斎藤 要(斉藤 要)

斎藤要(さいとう かなめ)は兵庫県出身の画家で、主に描いている作品は油彩による都市風景画が中心的です。

1973年にデザイン学校にて学び、後に川田茂先生に師事します。
1977年には現美展の新人賞受賞を皮切りに様々な賞を受賞、同時期に個展の開催も活発的に行っており、活躍の場を広げていきました。

1989年から取材旅行の為に訪れていたヨーロッパに魅力を感じ、 街にあふれる光や欧州独自の空気感に感銘を受け、 その想いをペインティングナイフに乗せて描き始めた事から、油彩画の作品が完成されていきました。また、国内では縁あって新潟を取材する際に、ヨーロッパと同様の街と自然の風景と人々日常生活から生み出される魅力的な光に感動し、同様に作品に想いを載せ続けました。

実際に目に焼き付けた自然と日常の調和が見られる風景を想いのままに描き続ける真っ直ぐな姿勢は、作品本体にも反映されています。

ジョルジュ・スーラ

ジョルジュ・スーラは、「点描技法」を発展させた新印象派の画家です。

1859年、スーラはパリの裕福な家庭に生まれました。
国立美術学校で教育を受け、兵役についた後、パリに戻って素描を学びました。

1883年にコンテで描いた『アマン・ジャンの肖像画』がサロンに入選。
この頃から、のちに代表作となる『アニエールの水浴』の制作を始めました。
翌年に完成しましたが、サロンでは落選し、アンデパンダン展に出品しています。

さらに同年、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を制作。
この作品は、第8回印象派展に出品され話題となりました。

その後も長い時間を研究に費やし、新たな表現を求めて絵を描き続けました。
しかし、1891年に点描による躍動感を表現するために『サーカス』の制作を始めましたが、未完成のまま病死しています。

スーラは、印象派の生み出した「筆触分割(絵具を混ぜずに小さな筆触を並べる)」という手法を発展させました。
また、光学理論・色彩理論の研究に基づいて原色補色を並べることで、色彩をより鮮やかに見せられると考えました。

印象派は感性に基づいた芸術、新印象派は緻密な計算から成る芸術としてそれぞれ発展しています。

スーラは短い生涯の中で「新印象派」としての地位を確立し、死後はポール・シニャックが点描法の研究を引き継ぎました。

代表作には『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『サーカス』『ポール・アン・ベッサンの外港』などがあります。

アノラ・スペンス

アノラ・スペンスは、イギリス出身の女性画家です。

大学でテキスタイルデザインを学び、首席で卒業。その後フリーランスの画家・デザイナーとして活動を始めます。
画家としての活動と並行して、美術学校やデザイン学校で教鞭を執り、マレーシアでは舞台美術を教えるなど幅広く活躍しました。

1990年頃からは画家に専念し、多数の個展や展覧会を開催。
はじめて版画を制作した1994年以降、記録的な早さで絶版が続いています。

作品によく描かれる白い犬は、イギリス原産のブルテリアという彼女の好きな犬種だそうです。
現在では彼女は農場に住み、動物たちと共に過ごすことでインスピレーションを得ているといいます。

人と動物が触れ合う様子を温かく色彩豊かに表現するユーモアたっぷりの作風は、国境を越えて支持され、世界中のファンを魅了し続けています。

ポール・セザンヌ

ポール・セザンヌポスト印象派を代表する画家であり、キュビスムをはじめとする20世紀美術に大きな影響を与えました。その功績から「近代絵画の父」と称されています。

1839年、セザンヌは南フランスのエクス=アン=プロヴァンにて、銀行員の家庭に生まれました。

法学部に通っていましたが、画家を志してパリへ渡り、ピサロと親交を深めました。
5か月ほど経った頃に自信を失くしてプロヴァンへ帰りますが、もう一度パリで絵を描くことを決めます。
また、この頃にモネルノワールなどの印象派と出会いました。

その後は印象派の仲間とサロンに出展するなど、精力的に活動を続けました。
しかし、一瞬を切り取る印象主義よりも、永続的なものや本質を描きたいと考えはじめ、グループを離れて独自のスタイルを追求しました。

暗く重厚感のある作風や印象派らしい作風を経て、彼独自の鮮やかで大胆な筆使い、対象物をデフォルメした表現へと変化していきます。

1880年代からは故郷に戻り、ひとり静かに絵を描き続けました。
そして1906年、野外での制作中に大雨に打たれて体調を崩し、亡くなりました。

生前は十分な評価を得られませんでしたが、今ではポスト印象派を代表する一人として地位を確立しています。

代表作には『首吊りの家』『オーヴェルの眺め』『リンゴとオレンジ』などがあります。

アルフレッド・シスレー

アルフレッド・シスレーは、風景画で知られる印象派の画家です。

1839年、シスレーはフランス・パリにて裕福な家庭に生まれました。
18歳でロンドンに移りビジネスを学びますが、美術への強い興味から風景画に触れるようになります。
数年後、ビジネスの勉強を辞めることにしたシスレーは、画家を志します。
パリへ戻るとシャルル・グレールのアトリエで学びはじめ、クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会いました。

当時は古典的な絵画が主流で、見たものをそのまま描くという様式は不人気でした。
このような背景から、シスレーの描いた作品がサロンで入選を果たした際も、あまり評価されませんでした。

