村上隆は1962年生まれの東京都板橋区出身で日本の現代美術家です。1986年東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年同大学大学院美術研究科修士課程修了、1993年同博士後期課程修了、博士(美術)。
村上隆は、アーティスト、キュレーター、コレクター、映画監督、有限会社カイカイキキ創業者といった様々な顔を持っています。作風は、日本画に大きく影響を受けています。日本アニメポップ的な作風の裏には、日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く、日本画のフラット感、オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれています。アニメ、フィギュアなどのサブカルチャーやオタク系の題材を用いた作品が有名です。
絵画家一覧
絹谷 幸二
絹谷幸二は、日本の洋画家になります。
奈良県奈良市元林院町に生まれます。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)し、卒業製作の際に大橋賞受賞。
小学校一年生から油絵を習い始める。
芸大卒業後、1971年にイタリアへ留学しヴェネツィアでアフレスコ古典画(フレスコ画のことで、絹谷幸二はアフレスコと”ア”をつける)の技法を研究されました。
1974年安井賞展安井賞受賞され、その後メキシコ留学などを経て、1993年東京芸術大学教授に就任し、後進を育てる。また、NHKの日曜美術館によく出演。アフレスコ絵画技法公演なども行っております。2000年に芸術院会員と
なり、新作個展は様々な全国有名百貨店にて開催されております。
2008年に35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社主催にて創設しました。2010年に東京芸術大学名誉教授に就任されました。
緑和堂では、絹谷幸二の絵画を強化買取中です。
絵画全般に精通した専門鑑定士が在籍しております。
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小倉 遊亀
滋賀県出身の画家で有名な人物といえばなんといっても小倉遊亀でしょう。
小倉遊亀は女性初の日本美術院理事長となってり105歳でお亡くなりになるまで精力的に絵を描き続けた情熱は多くの人を魅了しました。
小倉遊亀の作品は身近なものを題材にした人物画や静物画を多く描いております。代表作としましては「径(こみち)」でご存知の方も多くいらっしゃることかと思います。この作品は小倉遊亀が71歳の時の作品であり、母親の後ろを歩いていく子供と犬がほほえましく描かれているなんとも小倉遊亀らしい作品といえるでしょう。
代表作の「径(こみち)」からも小倉遊亀は日常の身近なものを描くことで近代的な表現が明確に打ち出されていると感じることができます。
小倉遊亀の郷土である滋賀県の滋賀県立近代美術館には小倉遊亀の作品が60点ほど展示されているそうですので、小倉遊亀の作品をたくさんご覧になりたい方がいらっしゃいましたら足を運んでみてはいかがでしょうか。
西村 龍介
点描で描きだされるヨーロッパの古城。二科会の巨匠、西村龍介が好んで描いた画題です。
西村は1920年、山口県小野田市に生まれました。上京したのは1936年のことで、2年後に東京美術学校に入学しました。このとき入ったのは洋画科ではなく日本画科で、以後しばらくは日本画を描きます。1941年、美術学校卒業後はそのまま出征。1945年、特攻隊員として出撃する直前に終戦となりました。戦後は故郷山口で画業に取り組み、1946年には山口の百貨店で個展を開催しました。
1950年、ふたたび上京し、背景画の仕事などで何とか生活しました。このとき日本画から手軽に描ける油彩画に転向します。1954年の二科展で初入選を果たし、その後も二科展への出品を続け、1959年には金賞を獲得しました。1964年には初めて渡欧し、欧州各国を巡ります。このときその後の画題となる城や聖堂の風景に出会いました。帰国後の1971年二科展ではついに内閣総理大臣賞を受賞しています。
