市野雅彦(いちの まさひこ)は、兵庫県丹波篠山市出身の現代陶芸家で、丹波焼(丹波立杭焼)の伝統を受け継ぎながらも、独自の造形美やコンセプトを追求する作家です。
丹波の土「赤土部(あかどべ)」を用いた深い赤と黒のコントラストに装飾をそぎ落としたシンプルで緊張感ある造形美が特徴です。
「線紋」と表題される、削り出しの線文様によるリズム感のある作品が高い人気を持ちます。
作品単体だけでなく、展示空間や庭づくりも含めて「全体を作品」として構成する姿勢が見て取れます。
優れた造形力、素材への深い敬意、そして自然との共創を軸とした創作哲学が作品に力強く反映されており、国内外で高く評価されています。
長次郎(初代 樂 吉左衛門)は、安土桃山時代に活躍した陶芸家で、「樂焼」の創始者として知られています。
樂焼のルーツは中国・明時代の三彩陶にあり、日本で三彩釉が流行し始めた頃、長次郎は既にその技術を持っていたとされています。
1574年には「二彩獅子像」を制作し、天正年間に茶人・千利休と出会います。
そして「わび茶」の理念に沿った、茶の湯に特化した茶碗制作に取り組み始めました。
これまでの茶碗とは一線を画す、素朴でありながら力強い美を追求し、その作品は当時の人々に新鮮な驚きを与えました。
樂焼は軟質施釉陶器といい、手捏ねやへら削りによる成形、黒釉や赤釉が特徴です。
長次郎の精神と技術は後世の樂家当主に受け継がれ、現在も茶道文化に深く根付いています。
浅野 陽は1923年、東京都本郷に生まれました。幼少期から芸術に興味を持ち、漆作品の勉強に励みました。その後、東京美術学校で富本憲吉や藤本能道らの作品に触れ、強く感銘を受け、自らも陶芸作家の道を志しました。1962年に入賞を果たすと、個展や展示会に作品を出品するなど、精力的に活動を展開しました。1976年には東京芸術大学の教授に就任し、後進の育成にも尽力しました。
また、浅野は絵画だけでなく食にも造詣が深く、食通としても知られています。「陶芸における美は使わないと半減される」という信念のもと、作品を制作してきたため、鉢や皿など日常的に使える食器作品が多く見られます。
日用とユニークさが融合した独特のデザインは、現在も多くの人々に愛されております。
金重愫(かねしげ まこと)は岡山県出身の陶芸家です。1945年に備前焼の名工である金重素山の長男として生まれ、叔父には金重陶陽がいます。
京都大学農学部を卒業後、父である金重素山に師事し1979年に独立しました。現在は備前焼をはじめ、信楽焼、鉄絵、灰釉など様々な技法を用いて茶碗や酒器などを制作しています。
彼の作品は繊細で優雅な土味と力強い造形の調和が特徴とされており、特に酒器の分野で高く評価されています。ぐい吞みや徳利は手に取ったときのしっくり馴染む感触と酒を注いだ時の滑らかな口当たりが数多くの愛好家を引き付けています。
装飾をできるだけ排し、土に真っすぐ向き合うことに拘った作風で、深い焼成による激しい窯変や自然で奥に秘めた力強さを感じさせる作品を数多く生み出しています。
山本長左氏は石川県加賀市で活躍する九谷焼の陶芸家で、「藍九谷」と呼ばれる染付け技法に優れた作品を制作されています。
型打ちによる素地に呉須で直接描く染付けは、焼成後に鮮やかな藍色に変化し、独特の風合いを生み出します。1990年には宮内庁から依頼を受け、天皇皇后両陛下の御紋入器を制作するなど、皇室や政府関連の重要な器も手掛けてこられました。工房「妙泉陶房」では、絵付けを長左氏が担当し、弟の篤氏が成形を行い、弟子とともに日常使いの器を制作。弟子は3年で独立させる方針を取り、個々の個性を尊重した分業体制を整えています。長左氏の作品は美しい染付けと使いやすさで多くの人々に愛され、食卓に豊かな時間をもたらしています。
加藤舜陶は1916年愛知県に生まれました。
初代加藤作助は曾祖父にあたり、灰釉を主軸とした作陶に生涯を捧げました。1937年に作陶を始め、瀬戸陶芸協会に参加し研鑽を重ね、「灰釉の舜陶」と称されました。
灰釉は平安時代から続く伝統の釉薬で、特に江戸時代の御深井釉を現代のガス窯で生かし、透明感のある独自の作品を生み出しました。
昭和25年に日展で初入選し、その後特選北斗賞や内閣総理大臣賞など多くの賞を受賞しています。
平成3年には瀬戸市無形文化財、平成6年には愛知県指定無形文化財の保持者に認定されました。また、日展や公募展の審査員、瀬戸陶芸協会会長も務め、後進の指導にも熱心に取り組まれました。伝統を重んじつつ新しい感覚を取り入れ、瀬戸陶芸の発展に大きく貢献した陶芸家です。