野々内良樹(ののうち よしき)は日本画、特に花鳥画を得意とし、日展会員として幅広く活躍した作家です。
父は日本画家の 野々内保太郎、次男の井上稔・三男の野々内宏も画家として活躍した、日本画の伝統を受け継ぐ芸術一家です。
花鳥画や小禽(小さな鳥)を多く描いたことで知られ、柔らかで上品な筆致と写実性の高い自然観察眼が特徴です。
自然への観察を深く反映した色彩感覚と表現力が高く、日展での受賞と審査・委嘱歴、外務省買い上げなど国内で高い評価を獲得し、京都伝統の花鳥画を現代に伴う優雅で透明感あるスタイルに昇華しました。
さらに自身も審査員・指導的立場に立ち、多くの回顧展や美術館所蔵を通じて、後世にその画業を伝えています。
俵屋 宗達は、江戸時代初期の京都で活躍した絵師です。
彼の生涯は謎に包まれており、交流のあった文化人の情報などから、1570年前後に生まれたと考えられています。
宗達は、金箔や銀箔を用いた装飾性の高い華やかな作風で知られています。
さらに、墨が乾く前に濃度の異なる墨を加えることで生じるにじみを利用し、立体感や質感を表現する「たらしこみ」という技法を確立しました。この技法は、のちに琳派の大きな特徴のひとつとなりました。
彼は京都で「俵屋」と呼ばれる絵屋を営み、冊子本や巻物の料紙下絵を制作しました。
その腕前が認められ、皇室や将軍家からの制作依頼、さらに『平家納経』の修復といった仕事も任されています。
1630年には、僧侶に与えられる位の高い称号「法橋(ほっきょう)」を授けられました。
代表作には『源氏物語関屋澪標図屛風』『蔦の細道図屏風』などがあります。
倉田 冨美は、1937年に京都で生まれた日本画家です。
日本画家の丸山石根に師事し、日輝展では金賞2回、特選1回を受賞しています。
人物画を得意とし、舞妓を題材に多数の作品を手掛けました。
舞妓は15歳~20歳頃の芸子見習いの女性を指します。
まだあどけなさの残る少女たちが芸を覚え、少しずつ成長していく姿は美しさとともに奥ゆかしい日本の美意識が感じられます。
舞妓が芸妓になることを「衿替」を呼び、その直前の約2週間は「先笄」という髪型になります。この期間だけ見られる貴重な姿を描いた作品は、人気作のひとつとなっています。
また、表情だけでなく、年数で変化していく髪型や着物、化粧などに目を向けるとまた違った視点で楽しむことができます。
京都の風情と伝統を映し出す倉田の作品は、女性を通して静かに語りかけてくるようで、雅な空気感を繊細に表現する作風は高く評価されています。
代表作には『先笄』『舞妓』などがあります。
あいはら 友子(旧芸名:原田真弓・相原友子)は、女優・画家として知られています。
1954年に兵庫県に生まれた彼女は、勉強もスポーツも苦手な子供でした。
しかし、小学3年生の頃にあった交通事故をきっかけに、様々な分野で才能をみせるようになったそうです。
大学時代には、アーチェリーで全日本第3位まで上り詰め、モントリオールオリンピック強化メンバーとなりました。
大学卒業を機に「原田 真弓」の芸名で特撮番組などに出演し、1978年に放送された連続テレビ小説「わたしは海」のヒロイン役でデビューを果たします。
バブル期には株式に詳しいことから「財テク女優」と呼ばれ、経済界での講演・キャスター・雑誌の連載など幅広く活躍しました。
また、高野山真言宗の僧籍を取得するなどしています。
縁起物として知られる赤富士を中心とした日本画を多く手掛け、組み合わせるモチーフによって異なるテーマを持たせています。
人々の幸福を願う気持ちが込められた作品は、開運アートとして多くの人に愛されています。
代表作には『赤富士に鳳凰』『赤富士に昇り龍』『黄金富士に金の川』などがあります。
濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。
大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学校で研鑽を積み、帝展への入選を果たしました。
晩年も精力的に制作を続け、代表的な花鳥画や鯉をモチーフにした作品を次々と発表。柔らかで幽玄な筆致と淡い色彩が特徴です。
代表作には、日展で特選を受賞した「芥子」や「蓮池」、文部大臣賞を受けた「朝」、日本芸術院賞の「彩池」などがあります。これらの作品はいずれも、静謐で幽玄な自然の風景を描き、彼の画風の魅力をよく伝えています。
鈴木 強は、現代の琳派を代表する日本画家のひとりとして知られています。
『笑う動物シリーズ』で人気を博しました。
金銀箔が施された華やかな背景と、長谷川等伯や伊藤若冲などをオマージュしたモチーフが特徴的です。
『笑うカバ』では「神奈川沖浪裏」、『笑うニワトリ』では「群鶏図」がモチーフにされています。
このような作風を確立したのは、雪の降る日に訪れたサファリパークで出会ったゾウがきっかけだったといいます。
彼は、「可哀想だと思っていたが、ゾウが長い鼻で雪を口へ運んでいたのを見て、可哀想だと思うのは自分のおごりだったと気付いた。そこには、人と自然の対立した悲劇性をとっとと乗り越えて笑うゾウがいた。
それ以来、心の強さや幸福を表すような笑う動物を描いている。」と語りました。
やまと絵と現代的な感性を掛け合わせた彼の作品は、縁起物として飾られるなど多くの人に幸福を届けています。