慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。
江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退により茶道が軽んじられていた時代でもあり、千家とのつながりが深かった楽家にも風当たりは強くありました。しかしながら慶入は、世事についての反応を示さず、自分らしい作陶を続けます。そんな慶入の心が見て取れるおおらかな作品が多く残っています。
楽家といえばノンコウと呼ばれている三代・道八が稀代の名工として知られており、ノンコウを敬慕していた慶入もまたノンコウを思わせる作品をしました。またそこに留まらず、三代以降の楽家が作り上げてきた研鑽も糧としながら型に縛られない斬新で自由な作品も制作しました。
楽と言えばやはり茶碗が想起されますが、慶入は茶碗に限らず幅広い作品を残しております。これは時代のお茶離れに合わせ、様々な道具を作ることで生計を立てていたからだともいわれています。
楽の伝統を継ぎながら、個性ある作風を持つ慶入の作品は多くの茶道具ファンから支持を集めております。
天野善孝は静岡県静岡市出身の現代アート作家・イラストレーターです。
1967年にタツノコプロに入社し、「タイムボカン」シリーズのキャラクターデザインを手がけました。担当したキャラクターを上げればキリはありませんが、代表となるところでは「ガッチャマン」「ヤッターマン」「みなしごハッチ」など多くの有名作品を手掛けていました。
1982年にタツノコプロからフリーランスとなりSFやファンタジー系のイラストを手掛けることが多くなります。独立後初期の作品は夢枕獏の「キマイラ」や菊池秀行の「吸血鬼ハンターD」などが挙げられます。
1987年にはスクウェア(現スクウェア・エニックス)に参加し「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインを手がけたことでさらに注目を集めました。ファイナルファンタジーシリーズにはⅥまではメインで関わってきましたが、それ以降は役職を辞任し、原案やイメージイラストといった形の関わり方となっています。
タイムボカンシリーズのようなコミカルな画風から、ファイナルファンタジーシリーズのようなSF要素のある幻想的な画風も手掛け、両方の面で大きな人気を集めています。
ゲームやアニメの人気と共に、日本だけでなく海外でも高い支持を受けており、ニューヨークやパリ・ロンドンなどでも個展を開き、成功を収めております。
20世紀最後の印象派と呼ばれているリャドは、1944年にスペイン・カタルーニャ州のバダロナで生まれました。
1955年頃からバルセロナのアカデミーで絵を描き始め、その後はバルセロナのサン・ホルヘ高等学校で絵画を学び、在学中に多数の賞を受賞し19歳で助教授に任命されるなど、その経歴はそうそうたるものです。
1968年に自然の美しさにひかれ、マジョルカ島パルマにアトリエを設置します。 1977年には絵画学校「地中海自由学校」を創立。 1988年には、各分野で最も活躍した人物に贈られる「パーソナリティオブザイヤー」に選ばれました。この賞をスペイン画家が受賞したのはミロ・ダリに続き史上3人目の快挙でした。
1990年には日本で個展を行い、そこでリャド自身初のシルクスクリーン作品を発表しました。そうして右肩上がりに人気を高めていた1993年。病気により突然この世を去りました。47歳という若さでした。
リャドの作品は、絵の具を叩きつけるようにして飛沫を飛び散らせ、ダイナミックに見せる「スプラッシング」という手法が使われています。しかしながら荒々しさの中には精密さを兼ね備えており、離れて見ると穏やかな風景画に様変わりします。
スプラッシングの手法など荒々しさは原画でなければわからないもので、原画で感じる立体感は迫力があります。
著名な作家の原画といえば期間限定の原画展などでしか見れないイメージですが、リャドの作品は熱狂的な1ファンによって集められており、個人で開いた美術館(東京)で展示されています。
機会があれば是非訪れてみてください。
森狙仙は、江戸時代後期に大阪で活躍した絵師です。狩野派や円山派を踏襲した写実を基調とする独自の画風によって知られています。はじめ、勝部如春斎について狩野派の技術を学び、如寒斎と号しました。天明4年(1784年)師の如春斎が没するあたりから、沈南蘋や円山応挙の影響を受けて画風を変え、写実を重視するようになり、猿画の名手として評判が高くなったと考えられます。猿をはじめとする動物画を得意としていました。柔らかな体毛の質感を表現や、生命感に満ちた動物たちの表現、現代においても高く評価されています。
緑和堂では、森狙仙の作品を高価買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、ご気軽にご相談ください。
前田昭博は「白磁」で国の重要無形文化財に認定された陶芸家です。
1954年に鳥取県に生まれた前田昭博は、小学校2~3年生の際に学校の教員をしていた父が木版画を始め、その後ろ姿を見てモノを夢中になっているところがうらやましいと感じるようになり、その頃から図画工作が好きになり、高校では美術部に入り、大阪芸術大学に進学後は陶芸専攻するようになりました。大学では先生が大きな土の塊と格闘していることに感動をし、そこで白磁を初めて制作し、その白さに感動したとのことです。大学を卒業後は、故郷である鳥取県にて納屋を改造して窯を築き、作陶を初めていきました。
その後は1979年に日本陶芸展に入賞したことを皮切りに数々の賞を受賞し、その功績が称えられ、2007年には紫綬褒章を受章、2013年には「白磁」にて国の重要無形文化財に認定されました。
前田昭博の作風として簡素的でありながら形の美しさや存在感と品格を意識した作陶により今後も人々を魅了し続けるのではないでしょうか。
現代フランス画壇を代表し、日本と繋がりが深い画家としても知られている人気作家といえば、カシニョールでしょう。
1935年にパリに生まれたカシニョールは父親が高級衣服店を経営していたこともあってか、幼少期よりモデルの女性たちと過ごしていたそうです。そういった経験からカシニョールの作風を代表する優雅で艶美な女性をモチーフとした作品が生まれていったのではないでしょうか。
13歳の時にはドーヴィルの海岸で砂の芸術コンクールに参加して一等賞になるといった功績を残し、新聞で報じられたりしました。そういった功績から10代の頃には画壇で活躍するようになり、24歳の時にはフランスで毎年秋に開催されている「サロン・ドートンヌ」の会員に推挙されるほどでした。
来日経験も豊富で、女優の黒柳徹子には前述の砂の芸術コンクールのエピソードも笑いながら話したりしていたとのことです。また、1990年代にはボリジョイ・バレイ団の衣装と舞台装置の制作も手掛けるなど新しい分野にも挑戦しているカシニョールの作品は、とても人気の高いものとなっております。