佐藤潤は生物多様性をテーマに絶滅危惧種の動物たちを描く鳥獣画家で、動物画家として大変人気があります。
そんな佐藤潤は、1970年大阪市に生まれ、幼少期を大阪の工場街で過ごしました。自然、土や木々、虫たちなどとは縁の無い場所で育ったことから生き物たちに憧れの気持ちをつのらせて暮らしていました。 さらに幼い頃は体も弱く室内で過ごすことが多く、募らせた思いはやがて描くという表現に変わっていきました。
その後、佐藤潤は美術高校、そして 京都精華大学美術学部に 進学し、卒業後は欧州の国々を旅します。その中で画家として活動を始めますが生き物たちへの憧れは変わることなくリスペクトの気持ちをもって作品を作り上げています。
1995年に初個展を開き、2000年以降は日本全国の百貨店や美術画廊などで毎年個展を開催するまでになりました。その他に動物園などへの作品寄贈や、売上の一部をWWFジャパンへ寄付するなど自然保護や動物保護にも熱心に取り組みました。そんな中2009年、アメリカの大手パズルメーカーやその他の企業により作品が商品化されることなり、佐藤潤の作品は全米で販売されるようになりました。
佐藤潤の描く作品は動物を描くことが多いのはもちろんですが、ジャパネスクシリーズと言って、日本という国の美しさ、風習や伝統的な文化を多くの方に知ってもらうため、お正月の海老や鯛・端午の節句の鯉のぼり・七夕の笹やカササギなど日本の節句や行事をテーマにした作品や、吉祥をテーマにした作品・仏画の世界をテーマにした作品を作り上げています。
このジャパネスクシリーズは、パリの展覧会にも出品され日本の文化の美しさとクオリティの高さによって海外で高い評価を受けました。
佐藤潤は、日本と動植物の昔からある繋がりを伝えるような活動を行っていますが、2004年のインドネシア・スマトラ沖地震をきっかけに動物の為に何かしなければならないという思いが募り、絶滅危惧種の動物などに目を向け、動物たちの現状を訴えかける魅力のある作品を作り上げています。
野村義照は、大阪府生まれの日本画家です。
1971年に東京藝術大学大学院を卒業すると、前田青邨、その後は平山郁夫に師事し、日本画の技量を高めていきました。
1977年。院展で日本画大賞を受賞したその年、野村義照は初めてのギリシャ・ローマ旅行に行きました。そこでギリシャ古典美術に感銘を受け、研究をはじめました。その後もギリシャをはじめとしたヨーロッパ諸国に研究旅行を続け、その累計は30回以上に及びました。
野村義照は作品の題材として、ギリシャやローマ、ヨーロッパ各地の遺跡などを多く扱っております。青を基調とし、そこへ荘厳な遺跡や塔を写実的に、そして透き通るように表現します。繊細な色遣いと緻密な造形が、そのまま題材の持つ奥ゆかしさとして立ち現れます。
時に建物に限らず、彼のフィルターを通して、そこに在る美は静謐な形で描かれます。静謐で荘厳な世界こそが彼の絵画であり、魅力です。
油彩の日本画を主とし、リトグラフなどの版画作品も制作しています。
1946年に東京都で生まれた彼女は、1968年に女子美術大学日本画科在学中に日春展に作品が入選します。1969年には女子美術大学日本画科卒業、1979年と1992年にはそれぞれ日展特選受賞、2008年に第40回日展日展会員賞を受賞、2019年に日展内閣総理大臣賞を受賞と、現在は日展会員である素晴らしい活躍をされている女流画家です。
女性の姿を主流といて描き、その洗練された構成方法とタッチ感が魅力的で、見る者を作品に引き込む力がひとつひとつの作品にあります。
松岡政信は日本美術院同人として活動している日本画家です。
1932年に大阪府で生まれました。18歳の時から中村貞以に師事し、1953年に日本美術院展にて初入選、以降同展で多数受賞いたします。1954年には第39回院展奨励賞を受賞、その他高島屋などで個展を開催するなど活躍されています。
松岡政信と言えば『花』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。これまで花をモチーフにした作品を数多く手掛けており、一凛一凛、その花特有の美しさを表現しています。
モチーフを限定する作家さんも多くおられますが、松岡政信の描く「花」は色とりどりで四季折々、実に多彩であります。葉の一片までのふくよかな表現からは、松岡政信の幾多の花に対する真摯な観察力がうかがえます。
丁子紅子さんは今注目の若手現代日本画家です。
1991年に埼玉県で生まれた丁子紅子さんは、繊細できめ細かなタッチ感、透き通るような透明感で見る者を釘付けにするデザインを描く作品が特徴的です。主に女性を描いています。女子美術大学絵画学科日本画専攻卒業後、第36回現代童画展奨励賞をはじめ、以後様々な賞を受賞、また、2012年から個展も展開し、多岐にわたって活躍されています。
丁子紅子さんの作品は、なんといっても繊細なタッチ感と、見る人それぞれの気持ちを取り込めるようになるべく色を使わないように描く、というところが特徴的です。髪の一本一本がまるで生きているかのように描かれ、透き通るような無表情の女性に引き込まれ、見る人の感情が入り込める作品を世に出されています。
福王寺法林は山形県出身の日本画家です。
1920年に生まれ、現在まで多くの絵画作品を残されております。
幼い頃に父親と猟に出掛けた際に銃が暴発し、左目の視力を失ってしまう事故に見舞われますが、それにより生来の負けず嫌いからか、よりたくましく生きるきっかけになったと言います。
絵を描くことが好きだった法林は小学2年にして狩野派の上村廣成氏に師事し、16歳で画家を目指して上京します。
貧しい下積み時代を過ごしていた法林は21歳の頃に戦争へと駆り出されることになりますが、大金をはたいて岩絵具を買い「必ず生きて帰ってこの絵具で絵を描く」と誓って中国へ出征します。戦争中に壮絶な日々を過ごしながらも26歳で復員した法林は、献身的な愛子夫人の応援もあり、第34回日本美術院展覧会で初入選を果たします。その後も奨励賞や白寿賞を受賞するなど、画壇に名前を残すようになりました。
代表作である「ヒマラヤ」をテーマにした作品群は東京三越で行われたヒマラヤ展で展示された絵がネパールの王に気に入られたことがきっかけで始まりました。
8000m級の山々の過酷な環境に何度も訪れ、命を落としかけながらも描き続けた作品は、まさに法林の命が刻まれていると言っても良いほどの大作となっています。