高橋 草坪

高橋草坪は日本の文人画家です。

文化元年頃に現在の大分県杵築市の商家・槇屋(高橋氏)休平の次男として生まれました。

本名は雨、字は草坪、元吉、通称は富三郎と言い、草坪はその号で、他に草坪寒民、草坪間人、草坪逸人などと号しました。

幼いころから絵に興味があり画才を現わしていた草坪は同郷の長谷部柳園に画を学びましたが、文政5年に田能村竹田が杵築を訪れたのを機に竹田に入門。その後竹田に画才を認められ、文政6年頃には竹田に従って初めての京遊に出ました。

そして竹田の友人である菅茶山、頼山陽、雲華上人、浦上春琴岡、田半江ら錚々たる文人と接して学問や作画の指導を受ける中で草坪の画技は一気に深まり、竹田の教え通りに世俗的な画風に染まることなく、勢力的に画技の追究を続けて行きました。

文人画家として名声も高まりますが、天保6年頃(所説あり)病により夭折しました。著書に家屋と人物描法のみを整理した『撫古画式』があります。

 

十三代 徳翁宗守 有隣斎

十三代 徳翁宗守 有隣斎は武者小路千家十三世家元です。

名は宗守、号は有隣斎・徳翁・宗安などで、聴松宗守に師事しています。

1913年に生まれ、第三高等学校をへて京都帝国大学文学部に進み国史学を専攻し、卒業後も大学院で日本文化史の研究に当たりました。

卒業後に武者小路千家12代聴松宗守(愈好斎)の娘千澄子と結婚、12代聴松宗守には息子がいなかった為婿養子となり、53年に13世宗守を襲名しています。

大学で学んだ知識を活かし、51歳で国内初となる茶道専門学校「千茶道文化学院」を開校、翌年には財団法人官休庵を設立させます。

大学での経験や学力、知識を持ち、茶儀に自らの学識を活かすなど聴松宗守と同じく学究肌の茶匠でした。

1983年の秋、古稀を境に徳翁の号を受け、1989年76歳の時に家督を長男に譲り、自身は宗安の号を襲名し隠居しました。

自分の意見を曲げず常に高みを目指し続け、茶道界において大変貴重な存在でありましたが86歳で逝去。著書に「利休とその道統」「新修茶道妙境」「茶花十講」などがあります。

黒田 悦子

黒田悦子は日本の画家です。

1942年、宮城県・石巻市に生まれました。

1962年に女子美術大学付属中等科入学し、1968年大調和展新人賞を受賞。
1971年女子美術大学専攻科を修了、その後シェル賞展で佳作を受賞など入選を重ね、1975年第14回大調和展で大調和賞を受賞しました。

その翌年には大調和展武者小路賞受賞し、1977年大調和会委員となりました。

1988年上野・東京都美術館にて開催された第27回大調和展では文部大臣賞を受賞、個展も三越・東武・東急などでたびたび開催しています。

また大調和会運営委員としても活躍し、作品は質感描写が見事な文楽人形や椿で高く評価されています。

キャンパスに金箔地、油彩でのモチーフ描写という特徴的な手法を用いた作品が多く、日本、西洋の絵画的手法が織り交ぜられ独自の華やかさがあります。

大綱 宗彦

大綱宗彦は江戸時代後期の臨済宗の僧侶です。

安永元年京都に生まれ、6歳の時に大徳寺黄梅院、融谷宗通の下で得度を受け臨済宗大徳寺派の僧侶となりました。

臨済宗は仏の道を説くとともに茶の湯や書画をたしなむことを奨励した宗派であり、大網宗彦も茶の湯に造詣が深く、表千家の10代千宗左、裏千家の11代千宗室といった茶人らとも交流を持っていました。

他にも詩歌・書画に優れ、和歌は武者小路公隆に学び、千種有功や高松公祐、清水谷公正、賀茂季鷹らと親交し、生涯に2万余首の詠歌と3千数百の詩偈を作ったとされています。

