斉藤和は、京都府久美浜町出身の日本画家です。
1987年に京都市立芸術大学日本画専攻を卒業したあと、日本画家としての活動を本格化し、京都美術工芸展で大賞を受賞するなど現在まで多くの受賞履歴を残しています。
斉藤が描くのは主に風景画です。作品の特徴は、全体を柔らかく包むような青や緑の色彩描写です。月星に社、桜に風といった古来の和を趣深く幻想的な雰囲気で表現し、みる人を安らぎへ導くような絵画が印象的です。
斉藤が最初に扱い、日本画を始めるルーツとなった岩絵の具が緑青だったといいます。色味の持つ美しさを引き出し、またモチーフの厳かな佇まいを引き出すような色彩のタッチには、日本画の伝統美の最先端を感じることが出来ます。
近年も全国で個展が開催されており、目に留まる機会は少なくないかもしれません。斉藤和の作品に触れる機会がございましたら、是非作品の色彩があらわす幽玄な雰囲気をその肌で感じ取ってみてください。
吉田善彦は、20世紀の正統派日本画を代表する巨匠です。
1912年の東京に呉服屋の次男として生まれ、17歳の頃から日本画家・速水御舟に弟子入りします。そこでは古典模写、デッサン、絵に対する心持ちなど多くのことを学び、生涯に渡り善彦を感化することとなりました。
1933年に師・御舟は急逝します。四年後の1937年、御舟の旧画室で描いた善彦の作品『もくれんの花』は、院展で初入選を果たすこととなりました。以降も幾度となく院展に出品し、入選をしております。
1940年からは法隆寺金堂壁画の模写事業に参加しており、戦後に至るまで仏画の模写作業に従事しました。
速水御舟が基本的に弟子をとらない方でしたので、吉田善彦は御舟の数少ない弟子として語られることが多いです。もちろん、古典の重要性を説いた御舟の教えはその画風に大きな影響を及ぼしていますが、一方で「吉田様式」と呼ばれる独自の画法も作り上げており、今日の評価につながっております。
「吉田様式」では、一度描いた絵に金箔のヴェールを被せ、その上にもう一度絵を描き起こします。そうすることで彩色の放つ光に鈍みを持たせ、伝統的日本画の持つ気品と荘厳さを際立たせました。
吉田善彦の日本画をご覧になる機会があれば、是非その表現に注目してみてください。
黒光茂明は1946年、終戦の翌年に京都に生まれます。
父は日本画家である黒光茂樹であり、その父の影響を受け画家を志すようになりました。
京都市立芸術大学に入学し、在学中の1969年には新制作協会日本画部にて入選。70年に同大学を卒業し、更に研鑽を積むと、76年には京都で行われた第2回春季創画展春季展賞を受賞。さらに翌年の77年にも同賞を受賞するなど、その頭角を現していきます。
89年には山種美術館賞展に招待出品するなど、知名度を徐々に上げていきます。
2000年以降も精力的に活動し、2004年には個展を開催する傍ら、浄土宗清行山三善院本堂桂双龍図を制作。
2008年には全国各地で「黒光茂明展‐光を聴く-」開催するなどその勢いは衰えることを知らず、2013年には京都府文化功労賞を受賞します。
ここ最近では2022年に名古屋能楽堂内蓬左亭日本画を制作、23年には高島屋各店で個展を開催するなどその画力に磨きがかかっています。
三輪良平は美人画を中心に描かれた昭和後期から平成時代に活躍した日本の画家です。
京都市の表具師の次男として生まれ、京都市立美術専門学校卒業後、山口華楊に師事し華揚が代表をつとめる晨鳥社(しんちょうしゃ)へ入塾すると翌年には昭和27年の日展に「憩ひ」にて初入賞その後の日展でも「裸婦」で特選、「舞妓」で白寿賞を受賞、この頃、中路融人ら晨鳥社の若手と研究会「あすなろ」を結成しました。
日展審査員や評議員をつとめるなど日展を中心に制作活動を行い、現代日本画壇の発展に尽力した方です。
また描かれた舞妓は年若い娘も多く昔舞妓として活躍していたのは十代前半の女の子であり着物は派手で鮮やかな物が多かったそうです。
しかし現代に近づくにつれ舞妓の年齢層も上がって行き作品の舞妓も年齢層が上がっている事がわかります。
そして描かれた作品は裸婦や舞妓を題材として華麗な女性美を描き、特に舞妓を多く題材にしており着物の美しさ、女性のハッキリとした顔立ちを描き全体のバランスがとても美しい作品です。
佐藤潤は生物多様性をテーマに絶滅危惧種の動物たちを描く鳥獣画家で、動物画家として大変人気があります。
そんな佐藤潤は、1970年大阪市に生まれ、幼少期を大阪の工場街で過ごしました。自然、土や木々、虫たちなどとは縁の無い場所で育ったことから生き物たちに憧れの気持ちをつのらせて暮らしていました。 さらに幼い頃は体も弱く室内で過ごすことが多く、募らせた思いはやがて描くという表現に変わっていきました。
その後、佐藤潤は美術高校、そして 京都精華大学美術学部に 進学し、卒業後は欧州の国々を旅します。その中で画家として活動を始めますが生き物たちへの憧れは変わることなくリスペクトの気持ちをもって作品を作り上げています。
1995年に初個展を開き、2000年以降は日本全国の百貨店や美術画廊などで毎年個展を開催するまでになりました。その他に動物園などへの作品寄贈や、売上の一部をWWFジャパンへ寄付するなど自然保護や動物保護にも熱心に取り組みました。そんな中2009年、アメリカの大手パズルメーカーやその他の企業により作品が商品化されることなり、佐藤潤の作品は全米で販売されるようになりました。
佐藤潤の描く作品は動物を描くことが多いのはもちろんですが、ジャパネスクシリーズと言って、日本という国の美しさ、風習や伝統的な文化を多くの方に知ってもらうため、お正月の海老や鯛・端午の節句の鯉のぼり・七夕の笹やカササギなど日本の節句や行事をテーマにした作品や、吉祥をテーマにした作品・仏画の世界をテーマにした作品を作り上げています。
このジャパネスクシリーズは、パリの展覧会にも出品され日本の文化の美しさとクオリティの高さによって海外で高い評価を受けました。
佐藤潤は、日本と動植物の昔からある繋がりを伝えるような活動を行っていますが、2004年のインドネシア・スマトラ沖地震をきっかけに動物の為に何かしなければならないという思いが募り、絶滅危惧種の動物などに目を向け、動物たちの現状を訴えかける魅力のある作品を作り上げています。
野村義照は、大阪府生まれの日本画家です。
1971年に東京藝術大学大学院を卒業すると、前田青邨、その後は平山郁夫に師事し、日本画の技量を高めていきました。
1977年。院展で日本画大賞を受賞したその年、野村義照は初めてのギリシャ・ローマ旅行に行きました。そこでギリシャ古典美術に感銘を受け、研究をはじめました。その後もギリシャをはじめとしたヨーロッパ諸国に研究旅行を続け、その累計は30回以上に及びました。
野村義照は作品の題材として、ギリシャやローマ、ヨーロッパ各地の遺跡などを多く扱っております。青を基調とし、そこへ荘厳な遺跡や塔を写実的に、そして透き通るように表現します。繊細な色遣いと緻密な造形が、そのまま題材の持つ奥ゆかしさとして立ち現れます。
時に建物に限らず、彼のフィルターを通して、そこに在る美は静謐な形で描かれます。静謐で荘厳な世界こそが彼の絵画であり、魅力です。
油彩の日本画を主とし、リトグラフなどの版画作品も制作しています。