中林 竹洞

中林 竹洞は、江戸時代後期を代表する南画(文人画)家です。
名を成昌、字を伯明、通称を大助といい、画号は「竹洞」をはじめ複数の別号を用いました。
尾張を拠点としながら京都を中心に活動し、近世日本の文人画壇において重要な役割を果たしました。

1776年、名古屋にて産科医師のもとに生まれ、14歳で南画の先駆者・山田宮常に師事。その後、豪商・神谷天遊の庇護を受け、山本梅逸らと古画の模写を通じて画技を磨きました。若くして画才を認められ、20歳前後には画業によって身を立てるようになったと考えられています。

1802年には梅逸と上京し、元・明代の絵画や古社寺を巡り研鑽を積みます。同時期に頼山陽貫名海屋といった文人とも交流を重ねました。1813年以降は『平安人物志』に名を連ねるなど高く評価され、山水画や四君子図を得意としながら、中国文人画を範とした独自の高雅な画風を確立しました。

多作で構図や趣向に共通性のある作品も多い一方、晩年作では筆数を抑え、より素直に自身の心情を映し出した表現によって画業の成熟を示しました。

また、竹洞は『画道金剛杵』、『竹洞画論』といった画論をはじめ、歌論や国家論など多くの著書を残しています。

都路 華香

路華香(つじかこう)は、日本の明治後期~昭和初期にかけて京都で活躍した日本画家です。

都路は京都市内で生まれ、満9歳で幸野楳嶺の画塾に入門。竹内栖鳳・菊池芳文・谷口香嶠とともに「楳嶺四天王」と称されました。明治時代後期から大きな展覧会にも参加し、内国勧業博覧会、新古美術品展などで受賞したほか、1907年の第1回文展(文部省美術展覧会)以降も出展を続けました。

彼は伝統的な四条派の写実に根ざしつつも、波や自然の動きを題材にした斬新な表現と、装飾性の強い彩色を特徴としています。また、動植物や鳥類などのモチーフも作品にみられ、自然の生命感や躍動を画面構成の中で強調していると考えられます。

また、大正時代には美術教育にも力を入れ、帝国美術院会員として活動する傍ら、京都市立絵画専門学校および京都市立美術工芸学校で教員や校長を務め、後進の育成にも尽力しました。

京都画壇を代表する画家の一人であり、現在でも専門家や愛好家の間で注目されている作家です。

欧豪年

欧豪年は現代台湾画壇の第一人者として知られる中国出身の水墨画家で、嶺南派の代表的な画家です。1935年に高東省で生まれ、17歳で嶺南派の巨匠である趙少昂に師事し、その画技を継承しました。

嶺南画派の画風を受け継ぎながら、伝統的な技法に西洋の要素や現代的な感覚を取り入れた中西融合の独自の画風が特徴となります。

その作品は山水、花鳥、人物、動物などの幅広い題材を扱い、特に山水画における水の表現や生気にみちた虎の描写などで高い評価を受けています。

彼の作品は嶺南派特有の鮮やかな色彩と、伝統的な水墨画の余白や骨法を融合させた力強い気勢と生き生きとした表現が特徴です。

晩年には詩調や書道も画中に深く溶け込ませ、東洋の人文精神を体現する現代画家の一人として、国際的にも高く評価されています。

 

曾我 蕭白

曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。
独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。

彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。

1730年に京都の商家に次男として生まれ、「高田敬輔」に師事したとされています。
両親と兄妹がいましたが、彼が11歳の時に兄が亡くなり、その3年後に父親、また3年後に母親が亡くなりました。

彼は、二十代~三十代にかけて伊勢や播州を巡りながら作品を制作しました。

大胆にデフォルメされ、荒々しく奇抜に描かれた作品はどこか妖しげな印象を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。
このような作風は、当時から現代においてもなお、見た人が忘れられなくなるほどの衝撃を与え続けています。

代表作には『群仙図屏風』『旧永島家襖絵』などがあります。

賈又福

賈又福は、山水画を得意とする中国の画家です。

1942年、賈又福は中国河北省に生まれました。

中央美術学院に通い、卒業後は「李克然」に師事しました。
現在では、母校で教授を務めています。

彼は、中国北部の太行山脈を題材とした作品を多く描きました。

太行山脈は、中国の水墨山水画において重要な画家である「荊浩」などの作品で、イメージのもとになった土地だとされています。

墨の濃淡を使い分け、力強く自然の存在感を表現しているのが特徴的です。
山肌の質感や雲の流れなど、細部までこだわられたその作風は、何度も山に登り全身で感じた彼にしか描けないものなのかもしれません。

中国や台湾で個展を開き、日本を含めた10以上の国と地域で展示されるなど、今でも高い評価を受けています。

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。

惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。

周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされています。

はじめは東福寺(京都府)に住んでいましたが、雪舟の死後は「雲谷庵(山口県)」を継いで、二代目庵主になったとされています。

周徳は、仏画や花鳥画などを題材とした幅広い作品を手掛けました。

墨の滲みやぼかし、濃淡を巧みに使い、立体感や自然の空気感を表現しています。

静かな美しさを感じさせるような、落ち着いた構図も魅力的です。

代表作には『山水図』『紙本墨画布袋図』などがあります。

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。 1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。 40歳で聖福寺の住職となり、6 …

即非 如一

即非如一は、江戸時代前期に中国・明から日本へ渡来した臨済宗の僧侶です。 1616年、福建省福州府福清県に生まれた如一は、早くに父親を亡くしました。18歳で出家した後、黄檗宗の開祖である「隠元隆琦」に師事しています。 隠元 …

郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。   宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画 …

狩野 芳崖

狩野芳崖は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本画家です。 狩野派の伝統を受け継ぎつつ、近代的な絵画技法を積極的に取り入れたことで知られています。   彼は、西洋画の技法を日本画に融合させることによ …

狩野 正信

狩野正信は、室町時代後期の絵師です。 狩野派の創始者として、日本の絵画史において重要な位置を占めています。   正信は京都で生まれ、仏教や神道に関わる絵を手掛ける家系に育ちました。正信の絵は、写実的な技法と華や …

狩野 永徳

狩野永徳は、安土桃山時代を代表する絵師であり、狩野派の最も重要な画家として広く知られています。   狩野派は、室町時代後期に創設され、特に戦国時代から江戸時代にかけて、豊富な絵画依頼を受けて華やかな装飾画を数多 …

竹田 益州

 竹田 益州は昭和を代表する臨済宗の僧侶です。法諱は宗進、道号は益川、室号は金剛窟です。   1896年大分で生まれ、尋常小学校3年の時近くの施恩寺という禅寺に5、6日滞在したことが縁となり、1906年に滋賀県大津市堅田 …

伊藤 若冲

伊藤 若冲は「動植綵絵」で現代になってから人気が爆発したとてもめずらしい絵師です。 江戸時代中期に京都の青物問屋「桝源」の長男として生まれ、その時は8代将軍徳川吉宗の財政改革(享保の改革)により幕府の財政を立て直し、町衆 …