安食 ひろ

安食ひろは、塩釈を用いた作品を得意とし、市松模様に面取りをした胴に金彩その他の彩色を施した「バサラ(婆沙羅」茶碗、塩釈を用いた作品を得意とし、市松模様に面取りをした胴に金彩その他の彩色を施した「バサラ(婆沙羅」茶碗などを製作しています。武蔵野美術大学の油科を中退後ご各地を転々とします。71年から73年にかけてインド・欧州・アフリカなど25か国余りを転々としました。当初の夢であった旅行家で画家を断念し、陶芸を始めます。4年後に塩釉を手がけ、日本伝統工芸展や日本陶芸展に出品します。しかし、これも肌に合わず、各地を転々とし個展を始めるようになりました。オブジェや志野、ガレナ釉、赤絵、スケッチ展をしたり、軸装展をしたりと多才な方で、現在は茶碗をてがけることに落ち着いたそうです。

浅見五郎助(当代)

6代 浅見五郎助(当代)は、代々得意とする三島手、刷毛目手、祥瑞手染付を受け継ぎ、伝統陶芸の道に励んでいます。

歴代についてですが、2代 五郎助(生没年不詳)は磁器による煎茶道具の製作も行い、還暦を境に「五祥」と名乗るようになり、主に茶道具を製作します。3代 五郎助(生没年不詳)は、2代目の養子にあたり、染付、刷毛目、三島手を得意とし、煎茶道具を手がけました。4代 五郎介(1893~1967)は、大正15年(1926)に襲名します。京都陶磁器工業組合理事長等の公職に就きます。帝展に入選し「柘榴(ざくろ)紋花瓶」が賜宮内省御買上になりました。5代目 浅見五郎助(1923~1988)は、京都工芸繊維大学卒業後、1947年より2年間、国立陶磁器試験所において研修します。1967年に5代 浅見五郎助を襲名。三島手を得意として食器の製作までもしていました。

浅見五祥

浅見五祥は、浅見家伝統の御本土を用いた三島手(ミシマデ)、刷毛目手(ハケメデ)、祥瑞手染付(ションズイデソメツケ)を基本として、金彩や錆絵で上絵付けした雅な作品なども手掛けており、茶道具全般のほか懐石道具も製作しています。

・三島手とは、高麗茶碗(こうらいちゃわん)の一種。 灰色の素地(きじ)に細かい文様を縄状に型押しし、その部分に白土を象眼したのち透明な釉(うわぐすり)をかけて焼いたもの。 この文様を三島暦の仮名に見立てての名称で、暦手(こよみで)とも言います。

・刷毛目手とは、高麗茶碗の一種で、李朝初期15~16世紀の南鮮一帯、多くは全羅南道の務安や忠清南道公州郡の鶏龍山(けいりゅうざん)にて焼かれたとされ、三島と同様に、雲鶴に次いで古いと考えられています。

・祥瑞手染付とは、中国明末の崇禎(すうてい)年間(1628~1644)、日本の茶人の注文により景徳鎮窯で作られたといわれる染め付け磁器で、精白の素地(きじ)に鮮やかな青藍色で模様を施します。

 

上野 喜蔵

上野喜蔵は、上野焼、八代焼の祖と言われています。もとは尊楷と言う朝鮮半島の陶工になります。文禄の役(1592~1593年)後、加藤清正に従って来日しました。豊前国(福岡県)小倉藩主細川斎三に招かれて、慶応10年(1605)、田川郡上野郷に陶窯うを築き、郷名にちなんで上野喜蔵高国と名乗るようになります。寛永9年(1632年)、細川家の肥後(熊本県)国替えに従い(国替えとは江戸時代に行われた大名の配置替えのこと)長男忠兵衛、三男藤四郎とともに八代郡高田郷に窯を移しました。次男孫左衛門十時と娘婿の久左衛門渡家は小倉に残り、次の藩主小笠原家に仕えました。晩年、十時甫快(とときほかい)とも言いました。

