鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人物である原清は2005年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されたの陶芸家です。
1936年に島根県斐川という現在の出雲市に生まれました。少年時代を過ごした出雲という土地は江戸時代より北前船の寄港地となっており、有田焼や唐津焼の陶器が渡ってくるところでありました。原清が学校からの登下校中に拾った古い染付の陶器に魅了されたことがきっかけとなって、陶芸の道を志すようになり、1955年に後の人間国宝となる石黒宗麿、清水卯一に陶芸を学ぶようになります。その後は、1958年に日本伝統工芸展に初入選後の1965年に東京の世田谷区に窯を築いて独立を果たし第16回日本伝統工芸展にて日本工芸会会長賞を受賞し、鈞窯の技法にて評価を高めていきます。その後は埼玉県に窯を移し、鉄釉の技法の研究を進めていき、この鉄釉技法によって原清は陶芸家としての知名度を大きくしていくことになり、人間国宝として認定されました。
原清の作品は黒色と褐色の二種類の鉄釉を使った美しい色合いが特徴的で、草原を悠々と駆ける馬や風に揺らぐ草や花などを題材とした身近な世界をこの二色の鉄釉を使って絶妙に表しているその作品は非常に魅力的です。また、石黒宗麿→清水卯一→原清の三代にわたって人間国宝に認定されており、この系譜は他には成し得ない凄さがあることはもちろんですが、代が下がることに認定されるのは難しくなりますので原清の凄さがここでも伺えます。
陶芸家一覧
辻 常陸
辻常陸とは佐賀県有田に窯を構える辻家の現当主が襲名した名で、当代は15代目に当たります。辻家の歴史は長く400年以上続く名門です。3代喜右エ門の時代に仙台藩主伊達綱宗によって皇室に献上された陶磁器が認められ皇室御用達となりました。その後も代々御用達となり世襲制となった15代辻常陸の現代でも宮内庁御用達として拝命しています。
この長い辻家の中で発明された焼成法の中に極真焼というものがあります。これは8代当主辻喜平次が研究の末完成させた焼成法で、製品と同質の磁土で匣鉢(さや)を作り、その中に本来の製品を入れ蓋をします、蓋の接触部分と内側に釉薬を施し焼成します。そうすることで匣鉢の中が真空になり空気の対流がなくなり深い呉須の発色と気品のある光沢が生まれます。これが極真焼です。
しかしながら極真焼は毎回製品と匣鉢を作り、焼成後に匣鉢を割る為ものすごい手間がかかってしまいます、そのことから長らく封印されていた製法でもあります。この製法の封印を解き現代によみがえらせたのが14代辻常陸になります。
久世久宝
京焼の伝統的な作品を製作している陶芸家として有名な久世久宝という家元をご存知でしょうか。
京焼の伝統を踏まえながらも仁清写色絵付や染付、金襴手などの技法を持つ陶芸家で、当代が5代目となります。
初代久世久宝は1874年に幕末の僧であった仁渓の子として生まれ、芸術作品に触れる事や高い精神を持つようにと鍛錬を続けている家系に生まれています。
作陶を始めてからは仁浴と名乗り大田垣連月らと親交を深めておりました。
仁浴の技術を裏千家13代圓能斎に認められてからは久宝という名を拝受しております。
久世久宝の作風としては女流作家として知られていることもあってか繊細なタッチと華やかな世界観を感じさせてくれることが特徴的であると言えます。
特に3代目製作の金襴手宝尽茶碗は美しい中にもどこか女性特有の可愛らしさを感じさせるような作品となっており、今も見るものを魅了しているのではないでしょうか。
今後も久世久宝の作品は多くの人々を魅了してくれることでしょう。
鹿児島 寿蔵
紙塑人形にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の作家と言えば鹿児島寿蔵ではないでしょうか。
紙塑人形とは昭和初期に創生された日本人形であり、紙塑とは和紙などの繊維を煮詰めて糊などを加えてかき混ぜて作った粘土状の材料のことを指します。
その仕上がりは粘土や桐塑とは違い、柔らかな質感が良く生かされているのが特徴となります。
鹿児島寿蔵はこの紙塑人形の第一人者であり、彼の作る作品は和紙の美を極限まで追求し、更には丈夫さも兼ね備えるように研究を続けた結果、「紙塑人形」を創案しました。
鹿児島寿蔵の作る紙塑人形は、光沢があり優雅な雰囲気が漂った作品であり、まさに極限の美にこだわり抜いた職人技が光る作品ばかりです。
また、鹿児島寿蔵は短歌も愛していたこともあってか優雅な雰囲気のある作品を作ることに長けていたのではないでしょうか。
そんな鹿児島寿蔵の作った作品は没後もなお多くの人々を魅了していることは間違いないでしょう。
中村 元風
中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテーマを据え、アートとサイエンスの両面で追及し続けている。また、自身の研修開発により生み出した独自素材を用いて作品制作を行っております。当初祖父の中村翠垣(県指定無形文化財、日展参与)に師事してたが、祖父亡き後は、3代徳田八十吉に師事しておりました。
佐々木 象堂
佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を目指して上京しますが、極度の近眼であった為画家になることは断念しましたが、鋳造なら可能なのではないかと考えた佐々木象堂は初代・宮田藍堂に師事します。
宮田藍堂に師事して芸術家としての技術を身に着けていった佐々木象堂は、6年間の修行を経て独立することを認めてもらえるようになります。その後は1913年に日本美術協会展にて銅賞を受賞したことを皮切りに数々の賞を受賞していきます。中でも「鋳銀孔雀香炉」や「金銅鳳凰置物」は帝展に出品をすると両作品とも特選を受賞したことにより更に佐々木象堂の名は有名になっていきました。
