三浦小平二は佐渡出身の陶芸家で「青磁」の人間国宝です。
1933年、佐渡の無名異焼窯元・三浦小平の長男として生まれます。東京藝術大学美術学部彫刻科に進学し、さらに色絵磁器の人間国宝・加藤土師萌のもとで青磁技法を学びました。1961年には新日展で初入選し、以降様々な展覧会で賞を獲得しています。またアジア諸国を巡り、各地の磁器についても研究を行いました。この結果、中国宋代の青磁に強く影響され、以後はこれを目標として制作を行っていきます。
1976年、第23回日本伝統工芸展へ出品した「青磁大鉢」が文部大臣賞を受賞しました。これは故郷佐渡の朱泥土に青磁釉をかけるという、小平二独自の技法でした。この技法が評価され、1997年には重要無形文化財「青磁」保持者に認定されています。
後進の育成にも熱心で、母校東京藝術大学や文星芸術大学の教授として教鞭をとった他、日本工芸会理事なども務めています。
天目茶碗の最高峰とされる「曜変天目」。黒の器に散らばる虹色の輝きはとても美しく、古くから多くの日本人を魅了してきました。作られたのは中国・南宋時代、しかしその記録は無く、詳細は謎に包まれています。世界に存在する完全なものはわずか3点、その全てが日本にあり、全て国宝に指定されています。
古くから珍重されてきた曜変天目ですが、油滴天目とはまた違うその姿の再現に、多くの陶芸家が試行錯誤してきました。しかしながら800年の技術断絶の壁は非常に高く、ときには再現不可能といわれたこともあります。2002年、そんな陶芸界に衝撃をもたらしたのが、林 恭助の発表した曜変天目です。その輝きは古のものにも劣らず、目にした人々を瞬く間に魅了しました。
作品の評はたちまち広がり、日本を飛び出しイギリスの大英博物館、中国北京の故宮博物院に収蔵されるまでとなりました。その功績が評価され、2016年には芸術推奨文部科学大臣賞も受賞しています。また、林は黄瀬戸の制作者としても有名で、岐阜県土岐市の市指定無形文化財「黄瀬戸」の保持者にも認定されています。
七色に輝く曜変天目と、素朴ながら味わい深い黄瀬戸、どちらも魅力ある作品となっており、その評価は今なお上がり続けています。
藤原雄は人間国宝にも認定された備前焼の名工です。
1932年、父・藤原啓も備前焼人間国宝に認定されている陶芸家一族に生まれます。しかし生まれつき視力が非常に弱く、左目はまったくみえなかったといいます。ですが、父・啓の教育方針のおかげで、様々な芸術に触れ、センスを磨いていきました。大学卒業後は一般企業に就職しますが、間もなく帰郷し、父の看病をするとともに、陶芸の技を学びます。
1958年、日本伝統工芸展にて初入選をはたし、64年には海外で個展も開きます。また備前焼についての講義を行ったこともありました。1985年には紺綬褒章も受章し、1996年、ついに父と同じ重要無形文化財「備前焼」保持者に認定されます。
生まれつきの視力の弱さというハンデを背負いながらも、それをものともせず作陶に励んだ彼の作品は、伝統的でありながら、随所に加えた作為的な文様により備前焼に新たな風を加えています。作品は特に壺が多く、こだわりぬいた「牡丹餅」と呼ばれる丸い模様がよいアクセントとなっています。
井上萬二は重要無形文化財(人間国宝)「白磁」を保持する陶芸家です。
1929年佐賀県有田町の窯元の家に生まれます。軍人になることを目指し海軍予科士官学校に入りますが敗戦により復員し、十三代柿右衛門の元で働く事となります。その後初代奥川忠右衛門に影響をうけ、白磁やろくろの技法を学びました。1958年より佐賀県立有田窯業試験場にて技官として勤務し、一方で独学により釉薬の技法などを学んでいきます。1968年に日本伝統工芸展で初入選をはたし、翌年には有田焼指導者として渡米します。その後は国内外を問わず精力的に活動を行い、1987年の日本伝統工芸展では文部大臣賞を受賞。1995年に重要無形文化財「白磁」保持者に認定されます。2002年にはモナコ国王在位45年記念の展覧会も開催し世界的にも高く評価されています。
井上の作品は色に頼らない純白の白磁が特徴です。歪みの一切ない白磁の造形は非常に美しく、究極の白磁と呼ぶにふさわしい存在です。
西中千人は和歌山出身のガラス工芸家です。
大学時代は薬学を専門としていましたが、卒業後はクリスタルガラスメーカーに勤務した後、アメリカに留学してカリフォルニア芸術大学で本格的にガラス造形を学んでいます。帰国後は日本唯一の公立グラスアート専門学校・富山市立富山ガラス造形研究所で助手を務めた後、1998年に独立して「ニシナカユキト GLASS STUDIO」を設立しています。
その作品は、従来のガラス工芸とは全く違う特徴を持っています。「呼継」という陶器の修復方法を参考に、様々なガラス片を、あえてその割れ目を強調するような形で接合していきます。その形は、古来より日本に存在する独特の美意識「不完全の美」を、現代へと継承しているものといえ、さらにその豊かな色彩と光を通すガラスという材質によって、新たな美へと進化をとげています。また日本の伝統文化を大切にする作風から、作品に茶道具が多いのも特徴です。陶器にはないガラス特有の色が、伝統的な形と交わるその姿は、現代の日本美術の姿といえるのかもしれません。
五代伊藤赤水(本名・窯一)は無名異焼窯元・赤水窯の代表であり、人間国宝に認定されている人物です。
1941年、四代赤水の長男として生まれ、京都工芸繊維大学窯業工芸学科を卒業し、家業を受け継ぎました。祖父である三代赤水にその技術を学び、1977年に五代目を襲名します。また1972年の日本伝統工芸展入選から始まり、国内の作品展でその実績を積み重ねていきます。1980年代になると、アメリカのスミソニアン博物館をはじめとした、海外の博物館にも作品を出品し、世界的にも知られるようになりました。
無名異焼は、原料となる酸化鉄を多く含んだ赤土を高温で焼成することでつくられ、作品は赤土の色となるものですが、五代赤水はこれを黒く変色させる「窯変」、異なる色の土を重ね、その断面で模様をつくる「練上」の技法を完成させました。
その功績と技法、そして江戸時代から続く伝統が評価され、2003年に重要無形文化財「無名異焼」保持者に認定されました。