福王寺 法林

福王寺法林は山形県出身の日本画家です。

1920年に生まれ、現在まで多くの絵画作品を残されております。

幼い頃に父親と猟に出掛けた際に銃が暴発し、左目の視力を失ってしまう事故に見舞われますが、それにより生来の負けず嫌いからか、よりたくましく生きるきっかけになったと言います。

絵を描くことが好きだった法林は小学2年にして狩野派の上村廣成氏に師事し、16歳で画家を目指して上京します。
貧しい下積み時代を過ごしていた法林は21歳の頃に戦争へと駆り出されることになりますが、大金をはたいて岩絵具を買い「必ず生きて帰ってこの絵具で絵を描く」と誓って中国へ出征します。戦争中に壮絶な日々を過ごしながらも26歳で復員した法林は、献身的な愛子夫人の応援もあり、第34回日本美術院展覧会で初入選を果たします。その後も奨励賞や白寿賞を受賞するなど、画壇に名前を残すようになりました。

代表作である「ヒマラヤ」をテーマにした作品群は東京三越で行われたヒマラヤ展で展示された絵がネパールの王に気に入られたことがきっかけで始まりました。
8000m級の山々の過酷な環境に何度も訪れ、命を落としかけながらも描き続けた作品は、まさに法林の命が刻まれていると言っても良いほどの大作となっています。

エルテ

ロマン・ド・ティルトフ1892年11月23日~1990年4月21日
ロシア生まれのフランス人で美術家でありながらデザイナーもしておりました。エルテ(Erte’)に通称で知られており、デザイナーとしてはファッション、ジュエリー、グラフィック、アート、衣装、舞台美術、インテリア装飾等幅広い分野で活躍しておりました。

エルテの父は、ロシア艦隊の司令官をしており家の伝統を守って欲しいと海軍将校を望んでいたがエルテは、父親の期待には応えずデザイナーとしいての道を選びました。家名を汚すことを恐れたエルテは、名前まで変え活動をしておりました。
1915年にハーパーズバザー(ニューヨークの最古のファッション雑誌)と始めて実質的な契約を獲得し、衣装のデザインや舞台美術等華々しい活動を始めました。彼の成功の一つとしてフランス人のダンサーのギャビー・デリスの衣装をデザインことです。デリケートな体の線ち洗練された魅惑的なデザインがエルテのアイディアだとすぐに見分けがつくほど、そのアイディアと美術は21世紀のファッションにもなお影響を与えている程です。

亡くなる二年前にエルテは、ワインで有名なクルボアジェの7本限定ボトルをデザインし、蒸留から熟成までの製造過程をデザインしました。2008年にエルテが八本目にかつ最後にデザインしたボトルが1万ドルの値段で販売がされました。

井上 圭史

井上 圭史は大阪府出身の写実主義(リアリズム)を得意とする画家です。

1933年に大阪府で生まれ、1955年に京都芸術大学へ入学しますが中退し日本写真専門学校に入学し1959年に卒業します。
1974年に大阪府美術家協会創立会員となり1977年には現代洋画精鋭選抜展に出展し銅賞を受賞しました。
後に美術雑誌で有名な『一枚の繪』で紹介され一躍有名画家となります。

井上圭史の作品は備前焼の花瓶に花が添えられた静物画が人気で、細部まで丁寧な写実で描かれた作品は見るものを魅了します。

稲嶺盛吉

稲嶺盛吉は、沖縄が生んだ琉球ガラスの現代の名工です。
日本内外に琉球ガラスの美しさを知らしめる沖縄を代表するガラス職人です。

琉球ガラスは「炎の芸術」とも呼ばれています。1300度近い熱で真っ赤に溶けたガラスと、鉄のパイプを使い様々な色と形へと姿を変え美しい器が生まれます。琉球ガラスは比較的歴史は浅く、100年ほど前に製造が始まったとされています。沖縄に滞在した米兵が本国へ戻る際の土産品として次第に人気を博すようになり、県外・国外への販売が増えていきました。
その後、鮮やかな色彩を特徴とするガラス「琉球ガラス」が沖縄の工芸品として確立しました。沖縄だからこそ生まれた琉球ガラスは沖縄県内の高い志を持った人たちの技術を持って作られるものであり、技術者はそこに誇りを持っています。

