池内信介は1984年の福岡県に生まれ、独学で彫金技術を習得し、彫金作家としての活動を開始しました。
その後、表現の幅を平面や立体に広げ、現代アート作家としても活躍しています。彼の作品は、特殊樹脂を用いたミクストメディア作品が特徴で、金属特有の流動的な質感を生かし、無機質な素材を有機的に再解釈しています。
2018年以降、国内外で多数の個展やグループ展に参加し、福岡アジア美術館や国立新美術館などで作品を展示しています。また、福岡県知事賞を受賞するなど、その活動は高く評価されています。
近年では、六本木にある435Galleryでの展示や、銀座 蔦屋書店での個展「色〜color〜」を開催するなど、精力的に活動を続けています。
彼の作品は、生命の根源エネルギーやその起源が拡大していく様を表現しており、観る者に強い印象を与えます。
卯野和宏氏は1978年に茨城県で生まれ、2004年に武蔵野美術大学大学院を修了しました。現在は東京都を中心に、個展の開催やデッサン講師として活動する現代美術作家です。
卯野氏の作品の特徴の一つとして、高画素数のカメラで撮影したかのような極めて繊細な描写と、絵画ならではの表現が見事に融合している点が挙げられます。髪の一本一本や動物の毛の質感はもちろん、人物の陰影に至るまで非常に美しく描かれており、初めて作品を目にしたときには、思わず至近距離で観察してしまうほどの魅力があります。
現在、SNSでは制作過程の様子や開催される個展・展覧会の情報が発信されており、作家としての思いや考え方を垣間見ることができます。理論的に計算された構図や色彩についての興味深い記事も多く、作品制作に対する深い洞察がうかがえます。
卯野氏の作品が高く評価される理由の一つとして、その希少性が挙げられます。現在も活動中の作家であるため、市場に出回る作品が少なく、作品数が限られていることから希少価値が高まっています。また、作品の魅力が非常に高いため、一度手に入れたら手放したくないと考えるコレクターが多いことも、希少性をさらに高める要因となっています。
 
東洲斎 写楽は1794年~1795年と短い期間のみ活動した謎多き浮世絵師です。
10か月程度の活動期間にもかかわらず、役者絵を中心に140点以上もの作品を発表。その後は忽然と姿を消し、残ったのは彼の作品だけでした。
写楽の正体について様々な仮説が提唱されていますが、決定的な証拠が見つかっていないため今も議論が続いています。しかしその謎めいた存在が、写楽の魅力をより一層高めているのかもしれません。
写楽の作品は、役者の個性や感情を鋭く捉えた描写が特徴で、特に「大首絵」と呼ばれる大胆な構図の作品で知られています。役者の表情だけでなく、着物に描かれた家紋から役者が分かるようにするなど細部までこだわっています。
このように役者の特徴を誇張したダイナミックな作風は、江戸の人々の間では賛否両論ありましたが、明治以降に海外へ作品が流れるようになると、大きな反響を呼びました。
彼の作品は国内外の美術館で所蔵され、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。
代表作には『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』『市川鰕蔵の竹村定之進』『三代目坂田半五郎の藤川水右衛門』などがあります。
鳥文斎栄之は、江戸時代後期に活躍した武家出身という異色の経歴をもつ浮世絵師です。美人画を中心に多彩な作品を手掛け、「十二頭身」という独自の様式を確立しました。
1756年、栄之は祖父の代から「江戸勘定奉行」を任されていた立派な家柄に生まれました。若くに家督を継承し徳川家治に仕えていましたが、1786年に家治が病死。それから3年後に栄之は隠居し、浮世絵師としての人生を歩み始めました。
彼の描く女性像は、その色使いや細くしなやかな線などから控えめで知的な美しさが感じられ、当時の浮世絵界に新しい風を吹き込みました。
上流階級や知識人などからは特に愛されていたことが知られています。
人気の高い浮世絵師ですが、幕末から明治にかけて多くの作品が海外に流出した為、国内で彼の全貌を知ることは難しくなっています。
代表作には『青樓藝者撰・いつとみ』『青楼美人六花仙 扇屋花扇』『隅田川図巻』などがあります。
「浮世絵の祖」と呼ばれる菱川師宣。これまで絵入本の挿絵程度に捉えられていた浮世絵版画を一枚の芸術作品として確立させ、江戸の庶民文化の中での美人画や風俗画の発展に貢献しました。
菱川の生年については、1618年(元和4年)と1630年(寛永7年)頃という2つの説があります。幼いころから縫箔師だった父親を手伝い、美的センスと繊細な技術を磨いていきました。成長した菱川は江戸へ向かい、「狩野派」「土佐派」「長谷川派」などの伝統的な絵画技法を独学で学び、それを基礎に新しい絵画様式を作りあげていきました。
菱川の描く女性像は人気が高く「これぞ江戸美人である」と賞賛されました。
当時の風俗や美人画を中心に多彩な題材を描き、庶民の等身大の生活や文化を知る上で貴重な資料となっています。
代表作には『見返り美人図』『歌舞伎図屏風』『伽羅枕』などがあります。
鳥居 清信は、江戸時代中期の浮世絵師です。
歌舞伎劇場の絵看板などを手掛けていた父、鳥居清元から絵を学びました。
「役者絵」を浮世絵版画の重要な画題として確立させ、現代にまで続く「鳥居派」の祖と言われています。
役者の筋肉を瓢箪のように強調する「瓢簞足」(ひょうたんあし)、描線に強い抑揚をつける「蚯蚓描」(みみずがき)という画法を使い、力強さや躍動感を表現しています。この画法は江戸町人の間で非常に評判となりました。
彼の作品は歌舞伎役者の看板や浮世絵版画、美人画、絵本など多岐にわたります。絵看板は講演が終わると撤去されてしまうので残されていませんが、一枚絵の役者絵は多く残されています。
代表作には『立美人』『大江山図』『傘持美人図』などがあります。