ベルト・モリゾ

ベルト・モリゾは印象派の女性画家として知られています。

モリゾは、1841年にフランスのブールジュにて生まれました。
20歳でバルビゾン派ジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事し、戸外での制作をはじめました。

1864年、2枚の風景画がサロンに入選。
その4年後にエドゥアール・マネと出会います。
二人は師弟として、また親友として深い友情を築き、お互いを高め合う関係となりました。
モリゾはマネの絵のモデルも多く務めています。

その後は印象派の画家や美術批評家と交流を深め、独自の様式を確立していきました。

1874年にはマネの弟と結婚し、夫の支援を受けながら精力的に制作に取り組みます。

モリゾは、日常の中にある小さな幸せを映し出した穏やかな作風が特徴です。
純粋な印象派というイメージが強く、「印象派グループにおける本当の印象派の1人」として高く評価されました。
女性ならではの視点や、柔らかな色彩表現も魅力の一つとなっています。

代表作には『アフター・ランチ』『穀物畑』『夏の日』などがあります。

エドガー・ドガ

エドガー・ドガは、印象派の代表的な画家として知られています。
一般的には印象派の一員とされていますが、戸外制作を好まず古典的な技法を重んじるなど、他の画家とは一線を画す存在でした。

1834年、ドガはフランスで銀行員の家に生まれました。
国立美術学校に入学し、ドミニク・アングルの弟子であるルイ・ラモートに師事します。

のちにアングルから「線を引きなさい、たくさんの線を。記憶によってでも、ものを見ながらでもかまいません。」と助言を受け、デッサンを重要視するようになりました。

当初は模写や歴史画を制作していましたが、1860年代ごろからは都市の風俗をテーマに描くようになります。
屋内で人物を描くことを好み、晩年には視力の衰えからパステル画彫刻などを手掛けました。

ドガは鋭い観察眼を持ち、写実的かつ大胆な構図で都市の生活を描きました。
光と影のコントラストや、物語性を感じさせる空間表現などが魅力的で、彼の作品は見る者を惹きつけます。

代表作には『オペラ座のオーケストラ』『アブサン』『バレエのレッスン』などがあります。

エドゥアール・マネ

エドゥアール・マネは、印象派の先駆けとして知られる画家です。

「見たものをそのまま表現すること」が大切だと考え、新たな様式を確立しました。
明るい色彩と明確な輪郭、平面的な構成が特徴です。

マネは、1832年にパリの裕福な家庭に生まれました。
海軍兵学校の入学試験に2度落ち、父親の許可を得て画家を目指します。

1849年から6年間トマ・クチュールのアトリエで修業し、のちにアルベール・ド・バルロワと共有のアトリエを構えました。

1859年、サロンに『アブサンを飲む男』という作品を初めて提出。
それから2年後のサロンでは『スペインの歌手』をテオフィル・ゴーティエが絶賛したことで優秀賞を受賞しました。
しかし、同時に提出していた『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』は「肉親という最も神聖な絆を踏みにじっている」として批評家から非難されています。

その後もサロンや画廊に作品を提出しますが、古典的な絵画が好まれる時代にはそぐわないスタイルであったため、全く評価されませんでした。

1860年代後半から、モネルノワールピサロなどの若手画家と交流するようになり、彼らは「バティニョール派」と呼ばれました。

1870年、普仏戦争が起こり国民軍に入隊。
混乱が落ち着いた頃にパリへ戻り、活動を再開しました。

以降、セーヌ川に浮かべたボートをアトリエにして制作を行うなどし、51歳で梅毒の症状悪化により亡くなりました。

マネは、レアリスムやジャポニスムなどを取り入れながら独自の世界を表現しました。
彼自身はサロンでの成功を夢見ていましたが、ありのままを描く作風はサロンの理想とは正反対なものでした。
生涯高い評価は得られませんでしたが、次世代の画家につながる新たな道を切り開いたのは確かです。

今では印象派の基盤を作り上げた巨匠として評価され、多くの人を虜にしています。

代表作には『オランピア』『草上の昼食』『笛を吹く少年』などがあります。

クロード・モネ

クロード・モネは、印象派の代表的な画家です。
同じモチーフを同じ構図で、気候・季節・時間を変えて描いた『睡蓮』などの連作で知られています。

また、「印象派」という名称は、モネの代表作『印象・日の出』に由来します。

モネは、1840年にフランス・パリで生まれ、5歳でル・アーブへ移りました。
幼い頃から絵が得意で、10代後半ごろにはカリカチュア(誇張した似顔絵)を売っていました。