四代 赤沢露石

四代(当代)赤沢露石(赤沢正中)は、二代赤沢修三の孫にあたります。

京都で代々続く交趾焼(コーチやき)の家に生まれ、京都市立日吉ヶ丘高校美術科を卒業後、交趾焼を祖父の二代赤沢露石(修三)より修得します。

日本伝統工芸展に初入選後、各展で入選を重ます。そして1963年に四代赤沢露石を襲名しました。

線文様をモチーフにした近代的な交趾焼により日本工芸会正会員になり、茶碗・水指・皆具などの茶陶を専らとして、彩色豊かな交趾焼に新しい感覚を取り入れながら、存在感のある作品を創り出しています。

交趾焼は、中国南部で生産された陶磁器の一種です。名称はベトナムのコーチシナ(交趾支那)との貿易で交趾船によりもたらされたことに由来しています。

京都の交趾焼といえば赤沢露石の名が一番に出てくるほど、その名前の浸透した作家さんであります。

河井 寛次郎

「河井寛次郎」という名をみなさん聞いた事はありますか?
大正・昭和にかけて京都を拠点に活動した日本を代表する陶芸家の一人が「河井寛次郎」さんです。

河井寛次郎氏は島根県に生まれ中学生のころから陶芸家を目指していました。
その夢を叶える為に東京高等工業高校(現東京工業大学)窯業科に進学し、その後、京都市立陶器試験場に入所しました。
後に共に民藝運動を行う「濱田庄司」氏とは東京高等工業高校では寛次郎氏が2学上の先輩として出会い、その後の京都市立陶器試験場では同僚として、共に釉薬の研究に切磋琢磨してお互いを磨き上げていきました。

京都市五条坂に工房「鐘渓窯」を住居とともに構えた河井寛次郎は東洋古陶磁の技法を使った作品を初めての個展で発表し大変好評を博しますが、次第に自らの作陶に「このままで良いのか?」と疑問を抱き始めます。
追い打ちをかけるように疑問を抱き始めたと同じタイミングで柳宗悦から酷評を受けさらにその考えに拍車がかかりました。
その後、その疑問は濱田がイギリスから持ち帰ったストリップウェアという陶器を見た事で解消への一歩を踏み出します。
それが日用の器に自分の進む道を見出した事です。
それより、河井寛次郎の作品は一変し、暮らしに溶け込む「用の美」といった作品を多数生み出していきました。

第二次世界大戦で一時作陶を中断しますが大戦後に作陶を再開した時には、大戦の経験を糧に生命感にあふれた力強い作品や、不思議な造形を手掛ける等の新たな美の作風の作品を作り出していきました。
河井寛次郎氏のその芸術性は国内のみならず海外でも高く評価され、人間国宝や文化勲章の授与等もありましたが辞退し、一陶工として焼き物に生涯向き合い続ける事を選択しました。

現在、東山五条に河井寛次郎記念館が建てられています。

青木 木米

青木木米は、江戸後期の陶工,南画家です。 京都祇園の茶屋「木屋」に青木左兵衛の子として生まれました。俗称は八十八、縮めて米と称し、屋号の木を取ってあわせ木米と名乗りました。字は佐平、号は九々麟・百六散人・古器観・聾米など …

小山 冨士夫

小山冨士夫は、日本における中国陶磁器研究の大家として名高い人物ですが、その一方で自ら作陶も行っていました。 1923年、陸軍に志願した際、同期にいた陶器好きの影響を受けたのが、この世界に入るきっかけとなり、1930年には …

藤本 能道

藤本能道は、本焼きの前に色釉により絵付けをする「釉描加彩」という技法を確立し、色絵磁器の人間国宝に認定された人物です。 1919年に現在の東京・新宿に生まれ、中学卒業後は東京美術学校工芸図案部に進みます。卒業後は文部省技 …

三代徳田 八十吉 壺

三代 徳田 八十吉

三代徳田八十吉は、昭和から平成にかけて活躍した九谷焼の陶芸家です。 初代徳田八十吉の孫として生まれ、金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻を中退してからは祖父である初代と二代目に師事し作陶を学びました。1988年に三代目 …

辻村 史朗

奈良の山中で作陶に励む孤高の陶芸家、辻村史朗。我流で作り上げた豪快な造形は、シンプルながら力強さを秘めた作品となっています。 辻村は1947年、奈良県の畜産農家の家庭に生まれます。青年時代に見た大井戸茶碗が彼を陶芸の魅力 …

