鈴木那奈(すずき なな)は、日本の洋画家です。京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)にて学び、大学院でも洋画を専攻しました。
繊細な筆致と色彩で、女性の内面性を静かに描く詩的な世界観が特徴です。
女性をモデルに、現代を生きる女性の「しなやかな美」や「孤独」を描く視線がを大切にし、油彩で多色を混合して独自のモノトーンの色調を作り出す手法を採用しています。
また、花のモチーフも多く扱っております。
展覧会「光ゆれる」では、自然光にこだわりながら、少女の内面に揺れる繊細な感情や希望、喜びと悲しみ、光と影といったテーマを約30点の油彩作品で表現しました。
佐田 勝は、ガラス絵の普及に大きく貢献した画家として知られています。
1914年に長崎市に生まれ、幼少期は台湾、熊本、和歌山、北海道、姫路、東京などを転々として過ごします。
東京美術学校油画科に入った佐田は、洋画家の藤島武二に師事しました。
卒業後は、福沢一郎を中心とした美術文化協会の結成参加、美術グループ「同時代」の結成・解散を経て、無所属になった後も作品を作り続けました。
1951年には日本ガラス絵協会を創立し、代表を務めています。
佐田は、花や鳥など自然のモチーフを中心に描きました。
力強い輪郭線と鮮やかな色彩が印象的で、ガラス絵特有の透明感や艶を楽しむことができるのも魅力の一つです。
代表作には『野霧』『デイゴ 沖縄の家』『ギボウシ・キジバト』などがあります。
油彩で花や静物画を描くことが主流の伊藤氏は、主に陽光溢れるタッチ感で、優しさと美しさを併せ持った作風が特徴的です。
1944年東京都出身で、大学卒業後は父・伊藤清永に師事し、翌年にはイタリア国立ミラノ・ブレラアカデミーに入学、ヨーロッパの地で技術を磨き、1985年には日展にて特選を受賞するなど、昭和後期から平成初期にかけて国内での活躍の場も広がっていきました。
冒頭でもご説明した通り、陽の明るさが差し込み、まるで作品の主役となる花や風景を全体的に包み込むような温かさを感じる作風が、観る者の心を掴む、魅力溢れる作品を描いています。
国吉 康雄は、アメリカを代表する日本人画家として知られています。
1889年に岡山県で生まれ、16歳のときに単身で渡米。
鉄道車庫の掃除やホテルのボーイなど様々な仕事をしながら美術学校に通いました。
1917年には展覧会に作品を出展し、画家としての活動をスタートします。
東洋と西洋の要素を融合させた独自のスタイルで注目を集め、次第にアメリカでその名を知られる存在となっていきました。
初期の作品には素朴な表現が見られますが、のちにエコール・ド・パリの影響を受け、より洗練された色彩や構図へと変化していきます。
戦争を経た後期になると、緊張感のある構図や、内面の不安・苦悩を映し出したような作品が多くなりました。
特にこの時期の作品には、不穏な空気感や観る者に問いかけるような強い存在感があります。
1952年、アメリカは移民帰化法を裁可し、アジア出身の移民一世にも市民権取得の道が開かれましたが、国吉は手続きを終える前に胃がんで亡くなりました。
アメリカに忠誠を誓いながらも日本国籍を持つ国吉は、「敵性外国人」として様々な苦難を経験しました。
彼の作品には、異国に生きる者ならではの視点や、複雑な感情が色濃く表れています。
代表作には『誰かが私のポスターを破った』『逆さのテーブルとマスク』『果物を盗む少年』などがあります。
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、「印象派」を代表する画家です。
ルノワールは、1841年にフランス・リモージュで仕立屋の息子として生まれました。
家族と共にパリへ移り、13歳で磁器の絵付け職人の見習いとなります。
その後、画家を志してシャルル・グレールの画塾に入り、モネ、シスレー、バジールらと知り合いました。
1864年にはサロン・ド・パリに初入選。
この頃、モネとともに印象派の特徴である「筆触分割」の手法を編み出します。
普仏戦争では騎兵隊に従軍し、翌年パリに戻りました。
1874年、モネやピサロと共同出資会社を設立し、サロンから独立した「印象派展」を開催。
しかし、当時は理想を描くアカデミック美術が中心の時代であったため、印象派の新しい表現は酷評を受けました。
以降もサロンへの応募・入選を繰り返しますが、印象派の表現技法に限界を感じ、色彩重視からデッサン重視へと転向します。1890年代以降には、このスタイルを脱した穏やかな色調に変化しました。
数年後、自転車から落ちて右腕を骨折し「慢性関節リウマチ」を発症。療養のため南フランスに移ります。
その後は、体の痛みや麻痺に苦しみながらも作品への情熱を失うことなく、不自由な手に絵筆を縛りつけて制作を続けたといいます。
そして1919年、ルノワールは肺充血により亡くなりました。
常に理想の表現方法を追い求めた彼の存在は、後世の画家たちに大きな影響を与え、今も世界中の人々を魅了し続けています。
代表作には『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』『ピアノに寄る少女たち』『雨傘』などがあります。
1963年神奈川県出身の山本氏は、1987年に武蔵野美術大学卒業後、銀座大賞展 大賞受賞を皮切りに様々の賞を受賞しました。また、1995年には上海美術館にて作品の展示も行われています。
現代的な「豊かさ」とは別に、肉体的・精神的にも「豊か」であろう原始の世界に回帰する、という想いが込められた表現で多様な素材と技法を用いて平面・立体問わず表現の幅を広げており、主に人物画に作風を詰め込んでいるのが特徴的です。
日本を代表する現代画家でありながら、現在武蔵野美術大学教授として、その卓越された技術等を後世に説いています。