南口閑粋は大阪府出身の陶芸家で、雅やかな絵付けで人気のある作家で、廃窯となっていた杣山焼を再興させた人物です。
閑粋は幼少期を大阪で過ごし、京都府立陶工高等技術専門学校を卒業後、龍谷窯の初代宮川香雲や千家十職の土風炉・焼物師である16代永楽善五郎を師事した後、独立して開窯します。
独立後は当時廃窯となっていた杣山焼を再興させるなどの活躍を見せています。
閑粋は”乾山写し”に優れた作家でもあります。
乾山写しとは江戸時代に活躍した、屏風絵などでで有名な画家・尾形光琳の弟である絵師・尾形乾山の模様を模した作品のことです。
閑粋の作品は、鮮やかで生き生きとしたモダンなデザインである乾山写しとマッチし、より魅力的に乾山の模様を引き出してくれています。
乾山写し以外の作品も、優れた色彩感覚から生み出される雅やかな作品は見る人を魅了させてくれます。
峯岸勢晃さんは、1952年、埼玉県三郷市生まれの栃木県那須町に工房を構える陶芸家です。
音響メーカーに勤めていたが以前から興味を持っていた絵を描きたいと思い退社。その後、会社の先輩の同級生が長野県の小布施にて「奥信濃焼」という陶器を作っていることを聞き遊びに行ってみました。すると、地元の畑の黄褐色の土を使い、リンゴの木の灰を加えた釉を掛けて焼き上げる陶器を初めて見て、面白さと不思議な魅力に奪われ、そのままそこで修行を始めました。
峯岸勢晃さんは、中国の宋時代を頂点とする青瓷や朝鮮の高麗青磁に強く惹かれ、青瓷を主に焼いておりました。その中で、過去にない物を目指すという大きな目標を持って取り組まれ、約20年の研究期間を経て、偶然や幻と言われた「窯変青瓷」の焼成が成功し、「窯変米色青瓷」と名付けられました。窯変とは、炎の具合や釉薬の物質の関係で、予期しない(面白い)色や文様に変わることを言います。峯岸勢晃さんの生み出す作品は米色青瓷という独特な色合いと文様がありながら、どこか落ち着きがあり柔らかい印象の作品が特徴です。
峯岸勢晃さんは大変研究意欲の強い方で、今までに青瓷・米色瓷・翠青瓷・月白青瓷など様々な青瓷を製作されてきました。独自の魅力を作り上げたそれらの作品はますます評価が高まっており、今後も活躍が期待される陶芸家のお一人です。
横山白汀は、明治34年井波町で生まれの木芸家。
日展という日本最大の総合美術展覧会の評議員でもあります。
井波彫刻の名家、横山作太郎の長子として生まれ若くして木芸の道に進みます。そして昭和16年第4回文展に「木目込屏風」が入選それ以来、井波彫刻に美術工芸の価値を底上げし今の歴史的価値、芸術的価値を築き上げた先駆者でもあります。
新日展第2回(昭和34年)、第7回(昭和39年)では審査員をつとめ、昭和45年改組第2回日展「鎮魂歌<漆>三曲屏風」が会員中の授賞として桂花賞に輝きました。
その経歴から井波美術作家協会、現代工芸美術協会、富山会富山県工芸作家連盟の各委員長を歴任しました。井波彫刻においての重要人物です。
冨木宗好は明治の自在置物作家です。
自在置物とは、銀や鉄、銅などを用いて甲殻類や虫、鳥などの生き物を写実的に作り、さらに体節、関節などを本物と同じように動かすことのできるもののことを言います。
始まりは、江戸時代の甲冑師によって、武具の需要がなくなったことから余った素材で作られたといわれており、明治から昭和にかけて冨木家や高瀬好山が中心となり量産されたものが欧米へ多く輸出され、当時は日本よりも欧米での人気が高くなりました。
宗好の記録は多くはありませんが、幼少期に父を亡くし、自在置物の金工である高瀬好山のもとで育ち、好山の作品を朴炭で研ぐ毎日を過ごすなど、当時から好山の工房に携わっていたようです。
好山の作品は国外へ多く輸出されていたこともあり、海外からの評価も非常に高く、また好山は制作にはほとんど携わっておらず、冨木家が主に制作していたという話もあり、幼いころから工房で腕を磨いていた宗好も国内外を問わず高く評価されております。
宗好の作品は銀を加工したものが多く、蘭の花や伊勢海老の置物などが有名で、銀で作られているにもかかわらず本物と見間違えそうなほどの精巧な作りが高い評価を受けています。
グラハム・クラークは、イギリスの銅版画家です。
オックスフォードで生まれ、ロンドン王立美術学校を卒業したのち、本格的に活動しました。
銅版画に手彩で色付けする「手彩色銅版画」を得意とし、現在まで数多くの作品を残しています。また、現代におけるアーチ型銅版画のはしりとなった人物でもあります。
クラークの作品は、イギリスをはじめとしたヨーロッパの風景や生活を、庶民的な視点に立ちながら描いたものが多いです。クラークが昔よく通った道、なじみのある建物、家族や友人との思い出深い場所など、自身の見つめる世界をそのまま落とし込んだような、普遍的ながらクラークの持つ世界観を共有できる、味わいのある作風が特徴です。サイズも飾りやすい物が多く現代にマッチしていると言えるでしょう。
個展にエリザベス女王が来場するなどイギリス王室からよく好まれ、さらにはヨーロッパ各地、日本で個展を開催するなど、クラークの作品は世界中から愛されています。また、世界中の美術館で収蔵されています。
フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンは、フランスの彫刻家です。
1840 年にパリで生まれ、十代の頃より芸術を学びますが、彼の経歴が花開いたのは40歳前後の頃からになります。
1880年に赴いたイタリア旅行にて、ミケランジェロの彫刻に感銘を受けた彼は、帰国後すぐに彫刻の制作に取り掛かります。
そして完成した『青銅時代』がフランスのサロンで注目を集め、フランス政府が買い上げました。この出世作を契機に、ロダンは重要な作品を次々と制作し、名声を高めていくこととなります。
ロダン以前の彫刻は高名な貴族や偉人、神話をモチーフとしたものが基本でしたが、ロダンは等身大で一般的な人間という、当時では考えられないようなモチーフを扱い、美術界に当惑と感嘆をもたらしました。ロダンの影響は世界的に広がり、フォロワーを多く生み出し、彫刻の歴史はまさしく変革を起こしました。これが、ロダンが「近代彫刻の父」と呼ばれる所以です。
有名な「考える人」をはじめ、ロダンの作品は日本含む世界中で多く現存され、愛されています。