勝川 春章

勝川春章は、江戸時代中期を代表する浮世絵師で、葛飾北斎をはじめとする後の浮世絵師たちにも多大な影響を与えました。

勝川の生涯については不明瞭な点が多く、生年を1726年または1729年とする説があります。また、春章の出生地は江戸とされていますが、その生い立ちについても定かではないようです。

40歳前後という平均より遅いスタートにもかかわらず、50代になっても業績をあげるなど絵師としての活動にとても熱心でした。彼は役者絵だけでなく、美人画や武者絵、相撲絵といった多彩なジャンルを手掛けました。

役者絵では、それまでの常識であった荒々しく誇張された表現とは違い、個々の役者の特徴を捉えた写実的な似顔絵を新しく導入し、一世を風靡しました。

代表作には『婦女風俗十二ヶ月図』『青楼美人合姿鏡』『雪月花図』などがあります。

尾形 月耕

尾形月耕は、1859年9月に江戸京橋で生まれた浮世絵師・日本画家です。

絵を描き始めたのは父の勧めによるもので、1881年頃には新聞や雑誌の挿絵を手がけるようになり、人気を博しました。当時、日本の出版業界が勃興していたこともあり、新聞挿絵画家として絶大な支持を得ました。尾形月耕は、時代の風俗を的確に捉え、人々が求めるものを作品として発表できる画家でした。

また、師につかず独学で絵を習得し、挿絵や木版画を数多く手がけるなど、時代を代表する人気画家として高い画力を誇りました。特に人物画を得意とし、江戸や明治の風俗、美人画、故事・伝説など幅広い題材を描きました。その作風は、たおやかで繊細な花や美人から、力強い英雄まで多彩であり、多くの人々を魅了しました。

 

歌川 芳盛

歌川芳盛は、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師であり、歌川国芳の門人です。幼少の頃より国芳の門に入り、国芳の画風によく倣った武者絵、時局絵、花鳥画などを描きました。特に、時局を風刺した合戦絵を得意としていました。

また、嘉永3年(1850年)から嘉永4年(1851年)にかけては、草双紙の挿絵も手がけています。万延から文久(1860年 – 1864年)にかけては、「ゑぎりす人の図」「五ヶ国」「港崎横浜一覧」などの横浜絵を制作しました。さらに、「東都名所」などの作品では、江戸市中を遊覧する外国人の姿を描いており、これを手がけた絵師は芳盛以外にはあまり見当たりません。

歌川 国貞(三代目 歌川 豊国)

  歌川国貞は浮世絵師随一とも言われる数万点の作品を残し、国芳や広重を押さえて当時一番人気を誇った浮世絵師です。
初代歌川豊国に弟子入りし、22歳の頃の作品が最古の作品として確認され、それから79歳で亡くなるまで、歌舞伎や吉原、当時の文化風俗など、まさに「江戸文化の全て」を描き切り、浮世絵界のトップとして走り続けた大御所です。
歌川国貞は江戸で大人気の歌舞伎の舞台を描いた役者絵や、美しい女性を描いた美人画で特に名声を得ました。「役者絵」「美人画」という、浮世絵の王道ともいえる二大ジャンルで名声を得た国貞ですが、それ以外にも幅広いさまざまなジャンルに挑戦し、それぞれに優れた作品を残しています。
美人画においては文政後期(1825~)独特な猫背猪首型の女性を描いており、自信のオリジナリティを遺憾なく発揮しています。

 緑和堂では、歌川国貞の作品を強化買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、ご気軽にご相談下さい。

喜多川 歌麿

美人画浮世絵の大家として有名な浮世絵師・喜多川歌麿。いまや海外にも多くの作品が存在し、その知名度も世界的なものとなっています。

歌麿の生年や出生地は、現在もはっきりした史料がなく、研究者の間で論争が続いています。死亡時の年齢から1753または54年に、川越もしくは江戸市中で生まれたのではないかとされていますが、今後の研究次第では変わるかもしれません。

浮世絵師・鳥山石燕に師事し、1775年頃より絵師として仕事を得るようになります。間もなく後の代名詞となる美人画も描くようになりました。さらに江戸での狂歌絵本の流行に乗って、歌麿もこれを製作。大手版元の蔦屋重三郎がついたことでその評判は大きく広まります。間もなく独自の画風で美人画を描くようになり、全身を描かない美人大首絵が大ヒットとなります。歌麿によって描かれた女性はたちまち町の有名人となっていたことからも、当時の熱狂ぶりが伝わります。
しかし、こうした盛り上がりを幕府は良しとせず、取り締まりの強化に乗り出しました。歌麿は屈することなく制作を続けますが、1804年に、禁止されていた豊臣秀吉題材の作品が原因で捕縛され、手鎖50日(手枷をはめて自宅謹慎)の処分を受けることとなります。この刑が原因となり体調が悪化。2年後亡くなりました。

開国と共に海外流出した作品も多く、それらは現在海外の有名美術館で大切に保管されています。特にアメリカのボストン美術館には300点以上が非常に良いコンディションで収蔵されています。

歌川 広重

葛飾北斎と並ぶ江戸の有名浮世絵師・歌川広重。『東海道五十三次』に代表する数多くの作品は江戸庶民から現代に至るまで、多くの人々の心を掴みました。

広重は元々は江戸の定火消に所属する家系でしたが、幼いころから絵に対する興味を持ち、15歳で浮世絵師・歌川豊広に入門します。翌年には歌川広重の名を与えられますが、デビュー当時の号は一遊斎でした。初期は役者絵や美人画が中心でしたが、1828年頃から風景画の制作に着手します。1832年には火消同心の職を親類に譲り、画業に専念することとなります。

1833年、代表作となる『東海道五十三次』の制作を開始。これが大ヒットとなり一躍人気浮世絵師となりました。風景画だけでなく、花鳥画や歴史画、また肉筆画なども多く手掛け、万単位にのぼる作品を発表しました。

また、広重の浮世絵は海外にも渡り、特に欧州の印象派の画家たちに多くの影響を与えています。モネの『睡蓮の池と日本の橋』や、ゴッホによる『江戸名所百景』の模写や『タンギー爺さん』などは非常に有名です。広重の作品自体の人気も高く、現在も国外オークションなどで高値で取引されます。

葛飾 北斎

『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』、彼方に見える富士を背景に、そびえ立ち崩れ落ちようとする大波と、必死に耐える小舟の姿。 浮世絵界で最も著名な人物であり、世界的にも有名な浮世絵師・葛飾北斎によって描かれたその作品は、日本文化 …

歌川 国芳

奇想天外な作品の数々が現代でも人気な歌川国芳。 多岐にわたる奇抜なテーマと迫力ある画面構成は、江戸庶民からも人気を得ており、多くの作品が現代に受け継がれています。 国芳は1748年に江戸日本橋で生まれました。幼いころから …

月岡 芳年

最後の浮世絵師・月岡芳年 生涯浮世絵を描き続け、日本の浮世絵史に残る数々の名作を生み出した人物です。 月岡芳年(本名・吉岡米次郎)は1839年に江戸新橋の商人の家に生まれました。間もなく浮世絵師・月岡雪斎の養子となり、絵 …