濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。
大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学校で研鑽を積み、帝展への入選を果たしました。
晩年も精力的に制作を続け、代表的な花鳥画や鯉をモチーフにした作品を次々と発表。柔らかで幽玄な筆致と淡い色彩が特徴です。
代表作には、日展で特選を受賞した「芥子」や「蓮池」、文部大臣賞を受けた「朝」、日本芸術院賞の「彩池」などがあります。これらの作品はいずれも、静謐で幽玄な自然の風景を描き、彼の画風の魅力をよく伝えています。
鈴木 強は、現代の琳派を代表する日本画家のひとりとして知られています。
『笑う動物シリーズ』で人気を博しました。
金銀箔が施された華やかな背景と、長谷川等伯や伊藤若冲などをオマージュしたモチーフが特徴的です。
『笑うカバ』では「神奈川沖浪裏」、『笑うニワトリ』では「群鶏図」がモチーフにされています。
このような作風を確立したのは、雪の降る日に訪れたサファリパークで出会ったゾウがきっかけだったといいます。
彼は、「可哀想だと思っていたが、ゾウが長い鼻で雪を口へ運んでいたのを見て、可哀想だと思うのは自分のおごりだったと気付いた。そこには、人と自然の対立した悲劇性をとっとと乗り越えて笑うゾウがいた。
それ以来、心の強さや幸福を表すような笑う動物を描いている。」と語りました。
やまと絵と現代的な感性を掛け合わせた彼の作品は、縁起物として飾られるなど多くの人に幸福を届けています。
小早川 清は、美人画を得意とし、大正から昭和にかけて活躍した画家です。
現代的な女性像を描き、艶やかで上品な雰囲気を繊細に表現しました。小児麻痺の後遺症のため、左手一本で絵を描いたことで知られています。
小早川は、1899年に博多に生まれました。19歳で上京し、近代日本画の巨匠として知られる「鏑木清方」に師事し、美人画を学びます。
鏑木の開いた画塾で腕を磨き、1924年に開催された第5回帝展にて「長崎のお菊さん」を出品し、初入選を果たしました。
1927年頃には木版画の制作を始め、「近代時世粧」というシリーズを出版して表現の幅を広げていきました。芸者歌手の市丸を描いた「旗亭涼宵」が第14回帝展で新特選を受賞するなど、多くの功績を残しました。
その後も熱心に活動を続けていた小早川ですが、1948年に東京の自宅で脳溢血により亡くなります。
彼は数多くの作品を手掛け、特に昭和初期の作品は高く評価されました。
代表作には『長崎のお菊さん』『春琴』『蘭館婦女の図』などがあります。
1944年に京都府で生まれ、1968年には東京藝術大学を卒業します。その後、髙山辰雄に師事し技術を高め、数々の作品で賞を受賞します。
また、国内で個展も開催し、九州産業大学大学院芸術研究科教授に就任や講演会を行うなど、多方面で活躍されている画家でもあります。
主に海辺や森林を題材とした風景画や花を中心とした作品を制作しており、それらは伝統的な日本画でありながらも、独自の描き方から生み出される穏やかで幻想的な雰囲気が彼の特徴的な作風と言えます。
白昼夢のように柔らかな表現は、見る者の心を穏やかにするだけではなく、作品と一体化するかのように引き込まれるほど蠱惑的です。
浜田泰介(はまだ たいすけ)は、愛媛県宇和島市出身の日本画家です。
彼は、色彩や形態を駆使して、視覚的なインパクトを強調する作品を制作しており、日本画という枠に囚われない独自のスタイルを確立しています。
早期は抽象画家として活動しており、アメリカに渡って活動しておりました。その時代に磨いた表現が、後年の作品でも生かされていると言えます。
大覚寺や醍醐寺など、数々の名刹の障壁画を手掛けており、自身でも「平成のふすま絵師」と称しております。
彼の作品には、抽象的な表現の中に人間の感情や自然、宇宙的なテーマを感じさせる要素が込められており、視覚的に感動的なだけでなく、鑑賞者に思索を促すような深みを持っています。
齋藤満栄は、新潟県出身の日本画家です。
多摩美術大学日本画科(横山操教室)を卒業し、翌年の1973年には文化庁現代美術選抜展で文部大臣賞を受賞しました。
そののち、堅山南風の内弟子となり、1979年には院展で初入選を果たしました。
その後も1991年から2000年代にかけて院展を中心に、外務大臣賞や日本美術院賞(大観賞)をはじめ多くの受賞歴があります。
2006年には日本美術院同人に推挙され、以降も国内各地で個展を開催するなど、精力的に活動を続けています。
代表的なモチーフには牡丹があり、岩絵具の濃淡で表現された優雅でふくよかな花姿が特徴的です。