戦時中には金属の調達が難しかったこともあり、陶芸にも打ち込み真野焼窯を創設し、子弟とともに陶芸にも打ち込んでいたとのことです。戦後は再び、鋳金家としての活動を再開し、数々の名作を残したことなどの功績を残した佐々木象堂の作品は人気の高い物となっております。
慶入 (十一代楽 吉左衛門)
慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。 江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退によ …
諏訪 蘇山
明治から現在まで続く青磁陶芸の作家である諏訪蘇山。初代が高麗青磁を研究し作りあげた京焼青磁は当代まで受け継がれ、刷毛目や練り込みを用い、より現代的な姿へと進化しました。 初代蘇山は加賀の武士の家に生まれ、公務員・水産業・ …
吉田 美統
吉田美統(よした みのり)は、人間国宝に認定されている九谷焼の陶芸家です。 石川県小松市にある錦山窯の三代目として生まれ、高校生の時に陶芸の修業を始めました。しかし当時、戦後ということで釜の燃料が少なく、値上がり防止のた …
前田 昭博
前田昭博は「白磁」で国の重要無形文化財に認定された陶芸家です。 1954年に鳥取県に生まれた前田昭博は、小学校2~3年生の際に学校の教員をしていた父が木版画を始め、その後ろ姿を見てモノを夢中になっているところがうらやまし …
岩田 久利
日本におけるガラス工芸の先駆者である岩田藤七、その長男として自身も父と同じ道を進むことなったのがガラス工芸家、岩田久利です。 久利は1925年、東京美術学校を卒業してまだ間もない藤七の子として生まれました。父と同じく東京 …
野々村 仁清
野々村仁清は生没年が不明などわからないことはいくつかあるのですが、生まれは丹波国(京都)野々村と伝えられており、本名は清右衛門といいます。 京都の粟田口や瀬戸などで修業を積み1647年ごろに京都仁和寺の門前にて開窯します …
尾形 乾山
乾山は寛文3年(1663年)京都の富裕な呉服商の三男として生まれました。尾形と聞いて尾形光琳が頭に浮かぶ人も多いと思いますが、その尾形光琳の弟が尾形乾山です。派手好きな性格の光琳と対照的に、乾山の性格は穏やかで書物や学問 …
高橋道八
高橋道八は江戸時代後期より続く京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡です。茶道具や煎茶器の名品を数多く輩出しています。 初代高橋道八の時代は煎茶隆盛期で、初代高橋道八も時代の流れに合わせ多くの煎茶器を作成し名品を残し …
宮川 香山(真葛 香山)
(初代)宮川香山は1842年、京都の真葛ヶ原に陶工・真葛宮川長造の四男として誕生します。幼名は虎之助。 19歳(1861)の時に父と兄を亡くし、陶工の家を継ぐことになった虎之助は生前父が朝廷用の茶碗等を制作していた際に「 …
館林 源右衛門
館林源右衛門は、江戸時代中期に創業した陶芸家です。 民窯として磁器を制作しますが、 明治・大正時代には料亭用の食器を中心に製造を行っていました。六代・館林源右衛門は、有田焼の一つである古伊万里復興に取り組み、伝統的技法 …
大樋 長左衛門
大樋長左衛門は石川県金沢市が誇る江戸時代から続く楽焼を、現代でも受け継ぎ続けてる大樋家の当主です。 大樋家の作る大樋焼は、ろくろを使わず手で捻りながら成型し、へらを使い削りながら作り上げます。これは楽焼の流れを汲んでおり …
中里 太郎右衛門
江戸初期から続く唐津焼の名工、中里太郎右衛門。技術の継承とともに、そこに現代的なデザインを組み込み作られる作品群は現在の14代目に至るまで、着実に受け継がれています。 中里又七を祖として現在まで続く中里家。特に注目された …
岡部 嶺男
岡部嶺男は陶芸家・加藤唐九郎の息子として生まれ、現代的な感覚で作られた青瓷や織部の優れた作品をのこした作家です。 若き頃から父に続き陶芸を学び、1952年の第8回日展にて志野の壺で初入選を果たします。2年後の第10回日展 …
河合 誓徳
河合 誓徳(かわい せいとく)は日本の陶芸家であり日本芸術院会員でした。大分県に生まれ、旧制宇佐中学校を卒業。1951年京都陶芸家倶楽部に加入し、6代清水六兵衛に師事されました。1962年日展特選北斗賞を受賞=「蒼」、1 …
宮之原 謙
宮之原 謙(みやのはら けん)明治31年(1898年)2月9日~昭和52年(1977年)8月23まで活躍された陶芸家になります。鹿児島県出生の方で1924年(大正13年)頃に川端画学校へ通い、山之内高門に日本画、宮川香山 …
三輪 休雪
三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。 三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続い …
草間 彌生
草間 彌生は長野県松本市生まれの芸術家です。幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニ …
塚本 快示
塚本快示は岐阜県土岐市に生まれ、実家が累代製陶を営んでいた。そのため、幼少の頃より作陶姿を目にしており、自然とその世界を目指す志を持ち始めたと言われている。 1927年頃より父の手伝いで作陶を開始する。1950年に小山 …
井口 大輔
井口大輔は気鋭の若き陶芸家として陶芸界から注目されています。1975年に栃木県生まれです。栃木と言えば、焼物好きがすぐ思い浮かべるのは「益子焼」ですが、「益子焼」の影響を微塵も感じさせない、孤高のオリジナリティが異彩を放 …






