里中 游は、1953年に兵庫県明石市で生まれた画家です。
 油彩画をはじめ、グラフィックデザインや建築デザイン、商業デザイン、イラストマップなど多岐にわたって活動しています。
里中は旅行が趣味だそうで、訪れた先の田園風景や海、湖畔などを中心に描きました。新たな土地で感じる高揚感や心地よさなどが、シンプルな構図と鮮やかな色彩で表現されています。里中は自身の作品について、「見る者の心の状態によって毎日印象が変わる」と語っているそうです。
里中は個展やグループ展の開催などを行っており、現在は西明石に構えたアトリエ兼ギャラリーで活動を続けています。
國領經郎は、神奈川県横浜市生まれの洋画家で、日展をはじめ国際的に活動しました。
1941年に東京美術学校(現・東京芸術大学)図画師範科を卒業。
 初めは人物画を中心に制作していましたが、1950年代後半から点描表現を試み、1960年代中頃からは「砂の風景」をテーマに砂丘・砂浜・海・鳥・若者といったモチーフで構成された静謐で詩的な世界を描くようになります。
彼の作品には、広大な砂丘を前景とし、遠景に海や波頭、鳥や人影が配されることで、時間や空間を超えたような瞑想的な雰囲気が漂っています。
数々の展覧・受賞歴もあり、1986年には第18回日展で内閣総理大臣賞を受賞、1991年には日本芸術院賞受賞と同会員に就任しています。
1999年に逝去した後も、彼の「砂の風景」シリーズは国内外で高く評価され続けています。
カミーユ・ピサロは、印象派の代表的な画家です。
ピサロは、1830年にセント・トーマス島で金物屋の家に生まれました。
 1855年に画家を志してパリへ移り、アカデミー・シュイスに通いはじめます。
 数年後には、パリに出てきたモネやセザンヌ、ギヨマンと交流を深めました。
1859年のサロンに、『モンモランシーの風景』が初入選。
 その後もバルビゾン派の影響を受けた作品をサロンに提出し、入選を重ねます。
普仏戦争が勃発すると一家でロンドンへ避難し、ターナーやコンスタブルの作品に触れながら風景画を研究しました。
1874年以降、ピサロはすべての印象派展に参加し、1880年代には人物画にも力を注ぎました。
 印象派グループにおいて、彼は印象派と後期印象派の橋渡し役のような存在だったとされています。
晩年には視力の衰えにより戸外での制作が難しくなり、ホテルの窓から都市の様子を描き続けました。
人と自然を愛し、穏やかな日常を描いた彼の作品には、素朴ながらも見る者を惹きつける魅力があります。
 日差しや向けられた視線の優しさなどにも、彼の人柄がよく表れています。
代表作には『モンモランシーの風景』『エルミタージュの丘・ポントワーズ』『ヴォワザン村の入口』などがあります。
小野 州一は、富良野ゆかりの洋画家として知られています。
1927年に北海道千歳市に生まれ、幼少期から絵や詩に関心がありました。北海道立札幌第一中学校を卒業後は独学で絵を学び、画家仲間と共に「北象会」を立ち上げて注目を集めます。1973年から1977年までパリを拠点に活動し、1995年には北海道富良野市へ移りました。
小野は油彩を中心に、風景、静物、女性像など幅広い作品を手掛けました。
 鮮やかな色彩に重なる沢山の線描が印象的で、対象物に自身の内面を反映させた詩的な作風が魅力です。
没後も北海道立近代美術館や富良野市などで遺作展が開催され、「線描のコロニスト」とも称されました。
日本の洋画家として活動し、特に裸婦や異国風俗画を題材とした作品描いたことで知られています。
1925年兵庫県神戸市で生まれ、1949年の自由美術展出品を皮切りに、数々の作品を出品・受賞してきました。また、1952年に反戦平和美術協会を結成、1955年にはリアリズム美術集団を結成し、今現在作品の特徴的軸となる具象リアリズムの基盤を作っていきます。
1966年からは個展を開催し、1970年代は制作の為に欧州の取材旅行をするなど、多岐にわたる活躍を見せます。
生命賛歌に満ちた健康的な肉体美や、光導く美しい風景画を描く栄永氏の作品は、恍惚感に浸るほど魅力的で惹きつける力を持ち合わせています。
ゲーリー・ウェルティは、海や自然をテーマにした風景画を得意とする画家です。
1964年にアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、10歳で油絵を始めた彼は、学生時代から数々のコンテストで入賞を重ねます。
 1982年に訪れたマウイ島に魅了され、その後、マウイ島に活動拠点を移しました。移住後すぐにいくつかのギャラリーと契約を結びますが、自然と戯れることに夢中になって絵を描かなくなってしまいました。
20代後半で故郷に戻って本格的に作品制作に没頭します。企業向けイラストレーションを中心に活動し、これをきっかけに自身の作品制作に自信が持てるようになりました。
 そして再びマウイ島に移り、毎日絵を描くようになります。この時期は、作品がギャラリーに掛けられるとすぐになくなってしまうほどの人気でした。現在は、故郷で創作活動を続けているとのことです。
ゲーリー・ウェルティは、スケッチや写真の模写を行わずにアクリルボードに筆を滑らせる、という独自の描き方が特徴で、「天性の画家」として多くの人に愛されています。