田中 訥言

田中 訥言(たなか とつげん 1767年-1823年)江戸時代後期の絵師です。復古大和絵の祖として知られています。門下には幕末の大和絵師の宇喜多一蕙や尾張国出身の復古大和絵画家の渡辺清などがおります。訥言自身は尾張国名古屋の出身で、幼いころに日蓮宗の寺に入門、のちに比叡山延暦寺で天台宗を修めます。画は狩野派一派である石田幽汀に学び、石田幽汀の死後は土佐派の土佐光貞の門に入ります。土佐派の中で訥言の評価は高く、22歳の時には法橋位を得ています。訥言は有職故実に精通しており、当時の形式的な画風よりも大和絵の復刻を目指し古絵巻を熱心に模写、のちに復古大和絵の祖として知られるようになりました。眼病を患っており医療費のために画会を開いた考えられていて、視力を失った際に舌を噛んで命を絶ったといい伝えれています。現在確認されている作品は300点以上。著名な門人の作品には訥言に倣ったと思われるようなものが複数残っており、訥言の影響力の大きさを見ることができます。

西郷 孤月

西郷 孤月(さいごう こげつ 1873年-1912年)は明治時代に活躍した日本画家です。日本美術院の創設者のひとりでもあります。筑摩県筑摩郡松本深志町(現在の長野県松本市)に生まれる。1886年に小石川餌差町の私立知神学校美術科へ入学し、絵の勉強を始める。1888年に狩野友信に師事して日本画の修業を始める。1889年には東京美術学校の第一期生として絵画を学ぶ。1898年日本美術院の設立に尽力。しかしその後は酒と遊蕩に明け暮れるようになり、才能をどんどんと失っていった。しかし一遍1912年台湾にて孤月は大作「台湾風景」を描きます。その後はまた才能を発揮するかと思われましたが、病にてその年に人生の幕を閉じました。

谷 文晁

谷 文晁(たに ぶんちょう 1763年10月15日-1841年1月6日)は、江戸時代後期の南画家です。文晁の祖父は民政家、父は漢詩人として名をしられていました。このような環境で育った文晁は文才を持ち合わせ、漢詩が「五山堂詩話」に掲載されたりと漢詩、和歌、狂歌などにもその才を発揮していました。12歳から画業を学びはじめ狩野光定から狩野派を学び、その他にも大和絵や朝鮮画、西洋画など多岐にわたり技術を学ばれました。26歳の時に釧雲泉より正式に南画の指南を受けますが、文晁が目指したものは諸派を折衷し南北合体の画風です。また、さらには山水画、花鳥画、人物画、仏画など画様の幅も広く、「八宗兼学」といわれる独自の画風も確立し、後に関東南画壇の泰斗となりました。文晁は旅好きで有名で日本全国を旅してはまわり、行ったことのない場所は数県しかなかっといいます。

 

上原 古年

 上原古年は梶田半古および松本楓湖(ふうこ)の門人です。1877年、東京浅草に生まれの版画家、日本画家です。初め梶田半古に師事した後、松本楓湖に師事して日本画を学んでいます。岡倉覚三(天心)に招かれて5年間、日本美術院に勤務しました。日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会などに作品を出品しており、また、絵画審査員に嘱託として勤め、宮内省や外務省の用命を受け、作品を制作しています。
 版画はやや寡作で、新版画に属する1928年制作に渡辺版画店から出版した木版画「道頓堀」のほか「春日の閑清」や「早春漁村」などといった穏やかな風景画及び美人画が見られます。1932年4月、渡辺版画店の主催によって行われた第三回現代創作木版画展覧会に「道頓堀(夜)」、「残灯」の2点の作品を出品しています。作風は穏やかな風景画が得意としています。

平福 百穂

 平福百穂は日本画家、歌人で画家平福穂庵(順蔵)の四男として、秋田県仙北市に生まれました。本名は貞蔵。幼い時から秋田市の豪商である那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年から父から絵を学びはじめる。同年末に父が急死すると、翌年から父の後援者の援助を受け、本格的に絵を学び始めます。同じ年の秋に開かれた亡父の追悼画会で画才を認められます。1894年に上京し、四条派の第一人者川端玉章の内弟子となります。1897年に川端塾の先輩だった結城素明の勧めにより東京美術学校に入学します。1899年に卒業後、1900年に素明らと无声会を結成、日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指します。自然主義と古典を融合させ、独特な世界観を生み出す画家として評価されています。

緑和堂では平福百穂の作品を強化買取中でございます。売却されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。  

 

金島 桂華

 金島桂華は広島県出身の日本画家です。

14歳の時に大阪に出て、西家桂州や平井直水といった画家のもとで日本画を学びました。
19歳で京都に移り、竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入門します。1918年の第12回文展で初入選すると、以後は帝展で何度も特選を受賞するなど評価を高めていきました。
また教育面での貢献も大きく、京都市立美術工芸学校で10年指導に携わり、画塾「衣笠会」を主宰して後進を育成しました。

金島桂華が得意としたのは花鳥画です。師・竹内栖鳳を思わせる端麗な写実性をもって描かれる花鳥は柔らかさと厳格さを持ち合わせており、崇高な和の美を感じさせます。細やかな観察から描かれたモチーフは、眺めているうちにその造詣の深さを現し、気がつくと桂華の世界観に入りこんでいくかと思います。
日本画の在り方を強く示す作品群は今なお高い評価を持ち、根強い人気を獲得しております。

