土田家の祖先は元々武士の家系で初代彦根藩主 井伊兵部大輔直政に仕官し、鉄砲組頭を務めていた家系と伝えられています。後に土田家の初代となる土田友湖は、本来家督を継ぐ予定であった実母が早くに亡くなったため、家督を継母の子に譲り武士を廃業することとなりました。
廃業後は京で商人となり西陣の仲買をしていましたが、近隣に住む袋師・亀岡家に通い袋師の技術を学びました。元々器用だったこともあり、亀岡家三代 亀岡宗理に認められ奥義秘伝一切を伝授されます。
その後、師である宗理が藤堂家の茶頭になり、家業のすべてを土田友湖に譲ったことで、袋師土田家が始まることとなりました。さらに表千家六代 覚々斎に引き立てられ、茶道の千家に指定された茶道具類をつくる世襲の家柄、「千家十職」として千家に出入りするようになりました。
武士の家系から商人となり、商人から袋師へと数奇な過程で袋師となった土田家ですが、千家十職に加わるなど素晴らしい評価を得られているのは、確かな技術があったことを裏付けています。
袋師の仕事というのは、茶道における袋に関することの一切を担います。茶入れの仕服・帛紗に始まり・染帛紗・茶壷飾り紐・敷絹・糸組物など他にも上げればいくらでも出てきます。茶道における袋はそれほどまでに大切なものであり、密接なものなのです。地味に感じてしまう袋師という仕事は、茶道における道具を包むものとしての役割だけでなく、当たり前にあるものだからこそ違いを生むアクセントになることができるものなのです。
1500年代後半から400年以上続く窯氏の家系、大西家の当主の名が清右衛門です。清右衛門という名は世襲制の名で大西家4代当主大西浄頓以降に、9代大西浄元を除き代々襲名しています。現在の当代は16代大西清右衛門です。
大西家の始まりは、山城の国・南三城広瀬村(京都府唯一の村)で生まれた家祖浄林が京に上洛し、三条釜座の座人になったことで始まりました。
その後の大西家の発展に貢献したのが、家祖浄林と共に上洛していた弟浄清です。浄清は後に大西家きっての名人とうたわれるほどの技量で、その技量を高く評価され、千利休の高弟で織部流開祖の茶人、古田織部に仕えることとなりました。江戸時代になり2代目浄清は幕府御用釜師としてお抱え職人となり、三代目定林が江戸に定住したことで江戸大西家が始まりました。
6代目浄元の時代には、茶道の千家に指定された茶道具類をつくる世襲の家柄、「千家十職」として正式に千家に出入りするようになりました。この頃の作品は時代的に「わび茶」が定着し、千家流の茶道として「わび茶」に向いた釜が多く作られました。
大西家の釜は、時代に合った作品を求められながらも、代々引き継がれている確かな技術力と、遊び心を思わせる親しみが感じられます。
野々村仁清は生没年が不明などわからないことはいくつかあるのですが、生まれは丹波国(京都)野々村と伝えられており、本名は清右衛門といいます。
京都の粟田口や瀬戸などで修業を積み1647年ごろに京都仁和寺の門前にて開窯します。仁清という名も仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を取り称したものです。
仁清と関わりの深い人物として、金森宗和が挙げられます。仁清は金森宗和の指導のもと作陶を行い腕を磨きました。確かな轆轤技術と華麗な色絵上絵付は、「わびさび」から「きれいさび」に移行している流れに合っており、仁清の評価は陶工として頂点だといわれるようになりました。この頃の「きれいさび」に基づく茶陶は、師である金持宗和の影響が大きいこともあり宗和好みと呼ばれています。
仁清の作品の中でも傑作が多いといわれているのが茶壷と香炉です。「色絵月梅図茶壷」「色絵雉香炉」「法螺貝形香炉」これらは国宝や重要文化財に指定されている作品です。これらの作品は美術館や博物館で展示されており、野々村仁清という陶工の偉大さ、そして確かな技術の高さがうかがい知れます。
高橋道八は江戸時代後期より続く京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡です。茶道具や煎茶器の名品を数多く輩出しています。
初代高橋道八の時代は煎茶隆盛期で、初代高橋道八も時代の流れに合わせ多くの煎茶器を作成し名品を残しています。
二代高橋道八は「仁阿弥道八」としても有名で、京焼だけでなく楽焼や色絵・李朝磁器・青花磁器などの制作も行い、どの製法においても名品と呼ばれる作品を輩出している、多種多彩な陶芸家です。多くの製法で作成する仁阿弥道八ですが、どの作品においても共通して品の良さ「高貴性」を感じることができます。隠居後も桃山窯を開窯し作陶を続け、晩年の作品も名品として輩出されています。
三代高橋道八は、父である仁阿弥の作風を受け継ぎつつ新たな技法も取り入れ、青磁や雲鶴模様などを使った煎茶器の名品が多く残っています。そんな三代道八は四代高橋道八と共に明治時代の京焼を支えました。この頃から徐々に京焼の世界でも高橋道八の名が知られるようになってきました。
現在は、九代高橋道八が色絵京焼の茶道具を手がけ活躍しています。
駒澤利斎とは、指物師を生業としている駒澤家の当主が世襲する名です(利斎を名乗り始めたのは4代目以降)。江戸時代から14代続いている駒澤家は、千家(千利休を祖とする茶道流派の家)との関わりが深く、二代宋慶の時代から千家より道具作りを依頼されるようになったと伝えられています。そこから千家十職に名を連ねるようになりました。
ちなみにあまり聞きなじみのない指物師とは、糊や釘などの接合道具などを使わずに、板材を用いて差し込んで組み立てられた道具などを作る職人のことを言います。指物はほとんどを素材のみで組み立てられるため素材の材質が重要となります。茶道具としてよく使われる素材は桐・杉・桑・欅などが一般的です。
指物にもいくつか特徴があり大まかに3つに分けられます。『京指物』『江戸指物』『大阪唐木指物』の3つです。
京指物は朝廷や公家が主に使用したことから、優雅で精緻な細工が特徴。
江戸指物は武家や町人によく使用されていて、その風土ゆえに華美な細工は好まれず、素材の木目の美しさを活かした淡泊な木目に渋味を持ち合わせた漆塗りが特徴。
大阪唐木製品は現在の生活様式に沿うように工夫・改良がされていて、拭き漆を重ね、鏡のような光沢のある表面と、重厚な存在感のある唐木が特徴。
このように大まかに3つに分けられますが、駒澤利斎の指物は京指物の中でも千家御用達の最高級品です。千家の好物として認められた指物は平安時代からなおも脈々と引き継がれております。
館林源右衛門は、江戸時代中期に創業した陶芸家です。
民窯として磁器を制作しますが、 明治・大正時代には料亭用の食器を中心に製造を行っていました。六代・館林源右衛門は、有田焼の一つである古伊万里復興に取り組み、伝統的技法を活かした現代陶器を作陶します。多様で創造性豊かな絵付が特徴となっている古伊万里を現代に継承した作品は、国内でも海外でも人気を博しています。
また、源右衛門はアメリカのティファニー社と共同開発で洋食器を制作するなど、国際的に活躍した陶芸家でもあります。作品の特徴は伝統を現代にアレンジした紋様と、鮮やかな色使いです。柿右衛門窯、今右衛門窯とならび有田の三右衛門の一つといわれ、世界でも名を知られる存在となっています。