濱田 観

濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。
大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学校で研鑽を積み、帝展への入選を果たしました。
晩年も精力的に制作を続け、代表的な花鳥画や鯉をモチーフにした作品を次々と発表。柔らかで幽玄な筆致と淡い色彩が特徴です。

代表作には、日展で特選を受賞した「芥子」や「蓮池」、文部大臣賞を受けた「朝」、日本芸術院賞の「彩池」などがあります。これらの作品はいずれも、静謐で幽玄な自然の風景を描き、彼の画風の魅力をよく伝えています。

勝 海舟

勝海舟は、幕末から明治期にかけて活躍した政治家・軍人・思想家で、日本の近代化に大きな影響を与えた人物です。

勝海舟は、幕府海軍の創設に力を尽くし、日本の近代海軍の基礎を築きました。1860年には咸臨丸に乗って、日本人として初めて太平洋横断航海を成功させています。また、西洋の海洋技術を積極的に取り入れるなど、海軍の近代化を強く推進しました。

中でも特に有名なのが、1868年の江戸無血開城です。西郷隆盛との会談を通じて、戦火を避けた平和的な城の引き渡しを実現しました。これにより、戊辰戦争での無駄な犠牲を避けることができたのです。この行動は、勝の現実的で平和的な考え方をよく表しています。

また、教育者・思想家としても大きな役割を果たしました。神戸海軍操練所や海軍兵学寮などで多くの人材を育て、西洋の科学技術や思想を積極的に取り入れる姿勢は、多くの志士たちに影響を与えました。『海舟日記』などの著作も残しており、当時の様子を知る貴重な資料となっています。

明治新政府でも、海軍卿などの役職を務め、1885年には伯爵に任じられました。その後も、元老院議官や枢密顧問官として新政府に貢献しています。

坂本龍馬とも深い関係があり、龍馬に大きな影響を与えたことでも知られています。開かれた進歩的な考え方は多くの人に支持され、今もその精神は語り継がれています。

書画作品などを残しており、現在でも美術的評価を得ております。

東皐 心越

東皐 心越は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧です。

心越は、1639年に中国浙江省で生まれました。
幼い頃より仏門に入り、1676年に清による圧政から逃れるため、日本へ亡命しました。

長崎に移住し、日本各地を訪れていた彼は、清のスパイと疑われ幽閉されました。
しかし、半年ほど経った頃に水戸藩の「徳川光圀」の尽力により釈放されます。
その後は水戸に移り、中国の文化を伝えるとともに光圀との親交を深めました。

心越と光圀に関するこんな逸話も残されています。

『ある日光圀は、心越の力量を試すため茶室に呼んだ。
心越がお茶を口にしようとした瞬間、準備しておいた鉄砲を家来に一発放たせた。
しかし、心越は落ち着いて一滴もこぼさず飲み干した。

光圀が「失礼した」と詫びると、「鉄砲は武門の常、ご配慮無用」と答え、安心した光圀はお茶を飲もうとした。
その時、心越は「喝」と大声で一喝。光圀の手は思わず震え、茶碗を落としてしまうが、心越は「喝は禅家の常でございます」と言った。』

と、このように心越を試そうとしたのにかえって自分が試されてしまったのです。

彼は、詩文書画篆刻などに優れており、中国の様々な文化を日本に伝え、日本の発展に貢献しました。
また、日本における琴楽の中興の祖とされています。

織田 一磨

織田一磨は、主に都市の風景を描いたことで知られる版画家です。

生まれは東京ですが、12歳の頃に大阪へ移りました。
16歳になると、石版画工をしていた兄から石版画の技術を学びました。
その後1903年に東京へ戻り、川村清雄から洋画を学びました。

さらに「オットマン・スモリック」「金子政次郎」から石版画を学んだとされています。

葛飾北斎をはじめとした浮世絵の世界に心酔し、浮世絵の研究をしながら自身の作品制作の参考にもしていました。

彼は、時代とともに移り変わる街並みを作品に残しました。
主に東京を題材にしたものが多く、大震災前後の異なる姿が描かれた2つの作品は、織田の代表作として知られています。

代表作には『東京風景』『大阪風景』『憂鬱の谷』などがあります。

山本 梅逸

山本 梅逸は、花鳥図を得意とした文人画家で「尾張南画の巨匠」と称されています。

1783年、梅逸は名古屋に生まれました。
幼い頃から絵が好きだった彼は、12歳で見事な襖絵を描きあげ周囲を驚かせたという逸話があります。
父親を早くに亡くしましたが、教育熱心だった母親から和歌を教わりました。

はじめは狩野派山本蘭亭に絵を学びました。
蘭亭は彼の絵の才能を見抜き、次に四条派張月樵の下で学ばせました。
その後、中国絵画コレクターだった富豪「神谷天遊」のもとで修行をしました。

1802年に天遊が亡くなると、兄弟子の中林竹洞と共に京都へ赴きました。
一度は名古屋に戻りましたが、1832年に再び京都へ出ると人気が高まり、南画家としての地位を確立しました。

彼は巧みな筆使いで、柔らかな花や自然の立体感、生物の動きを表現しました。
花鳥図を得意としていましたが、笛や煎茶道にも造詣が深かったといいます。

彼の作品には『文豹図』『墨梅図』『四季花鳥図』などがあります。

曾我 蕭白

曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。
独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。

彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。

1730年に京都の商家に次男として生まれ、「高田敬輔」に師事したとされています。
両親と兄妹がいましたが、彼が11歳の時に兄が亡くなり、その3年後に父親、また3年後に母親が亡くなりました。

彼は、二十代~三十代にかけて伊勢や播州を巡りながら作品を制作しました。

大胆にデフォルメされ、荒々しく奇抜に描かれた作品はどこか妖しげな印象を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。
このような作風は、当時から現代においてもなお、見た人が忘れられなくなるほどの衝撃を与え続けています。

代表作には『群仙図屏風』『旧永島家襖絵』などがあります。

清巌 宗渭

清巌 宗渭は、江戸時代前期に活動した臨済宗の僧です。 近江(滋賀県)に生まれ、9歳で大徳寺の「玉甫紹琮」について得度しました。 師が亡くなると「賢谷宗良」のもとにつきました。 のちに大徳寺第170世を務め、多くの寺院の開 …

隠元 隆琦

隠元 隆琦は、中国福建省生まれの禅僧です。 臨済宗や曹洞宗と並ぶ、日本の三大禅宗のひとつである「黄檗宗」の開祖として知られています。 1592年に福建省で生まれた隠元は、28歳で出家。35歳で悟りを開きました。 長崎の唐 …

賈又福

賈又福は、山水画を得意とする中国の画家です。 1942年、賈又福は中国河北省に生まれました。 中央美術学院に通い、卒業後は「李克然」に師事しました。 現在では、母校で教授を務めています。 彼は、中国北部の太行山脈を題材と …

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。 惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。 周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされ …

小堀 遠州

小堀 遠州は、江戸時代初期に活躍した茶人・作庭家・建築家です。 「遠州」という名前は通称であり、本名は「小堀 政一」です。 1579年、近江国(現在の滋賀県)に生まれた遠州は、父親から英才教育を受けて育ちました。 159 …

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。 1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。 40歳で聖福寺の住職となり、6 …

即非 如一

即非如一は、江戸時代前期に中国・明から日本へ渡来した臨済宗の僧侶です。 1616年、福建省福州府福清県に生まれた如一は、早くに父親を亡くしました。18歳で出家した後、黄檗宗の開祖である「隠元隆琦」に師事しています。 隠元 …

細井 広沢

細井 広沢は、江戸時代中期に活躍した儒学者・書家・篆刻家です。 1658年、遠江国掛川(現在の静岡県)に生まれた細井は、11歳で江戸に出ました。 その後は、1672年から坂井漸軒に「朱子学」を、1677年から北島雪山・都 …

伊藤 蘭嵎

伊藤 蘭嵎は、江戸時代中期に活躍した儒学者です。 1694年、蘭嵎は儒学者の「伊藤仁斎」の五男として京都に生まれました。 父親の仁斎は、一般的な朱子学よりも古義学こそ正しい儒学であると考え、町民に学問を広めた人物です。 …

李迪

李迪は、中国の南宋時代(1127年-1197年)に活躍した宮廷画家です。 李迪に関する情報は少なく、生没年は不明ですが河陽出身とされています。 花鳥画や動きのある作品が得意で、南宋時代を代表する画家の一人として知られてい …

東洲斎 写楽

東洲斎 写楽は1794年~1795年と短い期間のみ活動した謎多き浮世絵師です。 10か月程度の活動期間にもかかわらず、役者絵を中心に140点以上もの作品を発表。その後は忽然と姿を消し、残ったのは彼の作品だけでした。 写楽 …

鳥文斎 栄之

鳥文斎栄之は、江戸時代後期に活躍した武家出身という異色の経歴をもつ浮世絵師です。美人画を中心に多彩な作品を手掛け、「十二頭身」という独自の様式を確立しました。 1756年、栄之は祖父の代から「江戸勘定奉行」を任されていた …

菱川 師宣

「浮世絵の祖」と呼ばれる菱川師宣。これまで絵入本の挿絵程度に捉えられていた浮世絵版画を一枚の芸術作品として確立させ、江戸の庶民文化の中での美人画や風俗画の発展に貢献しました。 菱川の生年については、1618年(元和4年) …

鳥居 清信

鳥居 清信は、江戸時代中期の浮世絵師です。 歌舞伎劇場の絵看板などを手掛けていた父、鳥居清元から絵を学びました。 「役者絵」を浮世絵版画の重要な画題として確立させ、現代にまで続く「鳥居派」の祖と言われています。 役者の筋 …

北尾 重政

北尾重政は「北尾派の祖」として知られている江戸時代中期の浮世絵師です。 生家が書肆を営んでいたため、幼い頃から書物や版画に触れ、俳諧や書道、絵も得意という多才な子供でした。それからは様々な絵師の画風を参考にしながら独学に …

郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。   宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画 …

董 寿平

董寿平は、中国の著名な画家・書家です。   山西省出身で、生家には膨大な絵画や書画のコレクションがありました。そんな周囲の影響を受け、画家・書道家としての基礎を築き上げました。 1926年に北京の東方大学を卒業 …

織田 信長

織田信長は、戦国時代に活躍した日本随一の知名度を誇る武将です。 尾張(現在の愛知県)に生まれ、若くして織田家の当主となった彼は、型破りな発想と大胆な行動力で急速に勢力を拡大していきました。   1560年、今川 …