そんな、琉球ガラスを高い技術によって工芸品にまで押し上げたのが稲嶺盛吉です。1954年に沖縄最古の琉球ガラス老舗工房である奥原硝子製造所に入社し琉球ガラスの技術を磨きました。1988年に自身の工房である「宙吹きガラス工房 虹」を設立し、自身でしか作ることのできない琉球ガラスを製作していきます。

稲嶺盛吉の作り上げる作品にはいくつかのシリーズが存在します。代表的なシリーズは、泡ガラス・備長炭・カレー泡・土紋・アイスカットの5種です。それぞれに特徴があり名前の通りにその素材が使われていたりします。稲嶺盛吉の作品は琉球ガラスの伝統をしっかりと継承しながら、新しい発想で沖縄らしさを表した作品です。先に紹介したシリーズ以外にもブラウン管を使用した黒真珠と名付けられた幻のシリーズや、備長炭で作られる珊瑚のような作品をさらに改良した紅珊瑚という作品など、沖縄や海を感じることのできる作品を多く作り上げています。独創的で力強い作品は琉球ガラスの美しさを最大限に引き出しています。

村田宏

1936年に富山県高岡市で生まれました。

その後、日展評議員の村田吉生氏に師事し原型(ペンモールド)を修業、1958年には高岡市展高岡市長賞受賞、日展に初入選(以後6回入選)、1964年には日本現代工芸展に初入選(以後数回入選)します。細かな部分にわたる装飾制作を得意とされる金工作家です。

サルバドール・ダリ

サルバドール・ダリはスペインが生んだ20世紀を代表する最も多才な画家です。絵画はもちろんのこと彫刻、版画、舞台装置や衣装のデザイン、映画制作と実に幅広い表現活動を行っていました。

そんなダリは6歳の頃に初めて風景画を手掛けてから絵画に興味を持ち始めます。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学、多くの知人を作り多くのことを学びます。しかし20歳の時に、教授を批判し学生の反乱を指導したとして停学処分を受けます。さらにはその年に反政府活動の疑いで短期間投獄されています。在学中に複数回個展を開くなど精力的な活動を行う反面美術史の答案の提出を拒むなどして放校処分を受けています。

その後のダリは、パリやアメリカ・ロンドンなどで個展を開催、ピカソやミロ、ガウディ、フェルメール、ミレーなどの影響を受け、新古典主義やキュビスム、パリのシュルレアリスム、二重像(ダブルイメージ)などを描くようになります。多くのものに影響された背景には、表現することを突き詰めたダリの探求欲に起因しています。

ダリはシュルレアリスム(超現実主義)を代表する画家です。シュルレアリスムとは意識のもとに閉じ込められている無意識の欲望を描くものと言われています。文章での説明は難しく、ダリの作品がまさにそれであると理解してもらうことが一番の近道かもしれません。ダリは生活の中で受けたインスピレーションをダリのイメージで描いて作品を作り上げます。つまり作り上げる作品はダリの夢や妄想などのイメージを形にしたもので、意識と無意識の狭間こそが本当の現実であるという考え方がシュルレアリスムなのです。

そんなダリの有名作は、日本の美術の教科書にも載っていたことのある「記憶の固執」です。時計が溶けたカマンベールチーズのようにぐにゃぐにゃしている作品で、見覚えのある方も多いかと思います。絵画以外にも実は日本でも身近にダリと関わっているものがあります。それは世界的に人気のお菓子である「チュッパチャップス」です。チュッパチャップスのロゴのデザインはダリが作成したもので全世界共通して同じものが使われています。

南口 閑粋

南口閑粋は大阪府出身の陶芸家で、雅やかな絵付けで人気のある作家で、廃窯となっていた杣山焼を再興させた人物です。 閑粋は幼少期を大阪で過ごし、京都府立陶工高等技術専門学校を卒業後、龍谷窯の初代宮川香雲や千家十職の土風炉・焼 …

峯岸勢晃

峯岸勢晃さんは、1952年、埼玉県三郷市生まれの栃木県那須町に工房を構える陶芸家です。 音響メーカーに勤めていたが以前から興味を持っていた絵を描きたいと思い退社。その後、会社の先輩の同級生が長野県の小布施にて「奥信濃焼」 …