日本画と洋画の技法の巧みな組み合わせが評価され、1989年には芸術選奨文部大臣賞を受賞します。2000年の二科会退会後も制作を続けますが、2005年亡くなりました。
安田 靫彦
近代日本画の復興に尽力し、戦後は制作の傍ら美術行政にも取り組んだ日本画家・安田靫彦。日本画の中でも特に歴史画を得意とし、多くの優れた作品を残しています。
安田は1884年、東京日本橋に生まれました。13歳の帝室博物館の法隆寺金堂模写や日本画家たちの作品を目にし、自らも画家になることを決意。前田青邨と共に紅児会を結成しました。東京美術学校はすぐに退学してしまいますが、岡倉天心に認められ日本美術院に参加します。1914年の日本美術院再興の際は横山大観や下村観山とともに尽力しました。また、画家になるきっかけとなった法隆寺の壁画壁画保存会にも所属しています。
戦後は国宝保存会委員や文化財専門審議会委員などにも就任し、文化財行政でも活躍しています。その他、1944年より、東京美術学校教授も務めました。
1948年に文化勲章を受章。1951年には文化功労者に顕彰されています。
代表作となる『飛鳥の春の額田王』や『窓』は切手にも採用されました。
猪熊 弦一郎
常に新しい絵を追求し続けた洋画家、猪熊弦一郎。具象画から抽象画、ときには大型の壁画まで様々な作品を描き続けた昭和日本を代表する人物です。「絵を描くには勇気がいる」という言葉を口癖にしていた彼は、その勇気で常に新しい挑戦をしていました。
1902年、香川県高松市に生まれ、幼少期は丸亀市で過ごします。幼い頃より絵が得意で、旧制中学校卒業後は東京美術学校の洋画科に進みました。小磯良平や荻須高徳らと共に藤島武二の指導を受けます。在学中には第7回帝展にて『婦人像』が初入選を果たしますが、体調を崩したことから美術学校は中退しています。その後は帝展や光風会展で作品を発表し、第10回帝展では特選を獲得しています。
1936年、新文展と対立したのがきっかけとなり、小磯良平・佐藤敬などと共に新制作派教会を設立し、作品発表の場とします。1938年には渡欧し、フランスにてフォービスムの画家、アンリ・マティスに師事します。この時期には洋画家・藤田嗣治と同じアトリエで製作を行ったこともあります。第二次大戦中は日本へ戻り、欧州で学んだモダニズム絵画で画壇を牽引する存在となりました。間もなく陸軍省派遣画家として外地に赴き、戦場を描いています。
戦後は海外の美術展でも発表を行うようになりました。1950年には三越百貨店の包装紙をデザイン。翌年には国鉄(現・JR)上野駅中央改札の壁画制作などを手がけています。1955年、アトリエをニューヨークに移し、画風もモダニズムから抽象へと転向しました。1973年に体調を崩してからは冬はハワイ、それ以外の季節は日本で過ごすようになりました。1991年には幼少期を過ごした丸亀市に「猪熊弦一郎現代美術館」が開館しました。
児玉 幸雄
西洋風景画の巨匠、児玉幸雄。彼の描く生活感あふれる風景は、今もなお多くの人々を引き付けています。 児玉は1916年、大阪で生まれました。関西学院大学の美術部で絵を学び、1936年の全関西洋画展にて初入選を飾ります。翌年に …
安食 慎太郎
日差しに照らされまるで赤く燃え上がるかのような富士の姿。画家 安食慎太郎が得意とするこの図柄は、浮き出るような立体感と鮮やかな色彩が見る者に感動を与えます。 安食は1946年に島根県に生まれ、武蔵野美術大学にて油絵を学び …
岡田 半江
江戸時代に活躍した文人画家、岡田半江。晩年は九州に移り多くの作品を残しました。 岡田半江は1782年、大坂(現・大阪)の米屋に生まれました。父、岡田米山人は米屋を営む一方、文人画家としても活動しており、半江も父に倣い絵を …
下村 為山
文明開化間もない日本で新進気鋭の洋画家としてデビューするも、間もなく日本画に転向するという異色の経歴をもつ画家、下村為山。かの有名な俳人、正岡子規と深い親交を持つ人物でもありました。 下村は1865年に愛媛の松山で生まれ …
