楽道入は江戸時代初期の京都の陶工で、三代目楽吉左衛門家当主です。
楽焼でも屈指の陶工として知られます。本名は吉左衛門、通称「ノンコウ」。独特の艶やかな黒楽釉や明るい赤楽釉を用い、薄作りで大振りな茶碗を制作しました。
代表的な作品には、「獅子」「升」「千鳥」などがあり、これらは「ノンコウ七種」として知られています。
道入は、茶人・芸術家である本阿弥光悦と親しく、彼との交流を通じて楽焼をさらに発展させました。楽焼は、後の時代における日本の陶芸に大きな影響を与え、特に茶道の道具としての地位を確立しました。
彼の作風は、現在も多くの陶芸家や茶道愛好者によって受け継がれており、日本の伝統的な陶芸文化の重要な一部分を担っています。
奥磯栄麓は、1930年に京都で画家の両親のもとに生まれました。
28歳まで洋画家を目指していましたが、桃山時代の陶器と出会い、1960年に岐阜県久々利で窯を開きました。
栄麓は考古学の研究も行い、戦国・桃山時代の陶磁器に関する「極め」にも取り組みました。「極め」とは、鑑定書のような役割を果たす箱書きや書のことであり、考古学の知識を活かした活動の一環といえます。
さらに、愛知県春日井市出身の陶芸家・加藤唐九郎の愛弟子としても知られています。加藤唐九郎もまた、桃山時代の陶磁器を研究していた人物です。
栄麓の作品には、志野焼や鼠志野が多く、徳利やぐい呑みのほか、酒器や茶碗なども見られます。東海地方で活動していたため、黄瀬戸、瀬戸黒、織部などの作品も手掛けていますが、代表的な作品は志野焼です。
特に評価が高い作品の特徴として、志野焼の中でも器肌に紅い溶岩のような模様が入っているものが挙げられます。また、1987年に亡くなる直前の晩年作は希少性が高く、特に高い評価を受けています。
建窯(けんよう)は、中国福建省南平市建陽区水吉鎮付近にあった宋代の名窯です。
特に黒釉の茶盞「建盞」の生産で知られ、兎毫盞、油滴盞、曜変盞など、多彩な釉薬効果を持つ作品が生み出されました。これらは日本に伝わった際に「天目茶碗」と呼ばれ、珍重されました。
宋代には、皇室や貴族の間で「闘茶」という茶の品質を競う遊びが流行し、白い茶の泡を際立たせるために黒釉の茶盞が重宝されました。
近年では、建盞の製作技術が復興され、その独特の美しさが再評価されています。
天目茶碗の価値を決める重要な要素の一つに、「模様の美しさ」があります。黒釉のシンプルなものに比べ、禾目(のぎもく)、玳瑁(たいまい)、油滴、曜変といった模様が施された作品のほうが、より高く評価される傾向にあります。しかし、近年に安価で大量生産された、ギラギラと輝く天目茶碗は評価の落ち着く傾向にあります。
吉川雪堂は、常滑焼を代表するろくろ師です。
現在活躍されている雪堂は二代目であり、父に初代・吉川雪堂、兄に彫師・吉川壺堂がおります。
初代雪堂から技術を受け継ぎ、兄の壺堂と共に作品を制作しています。
雪堂の急須は、完全なまでの滑らかな表面と、1ミリにも満たない薄さの粘土板に500から1000個の穴を開けた独自の茶漉しが特徴です。
この技術は現代の機械でも再現が難しく、彼だけの特別な技とされています。また、急須の形状やデザインにも独自の工夫が施されており、注ぎ口の下の反りや足付きなど、使いやすさと美しさを兼ね備えています。そのため、国内外から多くの人々が彼の急須を求めて常滑を訪れています。
金重道明は岡山県出身の備前焼の陶芸家です。
人間国宝・金重陶陽の長男として1934年に生まれた道明は金沢美術工芸大学工芸科を卒業後すぐに朝日現代陶芸展に初入選しています。これ以降、連続で入選しています。他にも日展や日本伝統工芸展にも入選しています。1960年に渡米し、翌年に帰国。1980年に日本陶磁協会賞を受賞し、1990年には岡山県重要無形文化財の保持者となります。1995年に逝去しました。
その作風は、渡米以前と以後に分けられます。以前は鋭利で不定形な形を好みましたが、渡米以後は轆轤を使い備前焼の伝統である陶土と変窯に力を入れました。また、斬新な造形的な花入れと伝統的な茶陶を行う事でも知られます。
高橋誠は埼玉県出身の陶芸家です。
幼少期は、親の仕事の関係で転勤が多く、各地を転々とする生活を送りました。大学は東京藝術大学陶芸科に進学し、そこで田村耕一と出会い、陶芸を学びます。大学院まで進んだ後、卒業後は藤本能道を訪ね、師事しました。
藤本能道のもとでは、絵付けと釉薬の研究を行いながら作陶に励み、日本各地で数多くの個展を開催しました。絵付けの技術に関しては、藤本能道の弟子の中でも一、二を争う腕前を持っていました。特に、藤本が得意とした「余白を活かし、空間を表現する絵付け」を受け継ぎ、それを自分の表現として確立しています。
高橋が最も得意としたのは、花鳥を描いた図柄です。どの角度から見た鳥でも正確に描くことができ、花鳥図の作品には、作品の裏に鳥の名前が書かれていることが特徴です。この花鳥図は高橋誠の代表的な作風であり、花鳥図の作品とそれ以外の作品では、評価に大きな差が生じるほどでした。
主に多く制作されたのは色絵付の作品ですが、染付作品も手がけています。染付においても色絵付と同様に、花鳥図柄の評価が高く、彼の陶芸の特徴の一つとなっています。