横山白汀

横山白汀は、明治34年井波町で生まれの木芸家。 日展という日本最大の総合美術展覧会の評議員でもあります。 井波彫刻の名家、横山作太郎の長子として生まれ若くして木芸の道に進みます。そして昭和16年第4回文展に「木目込屏風」 …

冨木 宗好

冨木宗好は明治の自在置物作家です。 自在置物とは、銀や鉄、銅などを用いて甲殻類や虫、鳥などの生き物を写実的に作り、さらに体節、関節などを本物と同じように動かすことのできるもののことを言います。 始まりは、江戸時代の甲冑師 …

グラハム・クラーク

グラハム・クラークは、イギリスの銅版画家です。 オックスフォードで生まれ、ロンドン王立美術学校を卒業したのち、本格的に活動しました。 銅版画に手彩で色付けする「手彩色銅版画」を得意とし、現在まで数多くの作品を残しています …

古畑 雅規

古畑雅規は長野県生まれの油彩画家&クレイアート作家です。 1968年の長野県松本市に生まれます。1988年に全国大学版画展に出展、1989年には伊藤廉記念展に入選します。フランス、イタリア、スペイン、トルコ、エジプトの5 …

木村盛伸

木村盛伸は京都の陶芸家です。京都府指定無形文化財保持者に認定されています。 1932年京都の五条坂にて、絵付け職人の木村聖山の三男として生まれます。 都市立美術工芸学校の卒業した後は兄・木村盛和の工房に入ります。そして、 …

深川製磁

深川製磁は1894年に佐賀で創業した有田焼ブランドです。 もともと佐賀の有田には、深川栄左衛門という方が設立した「香蘭社」という有田焼のブランド会社がありました。その深川栄左衛門の弟・深川忠次が独立し、創業したのが「深川 …

中山 正

中山正は、新潟県生まれの木版画家です。 1927年に新潟県新潟市に生まれ、多摩美術大学に入学し油絵を学びますが、中退し版画家としての活動を始めます。1959年にリトグラフ画集「ラッパ手」を出版、その後は拠点を海外に移し1 …

アンドレ・コタボ

アンドレ・コタボは1922年にフランス南東部の町、サン=マルスランに生まれます。 リヨンの美術学校に進学し、そこで絵を学びます。 そして14歳の時、イタリアのローマの店先にあったゴッホの絵に感銘を受け、それを複製しようと …

天野タケル

天野タケルは日本の画家・彫刻家です。 世界的に有名な画家でありイラストレーターである天野喜孝の息子になります。 日本だけでなく、フランスのパリ・イギリスのロンドン・アメリカのニューヨーク・香港などで個展を開催しており世界 …

白井半七

白井半七は代々襲名で受け継がれる「今戸焼」の陶芸家になります。 今戸焼とは、東京都台東区の今戸周辺で焼かれていた陶磁器です。江戸時代から明治時代にかけ、日用雑貨・茶道具・瓦に至るまでの多種の生産をされてきました。 初代白 …

坂本 繁二郎

坂本繁二郎という名を聞いたことがある人、無い人いると思います。 しかし、明治から昭和にかけて活躍した巨匠の1人と言えるでしょう。 坂本繁二郎を語る上で欠かせないのが、若くしてこの世を去った画家・青木繁です。 坂本と青木は …

濱田昇児

濱田昇児は、大阪府出身の日本画家です。 日本画壇の重鎮である濱田観のもとに生まれた昇児は、父に日本画の基礎を教わります。その後、近現代日本画の巨匠・小野竹喬に師事し、絵画の研鑽に励みました。 1945年、京都市立美術専門 …

薩摩びーどろ工芸

薩摩びーどろ工芸株式会社は、鹿児島県に本社を置く、薩摩切子作品を強みとしたガラス細工工房です。 薩摩切子とは、江戸末期に薩摩藩で造られた切子ガラスです。無色のガラス(クリアガラス)の上に色つきのガラスを被せ、それを磨き上 …

小西陶古

小西陶古さんは、備前焼の陶芸家、窯元です。 代々陶芸作家の家系で、明治初期の細工の名工と云われた永見陶楽の孫にあたる初代小西陶古さんが窯元を設立致しました。 初代はそれまで偶然に作られていた「桟切(サンギリ)」という模様 …