田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。
1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道に進むこととなりました。
絵を描き始めたのは20歳頃で、地元の画家から学ぶ形で始まりました。竹田が本会句的に芸術一筋となったのは37歳であり、芸術家としては遅い年齢でした。しかしながらその深い教養や力量から豊後南画の始祖と呼ばれるまでになり、また帆足杏雨・後藤碩田・高橋草坪・田能村直入のいわゆる竹田門下四天王と呼ばれる優れた後継者を残しております。
竹田の作品は南画と呼ばれるいわゆる中国の画法でした。南画の基本的な考えは、たくさんの知識を付け、自然を身体で感じ、それを絵に表すというものでした。その中でも竹田は知識への探求が熱心であり、良い絵を描くためにはたくさんの知識と、旅をして得る事ができる見聞や体験が必要であると語り、それを実行に移していたのでした。
竹田は筆まめといえるほど数多くの作品を残しており、その作品は全国の美術館に所蔵されております。京都の出光美術館には竹田の作品が200点近くも所蔵されています。機会があれば、是非一度足を運んでみてください。