中村 岳陵

中村岳陵は、本名を中村恒吉といい、日本画家です。日本画に油絵の表現を取り入れた、独自の日本画のスタイルで注目された作家です。1890年、静岡県下田市に生まれた中村岳陵は、初期のゴーギャン、ルソーといった西洋の画家に影響を …

伊藤 小坡

 伊藤小坡は三重県伊勢市宇治浦田町に生まれ、京都を中心に風俗画、美人画を描いた日本画家です。歴史風俗画を得意としていました。伊勢にある猿田彦神社の宮司の長女として生まれています。幼少の頃より古典文学、茶の湯、柔術を習い、 …

石崎 光瑤

 石崎光瑤は富山県南砺市に生まれの日本画家です。文展・帝展・新文展に数多くの作品を出品、京都市立美術専門学校の教授を務めるなど、大正・昭和前期を代表する日本画家として活躍しました。文展・帝展を中心に活動し、写実に基づく鮮 …

小室 翠雲

小室翠雲は群馬県出身の日本画家であり、南画家です。 1874年、日本画家の小室桂邨の息子として生まれます。 南画を田崎草雲に学び、日本美術協会で受賞を重ね、日本美術院の会員となり、日本画会と南画会の幹事として名声を上げま …

菅 楯彦

「浪速の絵師」と呼ばれた日本画家で関西画壇の長老と呼ばれていた人物として有名なのが菅楯彦です。 鳥取県に生まれた菅楯彦は武家社会の崩壊により日本画家であった父が絵で生計を立てることにしたことがきっかけで生後間もなく大阪に …

狩野 探幽

江戸時代初期の狩野派の絵師で京都生まれ。狩野孝信の子になります。早熟の天才肌の絵師と評され安土桃山時代までの狩野派に典型的な、豪奢で迫力を感じさせる画風とは異なり、「淡麗瀟洒」と評される、簡明で余白を巧みに活用した作風を …

森 狙仙

 森狙仙は、江戸時代後期に大阪で活躍した絵師です。狩野派や円山派を踏襲した写実を基調とする独自の画風によって知られています。はじめ、勝部如春斎について狩野派の技術を学び、如寒斎と号しました。天明4年(1784年)師の如春 …

山口素絢 掛軸 山犬図

山口 素絢

江戸期の京都で隆盛を誇った日本画流派である円山応挙を祖とする「円山派」。山口素絢は応挙の弟子として円山派を代表する絵師「応門十哲」にあげられる人物です。 美人画を得意とし、優美な女性像を描き人気を博しました。一方花鳥画や …

大橋 翠石

 大橋翠石は岐阜県大垣市生まれの日本画家です。日本美術史の中でも特別な存在で、世に「虎の翠石」として名高い画家です。特に長い冬毛が美しいアムールトラを多く画題に選び、その描くところの虎は毛の描写の細かさ、威風堂々とした体 …

冨田 溪仙

 富田渓仙は明治から昭和初期に活躍した日本画家です。 福岡県博多に生まれ、福岡藩御用絵師だった衣笠守正(探谷)に狩野派を学んだ後、京都に出て四条派の都路華香に師事します。のち仙厓義梵、富岡鉄斎に傾倒。各地を旅し幅広い研鑽 …

沈 南蘋 (沈銓)

緻密に写生された色鮮やかな動植物。中国、清代の画家・沈 南蘋によってもたらされた新たな画風は、当時硬直していた日本絵画界に新しい風をもたらします。 南蘋は絹織物商の子として生まれますが、絵に興味を持ち画家・胡 湄に入門。 …

亀井 南冥

亀井南冥(字 道載)は江戸時代、九州で活躍した儒学者です。また現在国宝に指定されている志賀島の金印研究の第一人者でもありました。 南冥は1743年に九州・筑前国に生まれました。医者であった父の影響をうけ幼い頃より学問に触 …

安田 靫彦

近代日本画の復興に尽力し、戦後は制作の傍ら美術行政にも取り組んだ日本画家・安田靫彦。日本画の中でも特に歴史画を得意とし、多くの優れた作品を残しています。 安田は1884年、東京日本橋に生まれました。13歳の帝室博物館の法 …

岡田 半江

江戸時代に活躍した文人画家、岡田半江。晩年は九州に移り多くの作品を残しました。 岡田半江は1782年、大坂(現・大阪)の米屋に生まれました。父、岡田米山人は米屋を営む一方、文人画家としても活動しており、半江も父に倣い絵を …

宋 紫石

1731年に日本を訪れた清国の画家・沈南蘋。その写実的な花鳥画技法は多くの日本人画家に影響を与え、弟子の熊代熊斐らにより「南蘋派」と呼ばれる画派が形成されました。 宋紫石はこの南蘋派における代表的な人物の1人です。 初期 …

前田 青邨

前田青邨(まえだせいそん)は、岐阜県出身の日本画家です。 歴史画の名手であり、また近代日本画家・平山郁夫の師匠としても知られております。 日本の伝統的な大和絵を学び、ヨーロッパ留学で西洋絵画、とくに中世イタリア絵画の影響 …