パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソはフランスを拠点に活動した画家で、キュビズムの創始者です。

現代においてその名を聞かないことはないほどの有名画家であり、「20世紀最大の画家」と呼ばれています。
生涯に渡って芸術活動を行い、残した作品は油彩画と素描だけでも一万点を超えるといわれております。

幼いころよりその才能を如何なく現しており、美術教師であった父は十三歳のピカソの描く絵を見て筆を折った、という逸話が残っています。

初期はヨーロッパの伝統的な絵画を制作していましたが、ピカソの画風はその人生の中で何度も転換します。
一度目の大きな転換は1901年、親友の自殺に起因するものでした。乞食や娼婦などをモチーフとし、暗青色を基調とした画風で暗い感情を吐き出すような描画がされました。この頃は「青の時代」と呼ばれます。
二度目は「ばら色の時代」と呼ばれ、モンマルトルに移住し、恋人と順風満帆に暮らしていた頃に起きました。
そして三十代の頃に、ピカソを代表する画風である「キュビズム」へと転換します。四十代からは新古典主義、シュルレアリスムへと移り変わり、この頃の代表作として『泣く女』や『ゲルニカ』が挙げられます。

その後も細かく画風が変わりますが、それはやはり圧倒的に多くの作品を残してきたピカソであるからこその変遷だと考えられます。ピカソの持つ絵画史は、後世の芸術家に多大な影響を残しています。

神話や歴史を描く時代から印象派へ、そして現代アートへの道を耕した開拓者として、「20世紀最大の画家」という呼び名が確立しているのです。

松本 明慶

松本明慶は、京都出身の佛像彫刻師です。
鎌倉時代に活躍した運慶・快慶の流れを汲む「慶派」の佛師となります。

木の中に仏が見えるとまで言われた百年に一人の天才、初代明慶に続き二代目、三代目と確かな技を受け継いできた名人親子三代です。

明慶は太平洋戦争の末期に生まれ、戦後の困窮期に子供時代を過ごしました。
19歳の頃に当時最高峰と呼ばれていた京佛師・野崎宗慶に弟子入りし、佛師としての人生を始めます。

明慶がはじめて大佛を制作したのは36歳の時で、広島・福王寺に『不動明王座像』を納佛しました。1999年には鹿児島・最福寺に世界最大級の木造佛『大弁財天坐像』を納佛するなど、現在までに19体の大佛を納佛しています。

明慶の制作する佛像は、人々に寄り添うみほとけの形をとっており、まるで命を宿したような造形と佇まいには、溢れんばかりの慈愛を感じさせます。

2005年には京都府京都市に松本明慶佛像彫刻美術館が開館され、日本きっての大佛師、松本明慶の作品群が展示されています。機会があれば是非一度訪れてみてください。

墨運堂

墨運堂は奈良県奈良市に本社を置く書道具用品製造メーカーです。

起源は1805年に墨屋九兵衛氏が奈良市にて墨の製造を始めたことに始まり、松井墨雲堂、松井墨運堂を経て現在の株式会社墨運堂へと名称が変わりました。

おおよそ200年も前より墨の製造を行っており、「書道文化」の発展・継承を目指し日本文化に貢献することを理念とし日々奮闘されております。

墨展を全国主要都市にて開催し、墨の知識を深めたりPR活動にも積極的です。

墨運堂の製造する墨に百選墨という有名な墨がございます。

墨は体質と色彩を掛け合わせることで無数の墨色を創ることができるのですが、その中より特に良いと思うものを百選墨として発表した物になります。

色彩を掛け合わせると申しましたが、墨なので全て黒色には変わりないのです。

百選墨は二次流通でも高額でお取引されておりますが、墨運堂が長年研究し培ってきた確かな技術、墨色は間違いなく書道を愛する者、コレクターに重宝されています。

堀江史郎

堀江史郎は日本の画家です。
油彩画、水彩画のどちらも描き、静物画・肖像画・人物画、他にも犬や猫の絵も得意とする非常に多彩なジャンルで活躍していらっしゃる方です。

堀江史郎は1957年東京に生まれます。
時代は高度経済成長期です。多感な青少年期は日本が発展していく様子を肌で感じていたことでしょう。
1979年に朝の会グランプリを受賞しそこからは画家として本格的に活動していき大阪、銀座を中心に各地のデパートで個展を開催していきます。
飼っていた犬や猫と過ごすうちに、写真ではなく絵を描こうと考え、デッサンや油彩、水彩まで手を広げて描いていくことで犬と猫を自身のレパートリーに加えることになります。

