宮永岳彦は、静岡県出身の洋画家です。油絵をはじめ、ポスターや童画、週刊漫画TIMESなどの表紙画、水墨画などを手掛けました。
宮永は第二次世界大戦の兵役後、松坂屋銀座店宣伝部に勤務する傍らで創作活動を行いました。
1974年には、ブラジルの日伯文化協会の依頼で当時の皇太子・皇太子妃の肖像画を手掛けました。
これは明治期以降、正式な許可を得て皇室を描いた唯一の作品といわれています。
この出来事をきっかけに、国際芸術文化復興会の依頼でインドネシアのスハルト大統領夫妻とその令嬢を描き、衆議院の依頼で「平和憲法公布記念式典図」と「第1回国会開会式図」を製作しました。
日本でも高い評価を得た宮永は日本芸術院賞を受賞し、1986年に二紀会理事長に就任しています。
細迫諭は、テンペラと油彩を組み合わせた独自の技法で知られる画家です。
東京造形大学絵画科を卒業後、東京藝術大学大学院油画技法材料研究室を修了。
1991年には国際滝富士美術賞を受賞し、多数の個展・グループ展を国内各地で開催しています。
「テンペラ」とは、乳化作用のある固着剤を用いた絵具や絵画技法のことを指します。
西洋で広く使われた卵テンペラを中心に、蝋テンペラ、カゼインテンペラなどの種類があります。
細迫は、テンペラ技法を基盤に、油彩や箔、木材など多様な素材を用いるのが特徴です。特に屋久杉・黒檀といった木板の木目を下地として活用し、そこに果実や花、風景などを描き込むことで詩的な世界観を生み出しました。
現在は、東京造形大学などで非常勤講師を務めながら制作活動を続けています。
1925年福岡県で生まれた日野氏は、1948年に日本美術学校洋画科卒業後、戦後の日本洋画界を代表する巨匠の一人である林武に師事し、独自の世界観溢れる油彩を極めていきました。
在学中に時事新報社に入社して美術を担当、その後は産経新聞社に転職し美術記者として活躍されました。一方芸術家としての活躍も大きく展開していきます。1958年に開催された第44回光風会展に2点の作品を出品し、プールブ賞の受賞を果たしました。
昭和後期は抽象が主流であった中、現代美術に対する日野氏ならではの見解を提示したり、新しい具象絵画の創造ある未来を目指す活発的な作家活動を展開したり、著書で芸術に対する想いを述べたりと、生涯に渡って自身の芸術と向き合い続けました。
佐藤哲郎は宮城県出身の洋画家で、点描を用いた油彩画で知られています。
児島善三郎、今泉篤男に師事し、複数回の渡仏やサロン・ドートンヌへの連続出品など国際的に活動しました。
点描とは、近接して配置された異なる色の点が、見る者の網膜上で混ざり合って一つの色のように感じる「視覚混合」を狙った技法です。ジョルジュ・スーラらが展開したこの技法は、「新印象派」の画家たちによって更に発展しました。緻密な点の配置によって、光・影・色彩の鮮やかさや奥行きが強調されるのが特徴です。
佐藤は日本国内やヨーロッパの景色、花、舞妓などを詩情豊かに描きました。点描による色の重なりや光の表現など、細部にわたる技巧と色彩表現によって描き出された作品は、今も多くの人に愛されています。
伊藤 清永は、白日会・日展を中心に活躍した洋画家です。
鮮やかな色彩と柔らかな筆致で女性像を描いたことで知られています。
1911年に兵庫県の禅寺・吉祥寺の三男として生まれ、14歳で油絵を始めました。17歳から岡田三郎助の門下生として本郷洋画研究所にて画を学び、翌年には東京美術学校(現在の東京藝術大学)へ進学しました。
写実を基調とした女性像・静物画などを得意とし、その美しさを色彩豊かに描きました。戦後は「伊藤絵画研究所」の開設をはじめ、様々な教育現場に携わるなど後進の育成にも尽力。さらに、フランスやオランダへの渡欧を経て、徐々に画風を変化させていきました。
伊藤は、日本芸術院賞恩賜賞や文化勲章を受章するなど多くの功績を残しました。1989年には故郷に「伊藤清永記念館」が建てられ、今でも多くの作品や資料が収蔵・公開されています。
生涯を通じて女性美の表現を追求し続けた彼の作品は、今もなお多くの人々を魅了しています。
1930年兵庫県淡路島出身の服部氏は、画家である父の影響で自身も画業を志すようになります。後に京都市立身術専門学校油絵科(現在の京都芸大)に入学し、更に技術を高めていきます。その後は様々な展示会に出品し受章しています。
個展も積極的に開催しており、50回以上にも渡って想いの込めた作品を展示してきました。
主にヨーロッパ美術から影響を受けており、シックで落ち着いた雰囲気の作品を中心的に描きます。また、国内の現代画家作品や文献にも目を通し、常日頃技術に磨きをかけていました。花や女性像、裸婦などを好んで描かれることが多く、奥深さを感じつつも優雅で儚さもある作品はどこか目が離せない、そんな服部氏ならではの存在感を感じられることでしょう。