三代徳田八十吉は、昭和から平成にかけて活躍した九谷焼の陶芸家です。
初代徳田八十吉の孫として生まれ、金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻を中退してからは祖父である初代と二代目に師事し作陶を学びました。1988年に三代目を襲名してからは、国際陶芸展でグランプリ受賞や日本陶芸展で出品した「創生」がグランプリ秩父宮賜杯受賞など多くの功績を残しました。1997年に「彩釉磁器」で人間国宝に認定されます。
従来の山水画や花鳥図を作品に描く九谷焼とは違い、色の配色によるグラデーションのみで作品を仕上げる「彩釉」という技法を生み出しました。発色を良くする為に一般的な焼成温度よりも高い温度で焼成を行うのも特徴のひとつです。形も多種多様あり、一般的な花瓶の形状から幾何学な印象を受ける多面的な作品も手掛けます。
青や緑の美しい色合いや独創的な形状の作品は、日本だけでなく海外からも多くの支持を受けております。
奈良の山中で作陶に励む孤高の陶芸家、辻村史朗。我流で作り上げた豪快な造形は、シンプルながら力強さを秘めた作品となっています。
辻村は1947年、奈良県の畜産農家の家庭に生まれます。青年時代に見た大井戸茶碗が彼を陶芸の魅力に引き込み、高校卒業後禅寺で修行した後は、家業を手伝いつつ修練を重ねていました。奈良市水間の山奥に土地を手に入れると、自宅から工房まで全てを自分で建て、以後この場所で作陶に打ち込む事となります。1977年、初めて開催した個展が評判となり、翌年には大阪三越で個展が開催出来るほど有名になりました。90年代にはその名声は海外まで広がり、ドイツやイギリス、アメリカでも個展を開催しています。
誰にも教えを請わず、また弟子をとることもなかった辻村ですが、元総理大臣で現在は陶芸家として活動している細川護煕だけには、その技術を教えています。
また、あまり知られていませんが、陶芸以外に油絵も制作も行っています。
板谷波山(本名・嘉七)は、陶芸家として初めて文化勲章を受章するなどの功績を残し、日本近代陶芸の先駆者として活躍した人物です。
1872年に茨城県下館の旧家に生まれ、1887年に上京します。まもなく東京美術学校の彫刻科に入学し、岡倉天心や彫刻家・高村光雲の指導を受けました。卒業後は石川県工業学校の彫刻科教諭として赴任します。ここで陶芸の指導を行ったことがきっかけで、波山自身も陶芸の道へ進みます。1903年、退職し再び上京して、現在の北区田端のあたりに窯を築きました。
1908年、日本美術協会展への出品作が入賞し、その後は他の展覧会でも賞を獲得するようになります。1917年の日本美術協会展ではついに一等賞金牌の栄誉を手にしました。数々の受賞歴はその地位を盤石なものにしていき、帝国美術院の会員や帝室技芸員に任命など、近代日本の芸術界において最高位と呼べる座に到達します。1953年、陶芸家として初めて文化勲章を受章しました。
波山作品の特徴として「葆光釉」(ほこうゆう)と呼ばれる、波山独自の釉を用いていることがあげられます。絵付けを施したあとにかけるこの釉は、色絵の色調を柔らかなものに変化させ、より絵画的な表現を可能にしました。
陶芸を職人の工芸から、芸術へ昇華させた波山の功績は非常に大きく、その作品は現代でも高い評価をうけ、重要文化財に指定されている物もあります。
三浦小平二は佐渡出身の陶芸家で「青磁」の人間国宝です。
1933年、佐渡の無名異焼窯元・三浦小平の長男として生まれます。東京藝術大学美術学部彫刻科に進学し、さらに色絵磁器の人間国宝・加藤土師萌のもとで青磁技法を学びました。1961年には新日展で初入選し、以降様々な展覧会で賞を獲得しています。またアジア諸国を巡り、各地の磁器についても研究を行いました。この結果、中国宋代の青磁に強く影響され、以後はこれを目標として制作を行っていきます。
1976年、第23回日本伝統工芸展へ出品した「青磁大鉢」が文部大臣賞を受賞しました。これは故郷佐渡の朱泥土に青磁釉をかけるという、小平二独自の技法でした。この技法が評価され、1997年には重要無形文化財「青磁」保持者に認定されています。
後進の育成にも熱心で、母校東京藝術大学や文星芸術大学の教授として教鞭をとった他、日本工芸会理事なども務めています。
天目茶碗の最高峰とされる「曜変天目」。黒の器に散らばる虹色の輝きはとても美しく、古くから多くの日本人を魅了してきました。作られたのは中国・南宋時代、しかしその記録は無く、詳細は謎に包まれています。世界に存在する完全なものはわずか3点、その全てが日本にあり、全て国宝に指定されています。
古くから珍重されてきた曜変天目ですが、油滴天目とはまた違うその姿の再現に、多くの陶芸家が試行錯誤してきました。しかしながら800年の技術断絶の壁は非常に高く、ときには再現不可能といわれたこともあります。2002年、そんな陶芸界に衝撃をもたらしたのが、林 恭助の発表した曜変天目です。その輝きは古のものにも劣らず、目にした人々を瞬く間に魅了しました。
作品の評はたちまち広がり、日本を飛び出しイギリスの大英博物館、中国北京の故宮博物院に収蔵されるまでとなりました。その功績が評価され、2016年には芸術推奨文部科学大臣賞も受賞しています。また、林は黄瀬戸の制作者としても有名で、岐阜県土岐市の市指定無形文化財「黄瀬戸」の保持者にも認定されています。
七色に輝く曜変天目と、素朴ながら味わい深い黄瀬戸、どちらも魅力ある作品となっており、その評価は今なお上がり続けています。
藤原雄は人間国宝にも認定された備前焼の名工です。
1932年、父・藤原啓も備前焼人間国宝に認定されている陶芸家一族に生まれます。しかし生まれつき視力が非常に弱く、左目はまったくみえなかったといいます。ですが、父・啓の教育方針のおかげで、様々な芸術に触れ、センスを磨いていきました。大学卒業後は一般企業に就職しますが、間もなく帰郷し、父の看病をするとともに、陶芸の技を学びます。
1958年、日本伝統工芸展にて初入選をはたし、64年には海外で個展も開きます。また備前焼についての講義を行ったこともありました。1985年には紺綬褒章も受章し、1996年、ついに父と同じ重要無形文化財「備前焼」保持者に認定されます。
生まれつきの視力の弱さというハンデを背負いながらも、それをものともせず作陶に励んだ彼の作品は、伝統的でありながら、随所に加えた作為的な文様により備前焼に新たな風を加えています。作品は特に壺が多く、こだわりぬいた「牡丹餅」と呼ばれる丸い模様がよいアクセントとなっています。