評価としては特に静物画、薔薇等の絵が高いです。
堀江史郎の描く花は、色と光がハッキリしており周りに存在する家具も精巧に描かれており、花の美しさが際立っています。
犬や猫の絵は毛並みや瞳の愛らしさを強く感じる動物本来の可愛らしさを写実的に表現しており高い人気がある方です。

柳下 季器

柳下 季器は1967年東京都で生まれます。

専門学校桑沢デザイン研究所卒業後、信楽にて修業し、2002年に伊賀焼の里、
三重県伊賀市に穴窯を自身で築窯、神田窯を開窯します。
2007年には、格調の高い作品、見る人を圧倒させる陶芸作家・杉本貞光先生に薫陶を受けます。

天然素材を用いて、信楽・伊賀・志野・織部などの多彩な作品を制作し、侘び寂びの世界を表現しております。
柳下 季器の作品の特徴として、芯や品格を感じさせ、自身で研究した土を存分に生かした、静かながら存在感がしっかりとある、そんな作風が魅力です。 

2004年の初個展を皮切りに、全国各地の百貨店にて個展を開催しており、これからの活躍も楽しみな現代の陶芸家の1人でございます。

書道具 墨

墨は書道具においてなくてはならない存在ですが、墨の歴史は文字の歴史といっても過言ではありません。

日本に文字が伝来した年代と墨が伝来した年代は同じだと言われていますが、伝来した元の中国での墨の歴史は遥かに長く、紀元前1500年前の殷王朝が始まりと言われています。漢の時代になると固形のものが現れ「松煙」「石墨」に膠(にかわ)や香料も使われていたと言われます。また、油を燃やして採煙した煤を使用した「油煙」は唐や宋の時代に登場したと言われますがはっきりとしていません。

中国の墨のことを「唐墨」と呼びますが唐墨の製墨家が数多く台頭した文化大革命の頃の墨は非常に珍重されており、墨はできたてでは粘り気があり色も弱いことが多く20年から100年にかけてが使い頃だと言われる為文革前の墨はまさにその時期に当たることも人気の所以となっています。

 

唐墨以外では、漢字だけでなくひらがなも用いる日本の墨はより繊細な動きが求められる為独自に発展していきました。

日本の墨(和墨)は唐墨に比べて膠の比率が低いものの粘り気の強い物が使われており、墨のおりが早く、強い黒が出せるようになっています。そうした背景には日本と中国とで水質も違う事も挙げられ、唐墨も軟水と硬水で擦るのでは色味が違うといわれます。

また、湿度の高い日本で独自に発展した和墨はひび割れしにくく保存がきくことから書家からも重宝されています。

井堂 雅夫

井堂雅夫は20世紀後半より活躍した木版画家、そしてアクリル絵画家です。 雅夫は盛岡で育ち、15歳の時に京都に移住します。そこで伝統と技が創る美の世界と出会い、工芸作家を志すようになりました。 京都で染色技法を研鑽していた …

立石 春美

立石春美は、1908年に佐賀県生まれの画家です。 1927年に上京し洋画家の梶原貫五の紹介により鏑木清方に入門を願うがかなわず、1928年に深水画塾に入り、伊東深水に師事、洋画から路線を変更して日本画を学びます。 師であ …

曽根 茂

曽根 茂は、油彩で風景画を描く写実画家です。 1971年生まれで 三重県菰野町(こものちょう)で生まれます。 小さい頃から写実画を描き続けており、個展などにも出展し、学生をしながら絵を描き続け、1996年に京都大学文学部 …

高野 三三男

高野三三男は1900年代の日本とフランスで活躍した画家です。 1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学するも、1924年に起きた関東大震災にて被災。その復興の騒ぎで落ち着いて絵画の制作が出来ないことからフ …