板谷 波山

板谷波山(本名・嘉七)は、陶芸家として初めて文化勲章を受章するなどの功績を残し、日本近代陶芸の先駆者として活躍した人物です。 1872年に茨城県下館の旧家に生まれ、1887年に上京します。まもなく東京美術学校の彫刻科に入 …

三浦 小平二

三浦小平二は佐渡出身の陶芸家で「青磁」の人間国宝です。 1933年、佐渡の無名異焼窯元・三浦小平の長男として生まれます。東京藝術大学美術学部彫刻科に進学し、さらに色絵磁器の人間国宝・加藤土師萌のもとで青磁技法を学びました …

林 恭助

天目茶碗の最高峰とされる「曜変天目」。黒の器に散らばる虹色の輝きはとても美しく、古くから多くの日本人を魅了してきました。作られたのは中国・南宋時代、しかしその記録は無く、詳細は謎に包まれています。世界に存在する完全なもの …

藤原 雄

藤原雄は人間国宝にも認定された備前焼の名工です。 1932年、父・藤原啓も備前焼人間国宝に認定されている陶芸家一族に生まれます。しかし生まれつき視力が非常に弱く、左目はまったくみえなかったといいます。ですが、父・啓の教育 …

井上 萬二

井上萬二は重要無形文化財(人間国宝)「白磁」を保持する陶芸家です。 1929年佐賀県有田町の窯元の家に生まれます。軍人になることを目指し海軍予科士官学校に入りますが敗戦により復員し、十三代柿右衛門の元で働く事となります。 …

西中 千人

西中千人は和歌山出身のガラス工芸家です。 大学時代は薬学を専門としていましたが、卒業後はクリスタルガラスメーカーに勤務した後、アメリカに留学してカリフォルニア芸術大学で本格的にガラス造形を学んでいます。帰国後は日本唯一の …

五代 伊藤 赤水

五代伊藤赤水(本名・窯一)は無名異焼窯元・赤水窯の代表であり、人間国宝に認定されている人物です。 1941年、四代赤水の長男として生まれ、京都工芸繊維大学窯業工芸学科を卒業し、家業を受け継ぎました。祖父である三代赤水にそ …

島岡 達三

島岡達三は「縄文象嵌」の人間国宝となっている益子焼の陶芸家です。 1919年に東京愛宕の組紐師である父の元に生まれますが、高校生時代に訪れた日本民藝館で、濱田庄司や河井寛次郎の作品に惚れ込みます。こうして陶芸家になること …

富本 憲吉

富本憲吉は「色絵磁器」で人間国宝に認定された陶芸家です。 1886年に奈良・生駒の地主の家に生まれました。東京美術学校へ進学し、建築・室内装飾を学びます。在学中にロンドンへ留学し、西洋の芸術に直に触れることとなりました。 …

藤田 喬平

藤田喬平は、日本のガラス工芸の第一人者として活躍した人物です。 1921年に東京・新宿に生まれ、東京美術学校に入学し、当初は彫金を学んでいました。しかしガラスの美しさに魅せられ、ガラス工芸家へと転向します。1947年に岩 …

隠崎01

隠崎 隆一

隠崎隆一は長崎出身の備前焼作家です。グラフィックデザイナーから陶芸家に転じるという異色の経歴をもつ人物ですが、その独創的な作品は高い評価を受けています。 隠崎は1950年に長崎県の福江市に生まれ、大阪芸術大学にてデザイン …

中里 隆

中里隆は佐賀県出身の唐津焼陶芸家です。 父は唐津焼の人間国宝・十二代中里太郎右衛門で、幼い頃より父から陶芸を教わりました。その後は京都市立工芸指導所、京焼の松原栄一、佐賀県窯業試験場の井上萬二などに指導をうけます。 19 …

鯉江 良二

鯉江良二は愛知県常滑市の陶芸作家です。アルバイト中の事故で、右手の指を2本失うというハンデを抱えながらも、精力的に制作に取り組み続け、その独創的な発想で、従来の焼き物の枠組みを超えた自由な作風が特徴となっています。 青年 …

杉本 貞光

杉本貞光は茶器制作で有名な陶芸家です。大徳寺の立花大亀老師より作陶の指導を受け、その作品は海外でも高い評価を受けています。そのため個展も日本のみならずアメリカやドイツといった海外でも開催されています。 杉本は桃山時代の侘 …