吉井英二は、1930年の生まれの高知県出身の日本画家です。
戦前から活動し、二科会で多くの評価を得た方です。
1950年に第40回二科展初入選し、1970年の第55回二科展では特選に選ばれております。1972年二科会絵画部会友推挙、1979年二科会絵画部会員推挙されます。戦前から戦後にかけて活動を続け二科会を中心に活躍し、二科展安田火災美術財団奨励賞受賞などの多くの評価を受けました。
作品は力強い自然や虎などの動植物が高い評価を得ており、掛け軸にしてお部屋に飾られる方も多く、一方で儚げな少女の絵は額装で飾られており、幅広い需要でファンを獲得している作家さんです。多忙ながらも地域の為に絵画教室を開くなど、日本の戦後からの芸術の発展に尽くされた方でもあります。
画風としては基本的には山や風景などの雄大な自然を大きく描き、虎や鯉などの動物は美しく緻密に描いています。また、作品の描かれた季節がタイトルになくとも一目で察する事ができ、表現力を強く感じる魅力的な絵を描かれる方です。
成田陽は、昭和期に活躍した日本画家です。
1922年に旧満州で生まれた成田は、その後東京に移り住み、現在の愛知県刈谷市に転居しました。1949年の中美展入賞をはじめ、日春展などで様々な賞を受賞してきました。
また、1951年からは日本画家・中村岳陵に師事します。同年の第7回日展に『瓦斯工場』が初入選し、以後1988年まで連年日展に出品しております。個展も開催し、ヨーロッパ・中国を取材した際に描いた作品も残しております。
日本の美しい風景画や花を主に描いている日本画家の成田陽ですが、ふんわりとした柔らかさのあるタッチ感が自然と合わさるような絵柄が特徴的です。観ると作品のメインとなっている山や花に存在感を感じつつも、どこか心穏やかな気持ちになります。
現在まで多くの絵画を残されており、長くファンより愛されている作家です。拝見する機会があれば、その包み込むような自然の情景を是非とも味わってみてください。
三輪晁勢は、新潟県出身の日本画家です。
1901年に生まれ、昭和期に多くの優れた作品を残されました。
父の影響から、晁勢は小学校を卒業した後より絵を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校を卒業したあと、京都市立絵画専門学校に入学します。そこで同校に在学していた堂本印象に師事することとなり、以降印象との関係は長く続くこととなります。
同校卒業後は帝展で初入選、また特選を二度受賞するなど大きな躍進を遂げます。師・印象が画塾「東丘社」を結成すると、そこでは塾頭として中心的な存在となりました。
戦後は日展を中心に活動し、のちに日展評議員となった他、師・印象の没後は東丘社の主宰となるなど日本画壇で位置を占めるようになりました。
広い画題を扱い、鮮やかな色彩を用いた画風が特徴となります。色彩から迫力を感じさせるような風景画を描く一方、華やかな色味ながらどこか落ち着きのある花鳥画が特に印象的で、風景と花鳥は晁勢の画題の中でも人気のあるものとなります。
渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。
小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿山(つばき ちんざん)の弟子となり、絵画を学びました。
1854年に椿山が亡くなると、小崋は画家として独立します。
1864年には田原藩家老に任命されます。当時の田原藩主や筆頭家老は、かつて崋山に後押しされてその役職に就いた経緯を持ち、崋山の次男である小崋は自然、重んじられることとなりました。
小崋は戊辰戦争において重臣として大きく仕事を果たし、明治に入ると藩政の実務を執ることになりました。廃藩置県の後の1874年、小崋は豊橋に移り住みます。以後は、画家一本で生活してゆくこととなります。
作風としては師・椿山譲りの花鳥画を得意としておりました。繊細かつ伸びやかな花の描写で人気を得る一方、水墨山水画や人物画などでも高い技量を発揮し、渡辺崋山の次男として申し分ない才能を見せました。山下青厓や大橋翠石など、多くの門人を育成したことでも有名です。
斉藤和は、京都府久美浜町出身の日本画家です。
1987年に京都市立芸術大学日本画専攻を卒業したあと、日本画家としての活動を本格化し、京都美術工芸展で大賞を受賞するなど現在まで多くの受賞履歴を残しています。
斉藤が描くのは主に風景画です。作品の特徴は、全体を柔らかく包むような青や緑の色彩描写です。月星に社、桜に風といった古来の和を趣深く幻想的な雰囲気で表現し、みる人を安らぎへ導くような絵画が印象的です。
斉藤が最初に扱い、日本画を始めるルーツとなった岩絵の具が緑青だったといいます。色味の持つ美しさを引き出し、またモチーフの厳かな佇まいを引き出すような色彩のタッチには、日本画の伝統美の最先端を感じることが出来ます。
近年も全国で個展が開催されており、目に留まる機会は少なくないかもしれません。斉藤和の作品に触れる機会がございましたら、是非作品の色彩があらわす幽玄な雰囲気をその肌で感じ取ってみてください。
吉田善彦は、20世紀の正統派日本画を代表する巨匠です。
1912年の東京に呉服屋の次男として生まれ、17歳の頃から日本画家・速水御舟に弟子入りします。そこでは古典模写、デッサン、絵に対する心持ちなど多くのことを学び、生涯に渡り善彦を感化することとなりました。
1933年に師・御舟は急逝します。四年後の1937年、御舟の旧画室で描いた善彦の作品『もくれんの花』は、院展で初入選を果たすこととなりました。以降も幾度となく院展に出品し、入選をしております。
1940年からは法隆寺金堂壁画の模写事業に参加しており、戦後に至るまで仏画の模写作業に従事しました。
速水御舟が基本的に弟子をとらない方でしたので、吉田善彦は御舟の数少ない弟子として語られることが多いです。もちろん、古典の重要性を説いた御舟の教えはその画風に大きな影響を及ぼしていますが、一方で「吉田様式」と呼ばれる独自の画法も作り上げており、今日の評価につながっております。
「吉田様式」では、一度描いた絵に金箔のヴェールを被せ、その上にもう一度絵を描き起こします。そうすることで彩色の放つ光に鈍みを持たせ、伝統的日本画の持つ気品と荘厳さを際立たせました。
吉田善彦の日本画をご覧になる機会があれば、是非その表現に注目してみてください。