師の跡を継ぎ黄梅院14世となった後、文政3年49歳の時に勅を奉じて開堂し大徳寺430世となりました。

晩年まで詩歌や書画、茶の湯を楽しむ悠々自適な日々を送っており、安政7年に89歳で示寂しました。

竹田 益州

 竹田 益州は昭和を代表する臨済宗の僧侶です。法諱は宗進、道号は益川、室号は金剛窟です。
 

1896年大分で生まれ、尋常小学校3年の時近くの施恩寺という禅寺に5、6日滞在したことが縁となり、1906年に滋賀県大津市堅田の臨濟宗大徳寺派祥瑞寺に入寺。翌1907年11歳で大友宗忠について得度を受けました。

1911年に京都紫野連合般若林に入学し、梶浦逸外、林恵鏡らと共に4年間学び、1918年より滋賀県堅田の祥瑞寺住職に就任。その後禅門高等学院教授、大徳寺山内塔頭の臨済宗大徳寺派大仙院住職、大徳寺執事長などを歴任します。

そして1954年に建仁寺住職、及び建仁寺派管長に就任。1989年まで臨済宗建仁寺派第八代管長を務めました。
 

1983年には建仁寺方丈で米寿祝賀会が開催され、竹田益州画帖「落草餘事」が記念出版されました。茶道の深い知識や見識を持っていた益州は多くの自筆書や自作茶杓を残し、茶陶器の箱書も記しています。 

1989年6月20日、京都の病院で遷化しました。

 

岡田 米山人

岡田 米山人は江戸時代中期~後期の南画家です。
岡田半江はその子にあたります。

通称を岡田彦兵衛、あるいは米屋彦兵衛と称し一説には彦吉とも称しました。名を国、字は士彦、通称は彦兵衛、米山人は画号です。

若いころには播磨神東郡剣坂村(兵庫県加西市西剣坂)の庄屋安積喜平治の下に寄食し、米をつきつつ書を読み勉学に励んだと伝えられていましたが、近年同地で襖絵などの作品、資料が発見されたことによりこれが裏づけられました。

その後大坂に出る意向を示すと喜平治より金銭的な支援を受け春米屋を営み、画号の米山人も稼業の由来であろうとされています。また安積家に仕えた乳母を妻に迎えています。

天明2年頃、商人でありながら伊勢国藤堂藩に仕え、寛政5年頃には津藩に大坂蔵屋敷留守居役の下役として仕え、その藩邸内に住んでいます。

絵は当時舶載のものを見たりしながらの独学だったようで、他の南画家には無い力強さと独特のセンスは近年評価が高まって来ています。浦上玉堂とは特に親交があり、田能村竹田に影響を与えています。

主要作品は『松下高士図』など、『秋山蕭寺図』が重要美術品指定となっています。

野呂介石

野呂介石は江戸時代後期に活躍した日本の文人画家です。 主に花鳥水墨画を得意とし、詩文にも定評がありました。 紀州藩に仕えており、祇園南海や桑山玉洲と共に紀州三大南画家と呼ばれています。また当時は長町竹石、僧愛石らと共に「 …

藤村 庸軒

藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。 庸軒は表千家久田流 …

後藤瑞巌

後藤瑞巌は明治から昭和にかけての臨済宗の僧です。 岐阜県安八群南にて父・後藤吉左衛門、母・なおの五男として生まれ、小、中、高、大学と進学し、東京帝国大学在学中に鎌倉円覚寺にて参禅し得度(出家)します。 大学卒業後は渡米、 …

石川 丈山

石川丈山は安土桃山時代から江戸初期にかけての武将、文人です。江戸初期において漢詩の代表的な人物です。漢詩以外にも儒学、茶道、書道の他に庭園の設計にまで精通しており、『煎茶家系譜』の初代に丈山の名があることから煎茶の祖とも …