1858年、風景画家「ウジェーヌ・ブーダン」と出会い、油絵を学び始めます。
翌年、パリに移ってアカデミー・シュイスに入学し、ピサロと知り合いました。

その後、アルジェリアでの兵役を経てル・アーブに戻り、「ヨハン・ヨンキント」と出会います。
モネは彼を「真の師」と呼び、強く影響を受けました。

同年、再びパリに戻り「シャルル・グレール」のアトリエに入りました。
シスレールノワールバジールらと交流を深め、共に戸外制作をするようになります。

1865年、『オンフルールのセーヌ河口』『干潮のエーヴ岬』がサロンに初入選しました。
この2作はサロンの好みに合わせたため、やや古典的な作風でした。
その後、印象派に近い作風の作品を提出しましたが2度落選し、以降サロンには出品しませんでした。

サロン中心の評価制度に失望したモネは、仲間たちとともに計8回の「印象派展」を開催します。

以降も連作に取り組むなど熱心に活動し、晩年は白内障に苦しみながらも制作を続け、1926年に亡くなりました。

瞬間の光や色彩をそのまま映し出す印象派の作風は、近代美術の発展に大きな影響を与えました。

代表作には『印象・日の出』『睡蓮』『積みわら』などがあります。

横尾 忠則

横尾 忠則は、兵庫県出身の画家・グラフィックデザイナーです。
力強く個性あふれる作風により世界的に高く評価されています。

1936年、兵庫県に生まれ、2歳で呉服商を営む叔父夫婦の養子となりました。
幼少期から数多くの「超常現象」を体験し、「」に対する関心を抱いていました。

1945年には神戸の空襲を経験し、命は助かりましたが、崩れゆく街の光景が脳裏に深く刻まれました。
この経験は、後年の作品にも強く影響を与えています。
また、ある日校庭に突然グラマン戦闘機が3~4機降下し、パイロットの顔が見えるほどまで機体が迫ったことで、強く死を意識したといいます。

高校では美術学校出身の教師の影響で油絵を始め、絵画展などで入賞を重ねました。

1956年にスカウトされ神戸新聞社に就職し、数年後に退社。その後、日本デザインセンターに入社しました。
同時期にオノ・ヨーコ三島由紀夫らと出会い、親交を深めています。

グラフィックデザイナーとして成功を収めた後、パブロ・ピカソの個展に衝撃を受けたことをきっかけに、画家としての道を歩む決意をしました。

横尾の作風は「死生観」や「宗教」などをテーマに、大胆な構図や個性的なモチーフ、鮮やかな色彩で精神世界を表現しているのが特徴です。独自の世界観を持つ作品は唯一無二の存在感を放っています。

90歳を目前にした現在も創作活動を続け、精力的に展覧会を開催しています。

代表作には『TADANORI YOKOO』『腰巻お仙』『Y字路シリーズ』などがあります。

日高 蔀

日高蔀は、鹿児島県種子島出身の画家で、1931年に生まれました。
1952年に鹿児島大学教育学部教員養成科終了後、1962年二科展に初入選します。以後連続入選され、1971年に渡欧したのち1976年ル・サロン金賞受賞します。
そしてル・サロン会員となりました。
その後も順調に経歴を重ね、1977年パリ国際絵画芸術祭に出品、ベルギー王妃賞、グランプリ銀賞受賞を受賞します。
1978年にはパリ国際展に出品、特別賞を受賞。
1980年パリ国際展にてグランプリ金賞受賞。
アンデパンダン会員となり、1981年ベルギー国際展にてヨーロッパ芸術文化賞受賞します。
1983年ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール会員となり、1985年パリ市より文化功労賞を受賞。
1993年にはポルトガル、リスボン・ヴィラ・ド・ビスポで日本・ポルトガル交流作品展に出品。全作品がリスボン市美術館に収蔵され、 1995年鹿児島県中種子町文化会館(種子島こり~な)の緞帳原画を作成しました。
東京・大阪などで、個展多数開催など輝かしいご活躍をなされ、2004年に逝去されました。

 

斎藤 要(斉藤 要)

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アノラ・スペンス

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ポール・セザンヌ

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鈴木 マサハル

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平野 琳人

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定岡 宏

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辻 真砂

辻 真砂は、女性画や風景画を中心とする洋画家です。 無所属のまま活動を続けており、定期的に個展を開催しています。 辻は1951年に大阪府で生まれました。 関西美術院に通い、卒業後は1976年~1980年までスペインに留学 …

伊勢崎勝人

伊勢崎勝人は1949年八丈島生まれの洋画家です。 1972年に坪内正に師事し、1978年に東京藝術大学を卒業しました。その後はスペインを中心に渡欧、帰国後は日本全国で展覧会を開き、日展の審査員を務めるなど精力的に活動を続 …

鶴田憲次

鶴田憲次は長崎県佐世保市出身の画家です。 京都市立芸術大学西洋画科専攻科 (現在の大学院)に在学中の頃から、国内だけに留まらず、海外でも精力的に展覧会を行っていました。 1973 年から約40年間にわたり京都市立芸術大学 …