松岡政信は日本美術院同人として活動している日本画家です。
1932年に大阪府で生まれました。18歳の時から中村貞以に師事し、1953年に日本美術院展にて初入選、以降同展で多数受賞いたします。1954年には第39回院展奨励賞を受賞、その他高島屋などで個展を開催するなど活躍されています。
松岡政信と言えば『花』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。これまで花をモチーフにした作品を数多く手掛けており、一凛一凛、その花特有の美しさを表現しています。
モチーフを限定する作家さんも多くおられますが、松岡政信の描く「花」は色とりどりで四季折々、実に多彩であります。葉の一片までのふくよかな表現からは、松岡政信の幾多の花に対する真摯な観察力がうかがえます。
中国郵政(中国郵政集団有限公司)は、中国中央政府管理下の郵政企業です。
1949年に「中国人民郵政」として発足して以後、郵政事業を主軸に物流等を担う機関として中国で大きな位置を占めてきました。2020年には現在の社名への変更に伴い、中央政府の単独出資企業となります。今後は宅配事業の広域化などを中心に、多角化経営の方針が掲げられています。
中国郵政は発足した1949年より切手の発行を行っており、中国郵政が発行した切手は総称して「中国切手」と呼ばれます。実用品である切手ですが、そのデザイン性の高さと中国の歴史を感じさせる趣が人気を呼び、今なお多くのコレクターに愛されています。
中国切手には一部、希少価値の高いものがあります。それは主に、1966~1977年に起こった文化大革命の時代に製造されたものです。理由としては文化大革命の際、切手の収集と輸出が禁じられ、発行数の制限や焼却処分が行われたことが挙げられます。文化大革命期以後も発行数の制限が掛けられたシリーズは存在し、それらもプレミア的価値を有しています。
本名は坪島一男。三重県の廣永窯で作陶をしていた陶芸家です。
土平という号は、本名の苗字の坪島の坪の字を左右に分けたところからきています。本来の表記だと、土の字の右側中央の近くに点があります。土が飛んで付いたという事を表現しています。日本語では存在していない文字です。号を名づけたのは半泥子です。
1929年に大阪で生まれましたが、戦時中に三重県に疎開、その疎開先に住んでいた川北半泥子に師事し、陶芸の世界に入ります。半泥子の弟子としてその作陶精神を基礎としながら、新しく独自の作風を加えて技術を磨いていきます。
1963年、半泥子没後には廣永窯を継承し、1968年以降は高島屋で個展を開催。
以降名古屋・大阪・横浜の高島屋を中心に数多くの個展を開催していきます。
志野・織部・朝鮮唐津・伊賀と焼き物のジャンルは幅広く、赤絵・染付・色絵の作品を中心に作陶、中でも多彩な色を用いた作品は今でも人気です。
鵬雲斎(汎叟宗室)は、茶道三千家の一つ・裏千家家元の十五代目です。
父・裏千家十四代家元の碩叟宗室(淡々斎)の長男として生まれ、十五代目家元を襲名し活躍したのち、現在は自身の長男・玄黙宗室(坐忘斎)に家元を継承しています。
第二次世界大戦時に海軍少尉だった彼は、特別攻撃隊に志願するも、出撃を前に終戦を迎えました。戦争の経験を通じて、茶道の精神である「和敬清寂」、もとい茶道という文化が平和につながる道であると心得た鵬雲斎は、国内外での茶道の普及活動を始めました。
1951年、ハワイに初の裏千家海外支部が発会したのを皮切りに、現在ではアジア、ヨーロッパ、北米など広く裏千家のネットワークが形成されております。鵬雲斎の唱えた「一盌からピースフルネスを」という標語のもと、世界中に茶道の精神が発信されているのです。
鵬雲斎の作る多彩な茶道具は伝統的でありながら華やかで、茶道の意匠と万人に通じる美が体現された、まさしく世界に浸透するものだと言えるでしょう。
河本五郎は表現としての陶磁器を追求し、その概念を推し広げた作家の一人です。
愛知県瀬戸市に生まれ、幼少より瀬戸の窯業に身を置きますが、伝統的な技術や価値観を客観的に捉え、個人の創意でそれらに対峙しました。
陶器の制作では、やきものの造形美は土の性質を抽出し象徴することにあると考え、土の粗い表情や裂け目、歪み、ひずみを生かし計算し、様々な方法で素材感や物質感をダイレクトに造形化する作風を確立しました。
家業の染付磁器とは異なる制作で作家として自立した河本ですが、意志ある姿勢はそのままに、しかし陶器から磁器へ制作を移行させます。そして瀬戸の染付磁器と更にそのルーツとなる中国陶磁への考察をもとに、どちらとも違う自身の染付と色絵に取り組んだのです。それは自らの制作で陶磁の伝統や歴史に迫り、乗り越え、進展させようとする行為であったといえます。
二上常太郎は、富山出身の蝋型師です。
伝統工芸の街・富山県高岡市で生まれ、斯界に誇る技術保持者の一人として、銅器を愛しその鋳肌に魅せられ、およそ60年の間創作活動を続けて居られました。作品は鍛え抜かれた技法のたしかさと気品、風格で満ち溢れ、観る者を魅惑してやまぬものがあると賞讃されており、人間国宝級の技法として業界からは高い評価を得ております。
蝋型とは、鋳金技法の一種です。まず、中子と呼ばれる鋳物の中空部を作るために生型と別に使われる鋳型を使い、その表面を蜜蠟と松脂を混ぜたもので覆って原型を作ります。その後粘土汁を混ぜた泥を塗り、乾燥させた後、加熱して蝋を溶かして空洞を作り鋳型とします。あとはこれに溶かした金属を注入し、冷めたら型を壊して完成します。
二上常太郎の主とした製作技法であり、銅製の美術品、花器や仏具といったジャンルで多く作品を残されています。