武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ)は、白樺派を代表する作家として有名ですが、同時に独自の画風を持つ画家としても知られています。
理想主義的人道主義に基づく文学を展開した武者小路は、美術の方面でも同様に生命への肯定や素朴な喜びを主題としました。
彼は西洋美術を日本に普及させるなど、もともと芸術に関心があったこともあり、自身の子供が生まれたのをきっかけに絵筆も手にしました。画家としては正規の美術教育を受けていないものの、その自由で親しみやすい画風は広く受容されています。
野菜や果物、草花など身近な題材を大胆かつ明るい色彩の筆致で描いていることが特徴とされています。また、絵に自著の言葉を添えている作品も多く制作しました。
晩年に至るまで制作を続け、現代においても美術館収蔵や展覧会が多く行われています。
荒井良二は、日本の絵本作家・イラストレーターです。
荒井は山形県に生まれ、日本大学藝術学部美術学科を卒業後、1990年以降、絵本作家として本格的に活動を展開しています。1999年に『なぞなぞのたび』でボローニャ国際児童文学図書展特別賞を受賞し、2005年には日本人初となるアストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞するなど、国内外で数々の賞を獲得しています。
彼の作風は、鮮やかで多彩な色使いが大きな特徴であり、大胆な構図からは子どもの自由な発想を思わせる解放感が感じられます。原色に近い強い色彩を多用し、視覚的なインパクトに富んだ表現が特徴です。また、線はラフで、あえて整えすぎない描写により、どこか懐かしさと温かみを感じさせ、大人でも思わず引き込まれる奥行きのある表現が印象的です。
荒井良二はこのように、日本を代表する絵本作家として知られ、海外でもその活動が注目されています。
蕗谷虹児は、大正から昭和にかけて活躍した日本の挿絵画家・詩人です。
蕗谷は新潟県に生まれ、本名は蕗谷一男であり、日本画家である尾竹竹坡に師事し、日本画を学びました。1920年から竹久夢二の紹介で『少女画報』に挿絵を描き始め、詩情を帯びた繊細な抒情画により、大正から昭和期の少女たちの共感を集め、高い人気を得ました。1925年にはフランス・パリへ留学し、サロン・ドートンヌなどに入選し、個展も開催されており海外での活動実績を有しています。
彼の作品は、繊細でモダンな少女像を多く描いており、自ら「抒情画」と称したように、感情や内面を重視した作風が特徴です。研ぎ澄まされたシャープな線を基調とし、流れるような線の動きで、思春期の少女の理想や憂い、そして気品を表していると感じられます。また、戦前は線描を主体とした抒情的表現が中心であったのに対し、戦後は絵本制作などを通じて、明るく柔らかな色彩表現も見られるようになります。
蕗谷虹児は、時代に合わせて変化させながらも、一貫して少女たちの憧れを描き続けた作家です。
横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。
横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得意とし、岸連山、塩川文麟、中島来章と共に「平安四名家」と称されました。また、京都・東本願寺白書院の杉戸絵制作なども手掛けており、青蓮院尊超入道親王(皇族)のお抱え絵師としても仕えました。
「花」「鳥」「魚」などを題材とした作品が多く、四条派の特徴である写生を基礎とした自然描写に基づき、端正で穏やかな筆致が見られます。
また、山水画では山岳や渓流、樹木などを主題とし、淡彩を基調とした落ち着いた画面構成が特徴とされます。人物表現においても、風景の中に人物を配した構図が見られ、静的で写実的な描写が認められます。
京都画壇における四条派の有力画家として活躍し、幕末期の京都を代表する画家の一人として知られています。
宮永岳彦は、静岡県出身の洋画家です。油絵をはじめ、ポスターや童画、週刊漫画TIMESなどの表紙画、水墨画などを手掛けました。
宮永は第二次世界大戦の兵役後、松坂屋銀座店宣伝部に勤務する傍らで創作活動を行いました。
1974年には、ブラジルの日伯文化協会の依頼で当時の皇太子・皇太子妃の肖像画を手掛けました。
これは明治期以降、正式な許可を得て皇室を描いた唯一の作品といわれています。
この出来事をきっかけに、国際芸術文化復興会の依頼でインドネシアのスハルト大統領夫妻とその令嬢を描き、衆議院の依頼で「平和憲法公布記念式典図」と「第1回国会開会式図」を製作しました。
日本でも高い評価を得た宮永は日本芸術院賞を受賞し、1986年に二紀会理事長に就任しています。
俵屋 宗達は、江戸時代初期の京都で活躍した絵師です。
彼の生涯は謎に包まれており、交流のあった文化人の情報などから、1570年前後に生まれたと考えられています。
宗達は、金箔や銀箔を用いた装飾性の高い華やかな作風で知られています。
さらに、墨が乾く前に濃度の異なる墨を加えることで生じるにじみを利用し、立体感や質感を表現する「たらしこみ」という技法を確立しました。この技法は、のちに琳派の大きな特徴のひとつとなりました。
彼は京都で「俵屋」と呼ばれる絵屋を営み、冊子本や巻物の料紙下絵を制作しました。
その腕前が認められ、皇室や将軍家からの制作依頼、さらに『平家納経』の修復といった仕事も任されています。
1630年には、僧侶に与えられる位の高い称号「法橋(ほっきょう)」を授けられました。
代表作には『源氏物語関屋澪標図屛風』『蔦の細道図屏風』などがあります。