曾我 蕭白

曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。
独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。

彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。

1730年に京都の商家に次男として生まれ、「高田敬輔」に師事したとされています。
両親と兄妹がいましたが、彼が11歳の時に兄が亡くなり、その3年後に父親、また3年後に母親が亡くなりました。

彼は、二十代~三十代にかけて伊勢や播州を巡りながら作品を制作しました。

大胆にデフォルメされ、荒々しく奇抜に描かれた作品はどこか妖しげな印象を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。
このような作風は、当時から現代においてもなお、見た人が忘れられなくなるほどの衝撃を与え続けています。

代表作には『群仙図屏風』『旧永島家襖絵』などがあります。

賈又福

賈又福は、山水画を得意とする中国の画家です。

1942年、賈又福は中国河北省に生まれました。

中央美術学院に通い、卒業後は「李克然」に師事しました。
現在では、母校で教授を務めています。

彼は、中国北部の太行山脈を題材とした作品を多く描きました。

太行山脈は、中国の水墨山水画において重要な画家である「荊浩」などの作品で、イメージのもとになった土地だとされています。

墨の濃淡を使い分け、力強く自然の存在感を表現しているのが特徴的です。
山肌の質感や雲の流れなど、細部までこだわられたその作風は、何度も山に登り全身で感じた彼にしか描けないものなのかもしれません。

中国や台湾で個展を開き、日本を含めた10以上の国と地域で展示されるなど、今でも高い評価を受けています。

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。

惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。

周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされています。

はじめは東福寺(京都府)に住んでいましたが、雪舟の死後は「雲谷庵(山口県)」を継いで、二代目庵主になったとされています。

周徳は、仏画や花鳥画などを題材とした幅広い作品を手掛けました。

墨の滲みやぼかし、濃淡を巧みに使い、立体感や自然の空気感を表現しています。

静かな美しさを感じさせるような、落ち着いた構図も魅力的です。

代表作には『山水図』『紙本墨画布袋図』などがあります。

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。

1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。

40歳で聖福寺の住職となり、62歳まで勤めました。寺院の再建や、弟子の育成に尽力し、隠居後は多くの絵画作品を制作しました。

仙厓は、上手い絵にこだわらず、ルールを定めず、自由に描くという意味の「厓画無法」をモットーとしていました。社会の常識や圧に屈しない、強い反骨精神を表した逸話が、数多く残されています。

仙厓が描く温かい作品には、人生の教訓や本質、禅の教えが込められています。時代を超えてもその本質は変わることなく、現代にも通ずる部分が多くあるのではないでしょうか。

代表作に『〇△▢』『犬図』『指月布袋画賛』などがあります。

即非 如一

即非如一は、江戸時代前期に中国・明から日本へ渡来した臨済宗の僧侶です。

1616年、福建省福州府福清県に生まれた如一は、早くに父親を亡くしました。18歳で出家した後、黄檗宗の開祖である「隠元隆琦」に師事しています。

隠元に招かれ来日してからは、崇福寺(長崎県)の復興に尽力しました。

1663年になると萬福寺(京都府)に移り、2年後には福聚寺(福岡県)を創建してその開山となりました。

その後、崇福寺に隠居し亡くなるまでここで過ごしました。

隠元隆琦、その弟子の木庵性瑫、即非如一を含めた3人は「黄檗の三筆」と呼ばれ、書の高い技術や知識を称えられました。

如一は、詩や観音・羅漢・蘭竹を題材にした絵を多く描いたことでも知られています。

郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。

 

宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画の頂点を築いた人物として知られています。

 

彼の作風は、自然の奥行きや広がりを表現する革新的な技法で特徴づけられます。
特に有名なのは、郭煕が自著『林泉高致』で論じた「三遠」と呼ばれる表現技術です。高さを感じさせる「高遠」、奥行きを強調する「深遠」、そして広がりを見せる「平遠」という三つの視点を巧みに組み合わせ、壮大な風景の立体感と空間の広がりを描き出しました。
筆致は力強くも繊細で、山や川、霧といった自然の要素を生き生きと表現し、静謐な中に動きを感じさせる独特の美しさを放っています。

 

彼の代表作である『早春図』は、冬の終わりから春の訪れを描いた名作として知られ、濃淡の変化や霧の表現が非常に巧みです。この作品は、現在台北の国立故宮博物院に所蔵されており、宋期の至宝として語り継がれております。

 

狩野 芳崖

狩野芳崖は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本画家です。 狩野派の伝統を受け継ぎつつ、近代的な絵画技法を積極的に取り入れたことで知られています。   彼は、西洋画の技法を日本画に融合させることによ …

狩野 正信

狩野正信は、室町時代後期の絵師です。 狩野派の創始者として、日本の絵画史において重要な位置を占めています。   正信は京都で生まれ、仏教や神道に関わる絵を手掛ける家系に育ちました。正信の絵は、写実的な技法と華や …

狩野 永徳

狩野永徳は、安土桃山時代を代表する絵師であり、狩野派の最も重要な画家として広く知られています。   狩野派は、室町時代後期に創設され、特に戦国時代から江戸時代にかけて、豊富な絵画依頼を受けて華やかな装飾画を数多 …

竹田 益州

 竹田 益州は昭和を代表する臨済宗の僧侶です。法諱は宗進、道号は益川、室号は金剛窟です。   1896年大分で生まれ、尋常小学校3年の時近くの施恩寺という禅寺に5、6日滞在したことが縁となり、1906年に滋賀県大津市堅田 …

伊藤 若冲

伊藤 若冲は「動植綵絵」で現代になってから人気が爆発したとてもめずらしい絵師です。 江戸時代中期に京都の青物問屋「桝源」の長男として生まれ、その時は8代将軍徳川吉宗の財政改革(享保の改革)により幕府の財政を立て直し、町衆 …