木庵性瑫は、1655年に明から日本へと渡った黄檗宗の僧侶です。
1611年に現在の中国福建省で生まれ、16歳のころ出家しました。その後は大陸各地を巡りつつ修行を行い、1648年、黄檗山にて隠元隆琦に学びます。
1655年、日本に渡っていた隠元の招きに応じ来日、各地の寺院に滞在した後、宇治の黄檗山萬福寺へと入ります。1664年隠元の後を継ぐ形で萬福寺の法席につき、翌年には江戸を訪れ、4代将軍・徳川家綱と面会しています。1680年、法席を次代に譲り隠居し、4年後亡くなりました。
日本を訪れてから多くの弟子を育て、10以上の寺院を設立するなど、黄檗宗の布教に努めています。
また能書家としての評価も高く、隠元や即非如一とともに黄檗三筆と称されています。






