三浦 竹軒

三浦 竹軒は、京焼(清水焼)を代表とする京都府出身の陶芸家です。

京焼の名工『初代 三浦 竹泉』が父であり、その三男として生まれました。当初は三代竹泉として活動をしていましたが、昭和9年に独立をし、竹軒という名に改名しました。

陶芸作品としては茶道具・煎茶道具を中心に制作をしており、現在でも高い人気を誇る陶芸作家です。

現在は、伝統技術を継承した三浦竹軒の三男が二代目に襲名しており、初代同様多くの愛好家がおります。

楽 吉左衛門

楽吉左衛門は千家十職の一つで楽焼の茶碗を制作する茶碗師が代々襲名している名称で当代は十五代となります。

楽焼のは桃山時代(16世紀)に楽家の初代であった長次郎によって始められ、その技術は近年の研究にて三彩陶というものとされており、そのルーツは中国の河南地方の明時代三彩釉であったのではないかとされています。桃山時代には京都を中心に色鮮やかな三彩釉を用いた焼き物が焼かれており、長次郎もその技術を持った一人とされていました。

焼成や釉技術などは基本的に同じではありますが、造形や釉薬調に関しては中国華南三彩のものと大きく異なります。そこには千利休の「侘茶」の思想や美意識が大きく影響しており、中国華南三彩のカラフルな色釉技法を使用して黒と赤のモノトーンの世界を表現しております。

楽焼という名前の由来としては「聚楽第」近くに居を構えていたこととや聚楽第に屋敷をもっていた千利休の手から世に出されたことから聚楽焼と呼ばれるようになり、やがて楽焼や楽茶碗と呼ばれるようになりました。

中村 宗哲

中村宗哲は当代が十三代目となる千家十職の塗師の家門であります。

初代は江戸時代まで遡り、もともと豊臣家の臣下の武士でありましたが、豊臣秀吉が征伐された大阪の陣より京都市中に静かな暮らしを求めたことが塗師を家業にしたきっかけとなり、隣家が塗師である吉文字屋(吉岡家)で京都武者小路に生まれた八兵衛は千宗但の次男が千家に戻る際に娘と塗師の家業を託されました。
それ以後、宗哲と称して千家の塗師となりました。

歴代の宗哲の中で三代目は「漆桶宗哲」として有名で、宝暦13年の後桜町天皇の即位の調度には蒔絵を施しました。また、70歳の時にはなんと700点もの蒔絵を施して彭祖の棗と称されました。

初代の残した利休型の棗を標準型とし、「利休型12器」や「如心斎判32器」の寸法や型は中村家の家宝として現在に受け継がれております。

十二代目は女性として初めて正式に中村宗哲を受け継いだ方であり、千家十職の中でも初めての女性当主となりました。当代もまた女性の当主となっており、今後は中村宗哲の新しい伝統が生まれていくことが期待されます。

須田 賢司

須田賢司は1954年に東京都に生まれた木工芸師です。
指物師を二代にわたって営む家庭に生まれた須田賢司は、東京都立工芸高校を卒業した後に父である桑翠に師事すると同時に母方の祖父である山口春哉より漆芸を学びます。1975年に日本伝統工芸展に初入選を果たすと、その後は1985年第2回伝統工芸木竹展にて文化庁長官賞、1992年の第5回伝統工芸木竹展にて朝日新聞社賞、1994年の第41回日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞、2006年の第53回日本伝統工芸展にて朝日新聞社賞、2008年の第55回日本伝統工芸展にて日本工芸会保持者賞を受賞する等の数々の実績を残します。

その後、文化庁文化交流士としてニュージーランドへ派遣され、2008年には紫綬褒章を受章、2014年には「木工芸」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されます。

須田賢司の作品は「清雅」をテーマとして、個性的かつ風雅な趣のある繊細な作風が特徴的であり、また作品名も独特です。これは音楽などが作品名があると楽曲の主旨が理解しやすいことと同じで、須田賢司の思いが伝わるようにとの思いが詰まっているので、作品をご覧になる際は作品名の意味を辿るとより作品の理解が深まるのではないでしょうか。

