小林東五は「李朝陶器の第一人者」として有名な陶芸家です。
小林東五は1935年、京都にて小林全鼑(こばやしぜんてい)の長男として生まれました。
父である小林全鼑は雲道人と名乗り、異色作家であり、僧でもありました。
小林東五は父から漢籍、書画、篆刻を教わり、1951年、16歳にして一人旅を始めます。この頃に陶器の制作も始めました。
父である小林全鼑の死後、1973年、高麗陶磁の制作のため韓国へ渡り、李朝陶器に惹かれて李朝の技術を研究、再現に力を注ぎ、8年間、開慶の李朝古窯観音窯にて作陶した後、李朝陶器の第一人者となりました。
1981年、かつて対馬にあった対馬藩御用窯「對州窯(たいしゅうよう)」を復興させ、李朝高麗や井戸・三島・茶碗・酒器・茶器・ぐい呑み等の制作に励み、日本人で初となる、韓国でも個展を開き、日本国内でも多くの個展を開きました。
陶芸家として活躍をするだけでなく、父から教わった漢籍、書画、篆刻にも卓越した才能を見せ、東京の日本橋三越本店において、日本初の詩書、篆刻、陶磁の総合個展も開催しました。
2005年、東京の日本橋三越本店での古稀記念展を最後に陶芸家としての活動を終了し、現在、詩、書画、篆刻を親しみながら今日に至ります。
加藤春岱(かとう しゅんたい)は幕末、瀬戸赤津村の陶工です。
1802年瀬戸の窯屋に生まれ、名を宗四郎と言います。
早くから才能を開花させ、15歳にして父・景典(春山)の跡をつぎ、御窯屋に列しています。
御窯屋(おかまや)とは、初代尾張藩主・徳川義直が行った瀬戸の復興政策の一種です。
現在でも陶器のことを「瀬戸物」と呼ぶくらいに瀬戸は焼き物が盛んですが、この時代、桃山期に陶工が美濃へと移った影響で、その力は衰えていました。そこで瀬戸の窯業を再び盛んなものにするべく、陶工(唐三郎・仁兵衛)を呼び出します(後に、太兵衛家もここに加わります)。苗字帯刀を許可、藩から扶持を支給し、瀬戸における陶磁器の生産と、また名古屋城内でのお庭焼(御深井焼)の指導を命じたことに始まる、由緒ある窯元の家です。
1838年に罪を犯して御窯屋職を退職。名古屋市昭和区の川名町で制作をすることになりました。この頃の作品が多く銘印が押され後世に残されたとみられています。
坂倉新兵衛は山口県長門市深川にある萩焼の窯元です。萩焼は慶長(1592年~1598年)の折、毛利輝元公が朝鮮李朝の陶工、李勺光、李敬を日本に招いたことによって始まったと言われております。
半世紀後に、李勺光の子である山村新兵衛光政の高弟、赤川助左衛門、助右衛門、蔵﨑五郎左衛門の一統らが、深川三之瀬の地に移り窯を築き上げました。その後に山村新兵衛光政の子である山村平八郎俊も移住し、潘の御用窯として「三之瀬焼物所」が創業されました。これが萩焼深川窯の始まりだと言われております。
当代である十五代・坂倉新兵衛は1974年に作陶の世界に入りました。東京芸術大学を卒業後に同大学院にて陶芸専攻を修了致しました。その後、藤本能動や田村耕一に師事し修行しました。
1987年に十五代坂倉新兵衛を襲名いたしました。その後自己表現の方法として「象嵌」という技法を取り入れ、萩の土味を生かした温かみのある作品を作り続けております。
2013年には県の無形指定文化財に指定されております。
伊勢崎 満は、岡山県重要無形文化財保持者であり、伊勢崎淳(人間国宝)の兄です。
1934年岡山市備前市に岡山県重要無形文化財の細工師であった、伊勢崎陽山の長男として生まれました。
岡山大教育学部特設美術科を中退後は、家業の作陶を手伝いながら修業しました。弟淳とともに備前で初めて中世の半地下式穴窯を復元し、古備前の再現に尽力しました。器肌に線条にでる火襷の技法を父から受け継ぎ、茶器や花器などを制作しました。
