松本勝は、東京都出身の日本画家です。
武蔵野美術大学を卒業した翌年に院展で初入選し、その翌年には日本画家の奥村土牛、塩出英雄に師事しました。
初入選以降は毎年出品を続け、山種美術館や外務省が作品を買い上げるなど高い評価と実績を積み上げていきました。現在は日本美術院特待となり、画廊や百貨店などで作品の発表を続けています。
松本は、師である奥村の「技術を隠して内容を出す」という言葉を信念とし、丹念な写生をもとに、牡丹や椿・栗・竹といった身近に息づく花や植物を描きました。伝統的な表現方法で、昔ながらの日本画の魅力を味わうことができます。柔らかな彩色で花や植物の一番美しい状態を描いており、生命を宿したかのような存在感の強さも特徴的です。
横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。
横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得意とし、岸連山、塩川文麟、中島来章と共に「平安四名家」と称されました。また、京都・東本願寺白書院の杉戸絵制作なども手掛けており、青蓮院尊超入道親王(皇族)のお抱え絵師としても仕えました。
「花」「鳥」「魚」などを題材とした作品が多く、四条派の特徴である写生を基礎とした自然描写に基づき、端正で穏やかな筆致が見られます。
また、山水画では山岳や渓流、樹木などを主題とし、淡彩を基調とした落ち着いた画面構成が特徴とされます。人物表現においても、風景の中に人物を配した構図が見られ、静的で写実的な描写が認められます。
京都画壇における四条派の有力画家として活躍し、幕末期の京都を代表する画家の一人として知られています。
西山芳園(にしやま ほうえん)は、江戸時代後期に活動した四条派の流れを汲む日本画家です。
芳園は大阪で生まれ、はじめは中村芳中に師事し、中村の紹介を受けて四条派の松村景文や横山清暉に絵を学びました。大阪において制作活動を行い、同地を代表する画家の一人として知られています。人物画や花鳥画を中心に、写生的な風俗や自然描写にも取り組みました。
彼の作品は、花鳥や人物、草花、自然風景などを主題とし、対象を的確に捉えた穏やかな描写に特色があります。また、息子の西山完瑛にも画技を伝え、四条派の様式は次代へと継承されました。
谷口香嶠は、明治時代から大正時代にかけて京都画壇で活躍した日本画家です。
1864年、現在の大阪府和泉市に生まれ、旧姓は辻、本名は雅秀と言います。別号として「後素斎」、「羅浮山人」、「藤原雅秀」などがあります。
1871年に京都の日蓮宗宝塔寺に預けられ、漢籍を中心とした教育を受けました。1878年には東京に出て医学を学びますが、翌年に生家に戻り家業である木綿問屋を手伝いながら『芥子園画伝』や『漢画早学』などで独学で絵を学びました。
1883年に四条派の幸野楳嶺に入門し、翌年には京都府画学校北宗画科に入学し、本格的に画業の道へ進みます。竹内栖鳳や菊池芳文、都路華香とともに「楳嶺四天王」と称されました。
また漢学者・三国幽眠に師事し、漢籍の教養を深めました。
1888年には、九鬼隆一の主導による古社寺宝物調査に参加しました。多くの古画に接したことをきっかけに、古画の研究や模写に励むようになります。
また清水六兵衛宅に寄寓して陶画を学び、工芸図案にも関心を広げました。
以降、輸出用美術染織品の大下絵の制作、能装束や刀装具などの意匠考案に幅広く取り組み、絵画だけでなく工芸分野においても重要な役割を果たしました。
1888年に『美術叢誌』の刊行に尽力し、1891年には著書『光琳画譜』を発行しました。
1895年には竹内栖鳳、菊池芳文、山元春挙と共に『雍府画帖』を出版しました。
教育者としても重要な役割を担い、1893年に京都美術学校教諭となりました。
その後、1909年から1912年まで京都市立絵画専門学校の教授となり、退官後も亡くなるまで嘱託教授として後進の指導を続けました。
1900年のパリ万国博覧会に出品した『驟雨』が銅牌を受賞するなど、国内外の博覧会でも評価を受けています。
香嶠は「有職故実」に深い知識を持ち、歴史画の分野において京都画壇を牽引する重要な存在でした。
同時に、工芸図案の分野でも高い評価を受け、近代京都における日本画と工芸の接点を体現した作家の一人といえるでしょう。
1912年岐阜県大垣市にて誕生した守屋氏は、主に歴史的な人物や物語を題材にした趣のある日本画を描く作家として知られています。
1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学、戦後に総理府留学生としてイタリアに2年間留学するなど、海外にも積極的に足を運び、自身の技術や芸術的感性を高めていきました。1960年には鎌倉円覚寺金堂の天井画「白龍」を完成、1976年飛鳥保存財団に委嘱され、高松塚壁画館に展示するための壁画模写に総監督として従事するなど、国内の文化作品においても重要な活動を多く展開していきました。長年に渡る作家活動が大きく影響し、2001年には大垣市守屋多々志美術館が開館し、文化勲章を受章しました。
優雅で繊細な線描に、穏やかな色彩との調和が守屋氏の描く特徴的な作風となります。穏やかな雰囲気の中にある繊細な日本画ならではの奥深さが観る者の心まで魅了する、そんな多くの作品を世に残しています。
清水信行(しみず のぶゆき)は、日本画を中心に制作する画家です。風景画、とりわけ富士山を主題とした作品を多く手がけています。
雄大な自然景観を題材とし、なかでも富士山を描いた作品には「富岳」と題されたものが確認されています。構図としては、堂々とした山容を画面中央に据え、四季や時間の変化を背景描写によって表現する形式が見られます。
筆致は比較的明瞭で、山肌や雲の表現に厚みをもたせる点が特徴の一つといえます。
富士を描いた作品では、赤富士や雪をいただく富士など、日本的象徴性の強いモチーフが扱われ、明快な構図と鮮やかな色彩によって装飾性のある画面が構成されています。