1870年、普仏戦争の影響で父親が破産し、絵で生計を立てなければならなくなりました。
しかし、シスレーの作品はなかなか売れず、それから生涯にわたり困窮した中で生活することになります。

そして1899年、モレ=シュル=ロワンにて喉頭癌のため亡くなりました。

シスレーの900点近い油彩作品の大部分はパリ周辺の風景を描いたもので、テイストを崩すことなく一貫して風景画を描き続けました。
静かな自然の美しさや穏やかな時の流れを繊細に表現しており、今では高い評価を得ています。

代表作には『モレの教会』『モレ・シュル・ロワン』『積み藁』などがあります。

ポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャンは、ポスト印象派を代表的する画家として知られています。
サマセット・モームの代表作『月と六ペンス』の主人公のモデルになりました。

ゴーギャンは、1848年にフランスにて生まれました。
1851年、父親が職を失ったことをきっかけに一家はペルーに移ります。
彼が7歳になった時、再びフランスへ戻りました。

商船の水先人見習いとして働き、兵役でフランス海軍に入隊しました。
その後、パリ証券取引所での職を得て、株式仲買人として働きながら絵を描き始めます。

画業に専念すると決めてからは、様々な画家と交流しながら自身のスタイルを模索していきました。
初期はルノワールモネのような筆致でしたが、徐々に内面を反映した作風へと変わっています。

1891年、ヨーロッパの文明やしきたりから離れようとタヒチへ渡ります。
以降、さまざまな苦労を重ねながらも生涯にわたって絵を描き続けました。

ゴーギャンは、タヒチの女性を中心に、島の文化や宗教観を平面的な表現と南国らしい豊かな色彩で描きました。
また、エミール・ベルナールらと共に「総合主義」を提唱しています。

代表作には『タヒチの女(浜辺にて)』『黄色いキリスト』『説教あとの風景』などがあります。

鈴木 マサハル

1945年神奈川県横浜市で生まれた鈴木は、武蔵野美術大学に入学後、第一美術展奨励賞等を経てフランスに留学します。 1903年に創設され、現在も多くの芸術家が目指す芸術史でも歴史ある展覧会サロン・ドートンヌや1667年から …

吹田 文明

徳島県阿南市出身で、日本を代表する現代木版画家です。 数多くの賞を受賞し、1989年には紫綬褒章を受章、2004年には日本美術家連盟理事長も務め、更に多摩美術大学で教授も歴任しており、長年に渡り芸術分野において幅広い活躍 …

倉田 冨美

倉田 冨美は、1937年に京都で生まれた日本画家です。 日本画家の丸山石根に師事し、日輝展では金賞2回、特選1回を受賞しています。 人物画を得意とし、舞妓を題材に多数の作品を手掛けました。 舞妓は15歳~20歳頃の芸子見 …

あいはら 友子

あいはら 友子(旧芸名:原田真弓・相原友子)は、女優・画家として知られています。 1954年に兵庫県に生まれた彼女は、勉強もスポーツも苦手な子供でした。 しかし、小学3年生の頃にあった交通事故をきっかけに、様々な分野で才 …

オディロン・ルドン

オディロン・ルドンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。 感情など形のないものを、神話や文学のモチーフを用いて表現する「象徴主義」の代表的な作家として知られています。 フランスのボルドーに生 …

ジミー大西

ジミー大西は1964年1月1日生まれの大阪出身で画家・タレント。吉本興業所属の芸人として独特の天然キャラクターで人気を博したあと、1990年代より画家としての活動を本格的にスタートしました。 彼の作品は色鮮やかな色彩と自 …

北野 明信

北野 明信(きたの あきのぶ)は、大阪市出身で1959年生まれの洋画家です。1987年に市展、1989年に県展に入選し、1991年には大阪で初の個展を開催しました。その後も個展やグループ展を多数開催し、フランス・パリの国 …

笠松 紫浪

笠松紫浪(かさまつ しろう)は、日本の木版画家であり、20世紀の「新版画」運動を代表する作家の一人です。 東京・浅草に生まれ、13歳で鏑木清方に師事し、日本画を学びました。師の推薦により、1919年に渡邊庄三郎の版元から …

牧野 宗則

牧野宗則は、1940年に静岡県静岡市で生まれた木版画家です。伝統的な浮世絵の技術と、現代的な創作木版画の精神を融合させた、独自の美の世界を築いてきました。 彼の作品は、日本の自然や四季の移ろいをテーマにしたものが多く、月 …

アイベン・ロール

アイベン・ロールは、アメリカの画家・イラストレーター・アニメーターで、特にディズニー映画の背景美術で知られる芸術家です。 彼の作風は、幻想的かつ装飾的なスタイルであり、モダンアートとゴシック美術、日本画や中国画の要素を融 …

濱田 観

濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。 大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学 …

平野 琳人

1938年に東京で生まれ、成城大学卒業後に文化学院美術に進み、その後はテレビ関係の仕事につきました。長く携わった後、世界旅行を経てイギリスやニューヨークで作品の出品などを行います。 作品を手掛ける初期の頃は海外で個展を展 …

片岡 鶴太郎

東京都出身の片岡鶴太郎は、俳優・タレント・声優など多方面で活躍する一方、画家・書家としての顔も持ち、文化人としても幅広い活動を続けています。 そんな片岡が画家として活動を始めたのは1990年代のこと。きっかけは、早朝に見 …

内尾 和正

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