小森 邦衞

小森邦衛は石川県出身の漆芸家です。
1945年に輪島市で生まれ、20歳の時に和家具職人から輪島塗師に転身をし、はじめは沈金の技法を学ぶ為に樽見幸作に師事し、1968年に輪島市立輪島塗芸技術研修所沈金科に入所しました。そこでは松田権六や前大峰から学び、卒業すると新設された髹漆科の聴講生となり、増村益城から乾漆、太田儔から籃胎、赤地友哉から曲輪を学びました。その後は1980年に日本伝統工芸会の正会員となり、1986・1989年には日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞するなどの数々の功績を残していきます。こうした功績を称えられ、2006年に「髹漆」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。

小森邦衛は下地から上塗りまでの工程を一人で行い、漆本来の美しさを追求しており、籃胎といった削いだ細い竹を編んで作った器の網代に活かされて、表面に凹凸がある為に研ぐことができない器にも刷毛目を残さずに滑らかな塗りに仕上げているその作品は今後も人々を魅了していくことでしょう。

藤沼 昇

藤沼昇は、30歳の時にカメラマンから竹工芸へと転身を遂げた栃木県出身の作家です。
27歳の時に3週間のヨーロッパ旅行にて日本が持っている文化は世界に行っても恥ずかしくないといったことを感じて日本文化を継承しようと思ったそうですが、具体的にどの分野を継承するかは決めておらず、いろいろな文化を経験した後にお茶の世界では十職という世界があり、様々な職人が関わっていたこと、竹工芸をやる人が少なくなっているので竹工芸に決めたとのことです。
その後は、八木澤啓造に師事しますがわずか1年半で「もう上手だから来なくていい」と言われてしまったとのことです。そこからは独学で学び、1986年に第33回日本伝統工芸展にて日本工芸会会長賞を受賞したことを皮切りに数々の賞を受賞し、2012年竹工芸にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。

藤沼昇が作品を制作する際に大事にしていることは気力の「気」だそうです。力強さと繊細さが作品に表されております。ただ、その力強さは藤沼昇本人だけでなく、竹本来の力強さを引き出すことだとおっしゃっており、そうして作られた作品は私たちにも力強さを分けてくれることでしょう。

太田 儔

太田儔は「蒟醤」にて国の重要無形文化財に認定された岡山県出身の漆芸家で、籃胎蒟醤を研究し、布目彫蒟醤や二重編み蒟醤などの独自の技法を確立させたことが有名です。 布目彫蒟醤とは太田儔が考案した技法で1ミリの中に3~4本の細 …

小野 珀子

佐賀県を代表する女流作家で、人間国宝認定目前まで迫りながら惜しくも他界してしまった小野珀子という方をご存知でしょうか。 1925年に小野琥山の長女として生まれ、のちに福島県大沼郡、会津美里町瀬戸町に移住をしております。会 …

加藤 土師萌

中国色絵磁器を研究し、再現した陶芸家・加藤土師萌。最難関とされる数々の技法を自らのものとした功績が評価され、1961年には色絵磁器の人間国宝に認定されています。 加藤は1900年。愛知県瀬戸町に生まれました。当初は画家志 …

氷見 晃堂

数々の伝統技法を復活させ、指物工芸の技術を現代に受け継いだ木工芸家・氷見晃堂。その実力から木工芸で2番目の人間国宝に認定された人物です。 氷見晃堂は1906年、石川県の金沢に生まれました。実家は商家でしたが、祖父と父の教 …

藤原 啓

息子・雄と共に親子二代で備前焼の人間国宝に認定された陶芸家・藤原啓。鎌倉古備前様の質素な作風と、焼成の自然な変化をも利用した近代的な造形で備前陶芸界の牽引役を担った人物の一人です。 藤原啓は1899年、岡山県の農家に生ま …

