直せば何度も聞けることから、親から子へ、子から孫へとその音色を伝えることもできます。

時代とともに家族を見つめるリュージュのオルゴール。
今日もどこかで誰かのために奏でられていることでしょう。

パスクワーレ・オッタビアーノ

パスクワーレ・オッタビアーノは、現代カメオの巨匠作家です。
1938年10月17日、南イタリアのナポリ近郊にて生まれました。

トーレ・デル・グレコの芸術学院でカメオ彫刻の高度な技術を学んだ後、古代の秘密技法の全てを伝授した大家ジュセッペ・シャランガ氏からさらに高度なカメオ技術を学びました。
若い頃に港湾労働者として苦労をした時期もありましたが、目の前の問題にも辛抱強く取り組み障害を乗り越えカメオ彫刻家としての礎を築いていきました。

彼の技術は、カメオを2分割、4分割してそれぞれに5~6人の宮廷人がそれぞれの場面を演じるという、緻密で高度な技術の図柄が特徴です。
若き頃の苦労の経験は、作り上げるカメオには微塵も感じることが無く、ただひたすら貴族的で優雅な空気を纏っています。
パスクワーレ・オッタビアーノが作るカメオを身に着けることがあれば、正に自分が貴族になったかのような少しの優越感とその技術の細やかさに改めて魅了されてしまう事は間違いないでしょう。

ミューラー兄弟

ミューラー兄弟とは、フランス・モーゼル地方出身のガラス工芸の一家であり、ランプなどのガラス作品を製作するメーカーでもあります。
9人の息子と1人の娘の10人兄弟を総称して「ミューラー兄弟」と呼ばれています。

普仏戦争の時に兄弟は疎開し、その内の5人がエミール・ガレの工房で働き高い技術を身に着けていきました。
その為作品の多くはガレの影響を非常に強く受けています。
ミューラー兄弟の作品は花瓶やランプ、シャンデリアなどガラス作品を多く残しており、模様は幾何学、朱雀、3色の色を配合して作られた被せガラスの作品が多く、幻想的で美術品として価値の高い作品となっています。

ガラス工芸作品で有名なところは、エミール・ガレやドーム兄弟とありますが、シャンデリアやテーブルランプを多く残しているのは実はミューラー兄弟です。
中でも注目すべき点が、シェードのガラス部分を作ったのはミューラー兄弟であることです。また、土台のブロンズの部分は専門の工芸家に委託しており、ガラスのプロとブロンズのプロが共同で製作しているという点がオリジナル要素を高めていることに繋がり、当時のヨーロッパの富裕層階級を唸らせる作品を手掛けていました。

日本ではエミール・ガレやドーム兄弟がアンティークガラスで有名ですが、世界ではミューラー兄弟も劣らずの知名度と人気を博しています。
作品の素晴らしさや歴史的価値から、今後ますます見直されていくことでしょう。

LLADRO(リヤドロ)

リヤドロはスペインに本社を置く陶磁器製品を製造するメーカーです。 1951年、リャドロ家の三兄弟が自宅に陶器用の窯を設置し、ランプ用の花飾りを製作しました。この花飾りが人気を博したのをきっかけに、ここから今に至るリヤドロ …

ルネ・ラリック

ルネ・ラリックは、フランスで活躍したガラス工芸作家です。 1860年、フランスはシャンパーニュ地方のマルヌ県アイ村に誕生し、パリで育ちました。1876年にパリの装飾美術学校に入学します。夜は学校で学びながら、宝飾工芸家の …

黒木 国昭

黒木国昭は宮崎のガラス工芸家です。 西洋のガラスの中に日本の美を組み入れた色鮮やかな作品は、見る者を虜にします。 黒木は1945年に九州・宮崎で生まれ、高校卒業後はガラス製造会社に勤務していました。1974年に独自のガラ …

エミール・ガレ

エミール・ガレは、父シャルル・ガレと母ファニー・レーヌメールとの間に1846年フランス北東部のナンシーで生まれます。 両親は陶磁器とガラス器を扱う店舗をナンシーに構えていました。 1858年から1864年までナンシー帝国 …