竹内栖鳳は、横山大観と並び近代日本画の大家として、非常に有名な人物です。
1864年、京都二条城にほど近い料理屋の長男として生まれました。1877年に四条派絵師の元で絵を学ぶようになり、1881年には川合玉堂や上村松園の師でもある幸野楳嶺の画塾へ入門します。1887年、結婚を機に独立し、様々な展覧会で作品を発表していくようになりました。1900年のパリ万博では、出品作が賞をとったことから、栖鳳自身もヨーロッパを訪れます。本場の洋画を学び帰国すると、号を「棲鳳」から「栖鳳」へ改めました。1907年以降は文展や帝展の審査員を歴任し、1913年には帝室技芸員となります。1937年の第一回文化勲章も大観と共に受章しました。
四条派日本画を基礎としつつ、他の画派や西洋技法も取り入れて描かれる作品は、従来の日本画とは一線を画すものですが、この栖鳳の柔軟さが近代日本画の革新に繋がったのは間違いないといえます。そんな栖鳳の作品の中で最もその特徴が表れているのが動物画です。対象の姿を忠実に写し取るだけでなく、そこに漂う空気感までも描くその作品は「動物を描けばその匂いまで描く」と評されるほどです。
作品の評価は非常に高く、「東の大観、西の栖鳳」と称され、現在でもコレクター垂涎の的となっています。
代表作の『絵になる最初』・『斑猫』は国の重要文化財にも指定されました。