村越 風月

常滑の窯元に生まれた村越風月は作陶の道へ進み、人間国宝・三代山田常山に師事します。 作品は、常滑焼の素杙でもある鉄分の多い朱泥土を使って調合を変えて、作品表表面の味わい深さを出して製作しております 。成形についてはロクロ …

中里 重利

中里重利は佐賀県出身の唐津焼で多くの功績を残した陶芸家です。 十二代中里太郎衛門(無庵)の三男として生まれた中里重利ですが、家元が陶芸家であるからといって自分も陶芸家であることは全く関係ないという考え方で生きていたという …

波多野 善蔵

波多野善蔵は山口県の指定無形文化財保持者に認定された萩焼の陶芸家です。 1942年に佐賀県に生まれた波多野善蔵は幼いころから唐津焼で人間国宝に認定された中里無庵の工房を訪れるなど、陶芸に興味を持っており、自身も陶芸家にな …

山本 陶秀

山本陶秀は「備前焼」で国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された人物で「茶器の陶秀」といった別名を持っているほど、茶器では備前焼の中でも山本陶秀の作品が完成度が高い人物として有名です。 1906年に岡山県備前市伊部で生ま …

前端 春斎

前端春斎は石川県出身の塗師が代々襲名している名称であり、当代は三代目となります。 初代は山中塗の木地師として活躍しており、その息子が二代目を名乗っております。山中塗とは、石川県加賀市の山中温泉地方にて生産されている漆器で …

香取 正彦

平和を願う梵鐘制作で有名な香取正彦は、国の重要無形文化財に認定された鋳金師です。 同じく鋳金師であった香取秀真の長男として東京都に生まれた香取正彦は1916年から3年間は太平画会研究所にて洋画の勉強をしておりました。19 …

楠部 彌弌

楠部彌弌は京都府に生まれた陶芸家で、数々の名品を生み出したことから天才陶芸家として評価されている人物です。 楠部彌弌といえば、彩埏の技法を独自に編み出したことで有名です。 彩埏とは独特の深い色合いが特徴であり、磁土に釉薬 …

近藤 悠三

近藤悠三は「染付技法」にて1977年に国の重要無形文化財に認定された京都府出身の陶芸家です。 染付とは、白い磁気に酸化コバルトを原料とする「呉須」で絵付けを施した後に透明な釉薬を掛けて焼き上げたものをいいます。もともとは …

大角 幸枝

大角幸枝は静岡県出身の、「鍛金」にて2015年に人間国宝に認定された金工師です。 鍛金とは、金槌等を使い金属を叩いて加工する技法のことをいい、大角幸枝は鍛金・彫金・布目象嵌といった技法を駆使して作品を制作しております。彫 …

大場 松魚

大場松魚は「蒔絵」で国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された石川県出身の蒔絵師です。 大場松魚といえば、「平文」の技法を現代に蘇らせたことで有名です。 「平文」とは、もともと奈良時代に中国から平脱という名前で伝達されて …

松田 権六

松田権六は、「うるしの鬼」とも称された漆芸の第一人者です。 石川県に生まれた松田権六は、7歳のころから蒔絵の修行を始めて石川県立工業学校を卒業後に上京し、東京美術学校に入学しました。 卒業後は志願兵や東洋文庫で朝鮮楽浪出 …

岩田 藤七

岩田藤七はガラス工芸で有名な工芸家です。 東京都に生まれた岩田藤七は、1911年に商工中学校を卒業後に白馬会洋画研究所で岡村三郎助に師事して洋画を学びます。東京美術学校に入学後は彫金、洋画、彫刻を学び、洋画を勉強する為に …

加藤 唐九郎

加藤唐九郎は、「永仁の壺」事件で贋作を作陶してしまった人物として良くも悪くも有名になってしまった愛知県出身の陶芸家ならびに陶磁史研究家です。 「永仁の壺」事件とは永仁二年の瓶子が鎌倉時代の古瀬戸の傑作として認定を受けます …