備前焼のルーツは、古墳時代に遡ります。須恵器(すえき)の製法が変化し、鎌倉時代~桃山時代にかけて、現在のような形に落ち着きました。
堅くて割れにくいため、多くの茶器や茶陶として愛用され、庶民の日用品として大人気になりました。
1982年に国の伝統的工芸品に指定されるなど、現代にも親しまれています。また、2017年4月には、「きっと恋する六古窯 - 日本生まれ日本育ちのやきものの産地 - 」として日本遺産に認定されています。
備前焼は、「釉薬」(素焼きの陶磁器の表面に塗る薬品)を一切使用せず、絵付けもしないという究極にシンプルな焼き物。
1200〜1300度の高温で焼き、土の性質や、窯への詰め方、窯の温度の変化、焼成時の灰や炭などによって模様が生み出されます。一つとして同じ色、同じ模様にはならない、手作りの味わい深さが魅力で、使えば使うほどに味わいが増していくのも特徴です。
辻清明は1927年に現東京都世田谷区に生まれの陶芸家です。
幼少期に古美術の愛好家だった父と訪れた古美術商の影響により、焼物に惹かれていき陶芸を学びました。
1941年に姉である輝子と共に「辻陶器研究所」を設立します。この頃日本を代表する陶芸家の富本憲吉、板谷波山の元で学んでおりました。1951年「新工人協会」を設立します。1955年多摩市連光寺(東京都多摩市)に辻陶器工房を設立しました。
1963年五島美術館(東京都世田谷区)にて個展を開催され、同年に「緑釉布目板皿」がアメリカ合衆国のホワイトハウスに収蔵され、フランスのギメ東洋美術館には壺が収蔵されました。1964年には日本陶磁協会賞を受賞し、1965年「信楽自然釉壺」がアメリカ合衆国のインディアナ大学美術館に所蔵されました。1967年、アメリカ合衆国ペンシルバニア州立大学美術館に「信楽窯変花生」が所蔵されました。1973年にはイタリアのファエンツァ陶芸美術館に「茶碗」が収蔵されました。1983年に日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。2006年には華道家の假屋崎省吾とのコラボレーションをした展示会を開催し、同年に東京都名誉都民になりました。
日本のみならず世界的にも高く評価をされてきましたが、2008年に逝去されました。
河井 武一は河井寛次郎の甥であり、寛次郎の一番弟子です。 武一は1908年島根県安来に生まれ、1927年寛次郎の元にて陶磁器の修行を開始します。 寛次郎の窯元へ修行に来ていたバーナード・リーチと共に作陶活動をしていました …
十三代 徳翁宗守 有隣斎は武者小路千家十三世家元です。 名は宗守、号は有隣斎・徳翁・宗安などで、聴松宗守に師事しています。 1913年に生まれ、第三高等学校をへて京都帝国大学文学部に進み国史学を専攻し、卒業後も大学院で日 …
利茶土ミルグリムは、1955年にアメリカ・ニューヨークで生まれた陶芸家です。 大学在学中に日本陶器に魅了され、日本文化と陶磁器に触れるため大学の留学サポートを利用し日本を訪れました。この留学の一年間でミルグリムは沖縄を除 …
山下甫斎は、1944年、石川県生まれの塗師です。 父の山下清峰より漆芸技法を学び、1978年に2代目山下甫斎を襲名しました。 山下甫斎の作る作品は、造形的な魅力だけでなく、侘びを感じさせるような美しい仕上がりに多くの茶人 …
早川尚古斎とは、江戸時代から現代まで一子相伝で竹工芸技法を伝えた早川家の当主が代々襲名する名です。 初代(1815~)から五代目(~2011)まで続き、五代は要無形文化財「竹工芸」保持者(人間国宝)にもなりました。現在、 …
京都に店を構えていた鉄瓶を制作する会社です。 蓋は銅製で、摘みが真鍮や銀製のものが多く、蓋の裏側には金寿堂の文字が刻まれています。 アジア圏で特に名前を知られており、名人には雨宮宗がいます。 錆びていても穴が開いていなけ …
藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。 庸軒は表千家久田流 …
後藤瑞巌は明治から昭和にかけての臨済宗の僧です。 岐阜県安八群南にて父・後藤吉左衛門、母・なおの五男として生まれ、小、中、高、大学と進学し、東京帝国大学在学中に鎌倉円覚寺にて参禅し得度(出家)します。 大学卒業後は渡米、 …
宮川香雲は真葛焼で有名な宮川香齋から分家した、京焼・清水焼の窯元で、現在3代目が活躍しています。 初代 宮川香雲は、真葛焼 2代 宮川治兵衛香齋(善翁)の三男として生まれます。治兵衛香齋の子は、長男が3代 光誉香齋、次男 …
小川長楽は楽焼の作家であり、現在は三代目が活躍しています。 楽焼の元祖である楽家。その楽吉左衛門十一代・慶入のもとに、初代・長楽が弟子入りしたことからはじまります。 そこで類稀な才能を遺憾なく発揮した初代・小川長楽は独立 …
亀文堂(きぶんどう)とは滋賀県の湖東で主に鉄瓶を製造していた鉄瓶屋です。波多野正平によって創業されました。昭和20年代まで4代に亘って引き継がれていましたが、高級な鉄瓶の需要がなくなってきたことにより、終わりをつげます。 …
1558年~1637年 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期に活躍した、書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人等多岐にわたり活躍した方になります。生まれは、刀剣の鑑定を家業にする家元の長男として誕生し刀剣も触れ …
田辺竹雲斎とは大阪堺で明治から続く竹工芸を生業とする家の当主が襲名する名です。当代は4代田辺竹雲斎となります。 田辺家の始まりは兵庫県尼崎で生まれた田辺慎常(初代田辺竹雲斎)の家の近くに竹細工を扱う家があったことでした。 …
伝統と現代的な感覚を両立させた漆芸家・吉田華正。作り出す独自の漆芸作品は、多くの現代茶人を魅了しています。 石川県の小松に生まれた吉田は、蒔絵師の子としてその技術を学びました。伝統的な花鳥風月や古典を参考にした絵柄と、自 …
龍文堂とは江戸末期から昭和33年頃までに8代続いた京都の鉄瓶屋になります。初代・四方龍文が京都で蝋型鋳造によって鉄瓶を造ることを創案したことが龍文堂のはじまりだと言われております。龍文堂の名声は明治から昭和の頃にかけて日 …
木村 清五郎(きむら せいごろう)1949年~現在 新潟出身の金工師になります。本名は文蔵。初代は実の父親になり、父に師事して技術を学びました。父の影響で幼い頃から金工に親しんで育ちました。茶道具と言えば、掛軸や香合等に …
小原治五右衛門は「城端蒔絵」を代々継承している漆芸家です。 城端蒔絵(じょうはなまきえ)とは白色をはじめとする鮮明な中間色を表すことができるのが特徴としてあり、花鳥文様などをそのままの色調で表すことができる技法です。「加 …
豊場惺也(とよばせいや)は、愛知県出身の有名な陶芸家です。 1942年に愛知県の刀剣鑑定家・豊場重春(とよばしげはる)の四男として生まれ家業に取り組むこともなく、愛知県内の工芸高校卒業後、人間国宝・荒川豊蔵(あらかわとよ …
川北良造は、人間国宝にも認定されている石川県の木工芸家です。 1934年に石川県山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家だった父の技術を学んだ他、人間国宝の氷見晃堂にも師事しその技術を磨きます。挽物と呼ばれる木材をろくろで削 …
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