本阿弥 光悦

1558年~1637年 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期に活躍した、書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人等多岐にわたり活躍した方になります。生まれは、刀剣の鑑定を家業にする家元の長男として誕生し刀剣も触れ …

王 一亭(王震)

王一亭は書画家であり、実業家であり、政治家でもある稀有な経歴を持つ作家です。どの分野でも非凡な才能を発揮した著名人です。 王一亭には様々な名があり作品によって使い分けていました。本名は「震」という名ですが、作品名には「白 …

与謝 蕪村

与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。 与謝蕪村は摂津国(現大阪府)で生まれ、20代の頃に江戸に下り俳諧を学びます。27の頃に俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、 …

中島 華陽

中島華陽は、江戸末期から明治にかけて活躍していた絵師です。中島華陽の活躍したこの時代は、従来の狩野派から写実性を取り入れた円山四条派が主流となっている時代でした。そんな時代に、自由な作風と独自の世界観で評価を得ていた横山 …

矢野 橋村

矢野橋村は愛媛県生まれの大正から昭和にかけて活躍した南画会の重鎮です。 号は知道人、橋村、橋村子明、古心庵、大来山人とあります。 1890年に愛媛県に生まれた矢野橋村は1907年に大阪に転居します。同じく1907年に大阪 …

狩野 尚信

狩野 尚信(かのう なおのぶ 1607年~1650年)は江戸時代初期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟にあたります。1607年、京都にて生まれます。1623年、徳川家光が上洛した際にお目見えし、家光から絵事を申し付けられま …

梶 喜一

梶喜一は京都府出身の日本画家で、鯉をよく描いた作家として知られています。 1904年に生まれ、16歳の時に都路華香に師事する一方で関西美術洋画研究所にも通って日本画を学びました。1924年に京都絵画専門学校に入学し、19 …

藤井 松林

1824年~1893年 藤井 松林(ふじい しょうりん)は、福山城下の長者町の武家屋敷で誕生しました。松林は、14歳の時に、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めと言われております。この頃から、四条派の重役だった高田 …

田能村 竹田

田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。 1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道 …

久隅 守景

久隅 守景(くすみ もりかげ 生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者と言われております。しかし守景の人生を記した資料や文献が少なく、謎が多き画家であります。生まれも不詳であり、狩 …

椿 椿山

1801年~1854年 椿 椿山(つばき ちんざん)は江戸時代後期の日本の文人画家になります。現東京都文京区小石川出身。旗本槍組同心の椿嘉左衛門定重が54歳のとき末子として誕生。椿山が7歳の時に父がなくなり、長じて世襲制 …

野口 幽谷

1825年~1898年 野口 幽谷(のぐち ゆうこく)は、幕末から明治期に活躍した南画家になります。東京都千代田区神田出身で、父は大工だった棟梁源四郎の次男として誕生。幼少期に患った天然痘からくる虚弱体質だった為大工を継 …

呉春

呉春(ごしゅん 1752年~1811年)は江戸時代中期の絵師です。四条派の始祖。初期の画号は松村月渓。呉春は京都の金座年寄役の家に六人兄弟の長男として生まれる。はじめは家業の金座を継ぎ平役を務めていた。金座は高給なため家 …

森 徹山

森 徹山(もり てつざん 1775年~1841年)江戸時代後期の絵師です。徹山は大阪で森周峰の子として誕生。主に出身の大阪で森派、四条派として活躍しました。森周峰の実子でありますが、叔父の森狙仙の養子となり、森派を継いで …

長沢 芦雪

長沢 芦雪(ながさわ ろせつ 1754年~1799年)芦雪は江戸時代の絵師です。長澤蘆雪と表記されることもある。円山応挙の高弟で、師とは対照的に大胆な構図、斬新で奇抜な画風を展開した。丹波国篠山にて生まれる。後に芦雪は父 …