三輪 良平

三輪良平は美人画を中心に描かれた昭和後期から平成時代に活躍した日本の画家です。 京都市の表具師の次男として生まれ、京都市立美術専門学校卒業後、山口華楊に師事し華揚が代表をつとめる晨鳥社(しんちょうしゃ)へ入塾すると翌年に …

大道寺 光弘

大道寺光弘は北海道出身の彫刻家です。その特徴は「生命力のあるブロンズ像」です。 大道寺光弘は数多くのブロンズ像作品を作っていますが、そこには銅像とは思えない生命力や優しさがあります。彼の作るブロンズ像の表情はとても柔らか …

佐藤 潤

佐藤潤は生物多様性をテーマに絶滅危惧種の動物たちを描く鳥獣画家で、動物画家として大変人気があります。 そんな佐藤潤は、1970年大阪市に生まれ、幼少期を大阪の工場街で過ごしました。自然、土や木々、虫たちなどとは縁の無い場 …

SEIKO セイコー

セイコー(SEIKO)は、時計事業で著名な日本の企業です。 創業は1881年で、服部金太郎がセイコーの源流会社となる「服部時計店」を立ち上げたのが始まりです。初めは中古時計の買取・修繕・販売を事業としていましたが、間もな …

リモージュ カップ&ソーサー

Limoges リモージュ

リモージュ磁器(リモージュ焼)について紹介致します。 リモージュ磁器とは、フランスはヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の都市・リモージュの製陶所で製作される磁器のことを指します。最初にリモージュ磁器が作られたのは1771年とな …

三田村 義広

三田村義広は、1978年生まれの江戸切子作家です。 江戸切子とは、1834年に江戸でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛が金剛砂(研磨剤に使用される粉末状の鉱物)を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが始まりとされています。 …

古銭

日本の貨幣の始まりは中国の開元通宝をモデルに作られたと言われており、7世紀後半に作られていた富本銭が最古のものとされています。富本銭や和同開珎などに続き、多くの種類の貨幣が登場しますが、形は丸の中に正方形の穴が空けられて …

ブールデル

エミール・ナントワーヌ・ブールデルは1861年に南フランスの家具職人のもとに生まれます。幼い頃から父の仕事を手伝い、木彫りの技術などはこの時に習得したと言います。 15歳になるとトゥールーズの美術学校に通い、その後パリの …

吉田 一也

吉田一也は1970年、京都生まれの陶芸家です。 20代の頃、自身が中国・インドをバックパックで旅した際の経験から自然と野生を深くリスペクトするようになり、猫を通じて野生の気高さを表現するべく、主に猫の焼き物・墨彩画を制作 …

津金 日人夢

津金日人夢(つがね ひとむ)は1973年熊本生まれの陶芸家です。 1993年に有田窯業大学校ロクロ科修了後、熊本に戻って父のもとで作陶を始めます。はじめの頃は父にならった作陶を行っておりましたが、独自の作品表現を求める中 …

許麟盧

許麟盧は、中国の絵画・書画作家です。 1916年に中国は山東省蓬莱市で生まれ、幼いころから絵画や書画に触れて成長していきました。1939年からは書家・絵画家の溥心畲に師事し、技術と心得を学びました。溥心畲は朱子学をはじめ …

野村 義照

野村義照は、大阪府生まれの日本画家です。 1971年に東京藝術大学大学院を卒業すると、前田青邨、その後は平山郁夫に師事し、日本画の技量を高めていきました。 1977年。院展で日本画大賞を受賞したその年、野村義照は初めての …

服部時計店

服部時計店は、時計事業で著名なセイコー(SEIKO)の前身となる企業です。 創業は1881年で、当時21歳だった服部金太郎が輸入時計・宝飾品の販売店として銀座に立ち上げました。服部時計店は取引先の、特に外国商館から高い評 …

関 武比古

関武比古は、三代続く銀細工師です。 初代・関武比古は1908年の千葉県勝浦に生まれ、上京を機に打物の名匠である田島勝之師に師事し、銀細工を修行しました。その後、さらに香坂宗廣師のもとで技術を磨き、28歳で独立しました。数 …

城 康夫

城康夫は、京都出身の油彩画家です。 国画会が運営する日本最大規模の公募展・国展において幾度も受賞されており、以後も国画会会員として長く活躍されました。 リアリズムに準拠した静物画を得意としており、もっぱら題材にされるのは …