大町 憲治は、漆工芸、蒔絵、写真など幅広い分野で活躍する作家です。
大町は、1959年に滋賀県多賀町で生まれました。
京都市立日吉ヶ丘高等学校 美術工芸コース 漆芸科を卒業後、漆工房での10年の修行生活を経て独立します。
その後、京セラ株式会社が開発した人工オパール「京都オパール」と出会い、「螺鈿(貝殻の真珠層を使って文様を描く伝統的な装飾技法)」で用いられる貝の代わりに、京都オパールを使用するという新しい表現方法を生み出しました。
2008年には京都オパールを使用した作品を発表し、「彩輝光」と言うブランド名で商標登録を取得しています。
近年では、樹脂系素材を活用することで自然素材よりも長く良い状態を保てると考え、伝統技法に3Dプリンター技術を取り入れた新しい表現にも挑戦しています。
「融合」をテーマに常に新たな表現を追い求める彼の作品は、国内外問わず多くの人々を魅了しています。
田中 重希は、茶道具や拭漆を用いた木工芸品などを制作する作家です。
「拭漆」とは、木地に透けた生漆を塗り、布で拭き取る作業を繰り返すことで、木目を生かして仕上げる技法です。
1947年、田中は京都・河原町丸太町に生まれました。
10代半ばで木工芸の道に入り、1979年に作家として活動を開始。
以降、百貨店やギャラリーで個展を開催し、海外でも活躍しています。
田中は、天然木を用いた高級漆器や懐石道具を手掛け、漆工芸や木工芸の分野で高く評価されています。
代表作には、『襷拭漆八角蓋物(襷拭漆という技法を用いた八角の蓋物)』などがあり、欅の一枚板を使った看板やテーブルなども制作しています。
1952年に石川県輪島市で誕生した北村辰吉は、1973年頃に輪島漆器の製作を行うようになると、現代の技法に限らず古典の技法の研究も行い、技術力の向上を図りました。1985年には北村工房を設立し、着実に活躍の幅を広げていきます。
1986年には印籠制作を開始し、この頃から海外でも個展を行うなど、国内外で活動をより活発化していきます。
細密な技法から織りなす圧倒的表現力を生み出す北村の作品は、現代技法の中に垣間見える奥深い伝統性のある技法も見ることができる作風が特徴的です。
一度見ると忘れられないようなどこか力強さも感じられる表現力は唯一無二とも言えるでしょう。
1919年に初代が漆器製造を生業とし、以降現在に至るまで高品質で美しい国産漆器の製造・販売に注力しています。
創業以来「自分の目にかなった商品を出していく」という考えの元で製造された慶塚製漆器は、本物の輪島塗の伝統技法を守り、上塗りには国産漆を使用している為、信頼のあるブランド力はもちろん、上品で馴染みが良く、光沢や強度も比較すると一段と異なることが特徴的です。
注文を受けて製造する為、手間と時間がかかりますが、確かな伝統技術と信頼ある製品造りと、何よりも創業当初から受け継がれた工房の強い信念がより実感できる、満足度もぐっと高まるブランドとして、注目度は高まっています。
初代一斎が「一斎」の号を茶道宗家宗偏流家元より受け、現在三代目と、輪島初の茶道具専門の塗師として今でも時代と高い技術力が受け継がれています。
特徴的なのが、蒔絵と金彩の豪華さは勿論ですが、そこから見える細かな技術が行き渡っている重みのあるデザインが一斎らしいところかと言えます。余すことなく魅せる各作品は、高い評価を得ています。
輪島塗に対する愛ある一斎の感性は、その精密度が高い技術力で作り出す漆器を通して日本のみならず、世界からも注目され、二代目一斎からは海外での活動も積極的に行っております。
2013年に二代目が死去、現在は三代目が継承し、約70年以上作品に対する想いと技術が今も継承されています。
原 羊遊斎は、華やかな作風で知られる江戸時代後期の蒔絵師です。
伝統的な技法と独自の美意識を合わせた、緻密で洗練された蒔絵作品を多数制作しました。
1769年に江戸に生まれ、蒔絵師の「鶴下遊斎」に師事し、蒔絵を学びました。
20代後半になると、腕を買われて藩主の御用品を多く手掛けました。
彼の生涯については不明な点も多く、1845年、または1846年に亡くなったとされていますが定かではありません。
谷文晁や大田南畝などの文化人とも交流があったとされています。
彼の作品は、東京国立博物館など多くの博物館や美術館に収蔵されています。五島美術館で開催された展覧会では、蒔絵茶箱、印籠、根付、蒔絵櫛など、多彩な作品が展示されました。
代表作には『桜紅葉蒔絵重香合』『蔓梅擬目白蒔絵軸盆』『梅木蒔絵印籠』などがあります。