館林源右衛門は、江戸時代中期に創業した陶芸家です。1753年(宝暦3年)の築窯以来、260年余りにわたり制作を続けています。
民窯として磁器を制作しますが、 明治・大正時代には料亭用の食器を中心に製造を行っていました。六代・館林源右衛門は、有田焼の一つである古伊万里復興に取り組み、伝統的技法を活かした現代陶器を作陶します。多様で創造性豊かな絵付が特徴となっている古伊万里を現代に継承した作品は、国内でも海外でも人気を博しています。
また、源右衛門はアメリカのティファニー社と共同開発で洋食器を制作するなど、国際的に活躍した陶芸家でもあります。作品の特徴は伝統を現代にアレンジした紋様と、鮮やかな色使いです。柿右衛門窯、今右衛門窯とならび有田の三右衛門の一つといわれ、世界でも名を知られる存在となっています。
大樋長左衛門は石川県金沢市が誇る江戸時代から続く楽焼を、現代でも受け継ぎ続けてる大樋家の当主です。
大樋家の作る大樋焼は、ろくろを使わず手で捻りながら成型し、へらを使い削りながら作り上げます。これは楽焼の流れを汲んでおり大樋焼と楽焼の特徴です。中でも大樋焼は飴色の釉薬を使うことで艶のある独特な輝きが魅力です。
「派手なものは、あっと驚くかもしれないが、無為のもので世間をあっと言わせるものは難しい。その点、茶碗を作ることも難しい。特に無地ものの大樋焼は派手さがない」「見どころの多い茶碗ならいいとか、世間ではいうが、そういう茶碗は、本当の茶碗じゃないと思う。無為で作って、頭の下がるほどの品位のある茶碗がいいということでしょう」
これは大樋焼について9代目の大樋長左衛門が語った言葉で、シンプルなデザインとシンプルな色使いながら、輝きによって出る存在感で魅了する大樋焼の深みが感じられます。
江戸初期から続く唐津焼の名工、中里太郎右衛門。技術の継承とともに、そこに現代的なデザインを組み込み作られる作品群は現在の14代目に至るまで、着実に受け継がれています。
中里又七を祖として現在まで続く中里家。特に注目されたのが12代太郎右衛門(本名重利)です。途絶えていた古唐津を研究復興し、さらに叩き技法と呼ばれる独自の作風が評価され、1976年には唐津焼の人間国宝に認定されました。晩年は無庵と号し、息子に代を譲った後も作陶に専念しました。
13代太郎右衛門は父に続き古唐津の研究を行いつつ、より芸術性の高い作品を生み出しました。また、唐津焼研究者としても活躍し、その起源を探るため海外調査も行い、論文発表を行っいました。
当代である14代太郎右衛門(本名忠寛)は、先々代から受け継いだ叩き技法に中国的な装飾を組み合わせた作風が特徴となっています。
岡部嶺男は陶芸家・加藤唐九郎の息子として生まれ、現代的な感覚で作られた青瓷や織部の優れた作品をのこした作家です。
若き頃から父に続き陶芸を学び、1952年の第8回日展にて志野の壺で初入選を果たします。2年後の第10回日展では北斗賞を、また1958年の日本伝統工芸展で奨励賞を受賞するなどその実力は着実に高まっていました。
1960年、いわゆる「永仁の壷事件」が発生。父・唐九郎と嶺男は双方が自作の壷であるとして世間の注目を集めました。
その後嶺男は妻の旧姓である岡部に改名します。
また所属していた日本工芸会を脱退、作品発表の場は個展へと移しました。
永仁の壷事件は当時の美術界の一大スキャンダルとなってしまいましたが、その作陶技術はたしかなもので、織部や黄瀬戸、志野などの優れた作品を数多く制作しています。
茶道の話になると歴史の教科書にも出てくる千利休はみなさんご存じかと思います。その利休を祖とする千家流茶道の本家(表千家)の十三代目を受け継いだのが即中斎です。
利休が作り出した茶道は400年という長い歴史の中で根幹は変わらずとも時代にあわせ多様に変化していきました。その中で即中斎は表千家を「社団法人 表千家同門会」として組織化し、海外に日本の茶道を広める支部を設置するなど、今世のグローバル化の波に合わせ茶道を世界に認知されるきっかけを作りました。
即中斎が作った表千家同門会の役割は、伝統の継承と茶道の普及が主な目的です。
なので表千家同門会の人たちが茶道具を制作しているかというとそうではなく、茶道の普及に力を入れている団体という捉え方がいいかもしれません(書物などの作品を残している方は多くいらっしゃいます)。
即中斎の本人作というのは数が少なく、実際は即中斎がお墨付きをした作品を見かける機会が多くなります。
即中斎に限らず、茶道の家元のお墨付きをもらった作品は価値の高いものとして評価されます。
家元お墨付きの作品には花押という書判が入っており、この花押というのは、家元それぞれが複数持っております。花押が入っている作品は、その家元が認めた作品という証明付きのものとなります。
三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。
三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続いておりますが、400年の道のりの中で一度衰退したといわれるまでに落ち込んだことがあります。
そこから再度萩焼を盛り立てたのは、十代目休雪と十一代目休雪でした。その最大の功績は「休雪白」と呼ばれる純白に近い萩焼です。白萩釉を使用することで作り出す白は、まさに春の雪解けを感じさせる温かみのある仕上がりとなっています。
後に十代目と十一代目の休雪は人間国宝にも指定され、当代の十三代目休雪にも休雪白は引き継がれ、白萩釉を使用し「休雪白」が作り出す渾身の純白、ダイナミックな造形美と、使い込むことで顔を変える「七化け」と呼ばれる萩焼の特徴を生かした作品が数多く輩出されるようになってきました。