青木 大乗
洋画と日本画の両方を学び描いた画家、青木大乗。巧みな色彩で奥行きを感じさせる静物画は、観る者を引き込む魅力があります。 青木は1894年、大阪の天王寺に生まれ、中学校卒業後京都の関西美術院で洋画を、京都絵画専門学校で日本 …
池田 満寿夫
池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。 1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ …
前田 青邨
前田青邨(まえだせいそん)は、岐阜県出身の日本画家です。 歴史画の名手であり、また近代日本画家・平山郁夫の師匠としても知られております。 日本の伝統的な大和絵を学び、ヨーロッパ留学で西洋絵画、とくに中世イタリア絵画の影響 …
村居 正之
バーナード・リーチ
バーナード・リーチはイギリス出身の芸術家です。 画家、陶芸家の他にデザイナーとしても知られています。 リーチは官僚であった父の影響で香港で産声をあげました。 幼少期を日本で過ごした事で日本に憧れを抱きます。その後ロンドン …
藤城 清治
藤城 清治は、日本を代表する影絵作家です。 影絵とは、動物や人物などに光を当てて、その影を投影したものの名称です。 影絵は日本だけでなく、あらゆる国で親しまれており、影絵芝居は世界的にもとても有名です。 元々絵を描くこと …
小泉 智英
昭和生まれの日本画家として一目置かれている存在、それは小泉智英です。 1944年に福島県に生まれた小泉智英は、多摩美術大学の日本画学科に入学後に横山操や加山又造に教えを乞うていた際にその生き様に感銘を受けたことをきっかけ …
横山 操
横山操は日本画の大きな転換期であった戦後画壇にて活躍した昭和を代表する日本画家の一人です。 1920年に新潟県に生まれた横山操は高校を卒業してから川端画学校にて学び、1940年には第12回青龍展にて「渡船場」にて初入選を …
鈴木 松年
鈴木松年(本名、謙)は明治から大正時代にかけて活躍をした日本画家であり、上村松園の最初の師としても知られております。 鈴木百年の長男として京都に生まれた鈴木松年は、幼いころから軍談や喧嘩を好んでおり父である百年から画を学 …
岩田 専太郎
岩田専太郎は長い挿絵の歴史の中でも長期間にわたって人気を持ち続けた挿絵画家です。 1901年に東京都に生まれた岩田専太郎ですが、印刷業を営んでいた岩田家はもともと徳川家の御家人であり、武家の商法であったことが影響して家計 …
小林 古径
伝統的な東洋絵画の線描を研究し描かれる作品たち。近代の日本画において革新的な朦朧体が導入される中、古径は線描による日本画を貫きました。 小林古径は1883年、新潟県の高田に生まれます。1899年には上京し、日本画家・梶田 …
ベルナール・シャロワ
透き通るような白い肌、画面の向こうからこちらを見つめる優しい眼差し。フランス人画家のベルナール・シャロワが描くパリジェンヌの微笑みは、世界中で多くの人々を魅了しています。 1931年にフランスの村に生まれ、第二次大戦後は …
黒田 清輝
団扇片手に湖の畔で景色を眺める女性を描いた『湖畔』。日本洋画界の先駆者となった巨匠・黒田清輝の代表作です。 黒田は1866年、薩摩藩士の息子として生まれました。明治維新後、子爵となった伯父の養子となり、1872年に上京し …
安井 曾太郎
青い服を纏い肘掛け椅子に座る女性の姿。梅原龍三郎と並び昭和洋画壇の双璧を成した画家・安井曾太郎の代表作『金蓉』は、当時の写実主義絵画のまさに基準となるような作品でした。 安井は1888年、京都の商家に生まれます。親の反対 …
幸野 楳嶺
京都府画学校の設立に尽力し、自身の私塾でも多くの著名な画家を育てた日本画家・幸野楳嶺。その功績は近代日本画の父と呼べるものではないでしょうか。 幸野楳嶺は1844年、京都に生まれました。1852年に円山派の絵師・中島来章 …






