船木研児は島根県出身のスリップウェアという技法を駆使した陶芸にて日本を代表する作家の一人です。
スリップウェアという技法は化粧土と泥漿(でいしょう)で装飾した陶器です。化粧土と泥漿とは、粘土を水で溶かして筆で模様を描いたりスポイトなどで絞り出せる状態のものをいい、ともにスリップという名称でよばれており化粧土は英語・フランス語・ドイツ語でエンゴーベ(engobe)と呼ばれております。釉薬には鉛釉という鉛を主原料にしてシリカ(二酸化珪素)を加えた釉薬が使われており、古代中国や中東、欧米諸国など世界各国で焼かれた陶器であり、バーナードリーチが19世紀に途絶えてしまったスリップウェアを甦えらせたことで知られております。
船木研児の作品は黄釉スリップ楕円鉢や黄釉蓋物等を制作しており、せいさくしている作品のいくつかは日本民芸館や倉敷民芸館にて展示されており、人や鳥、鹿や魚をモチーフにした作品を手掛けており、その作品は多くの人々を虜にしていることは間違いないでしょう。
陶芸家一覧
金重 素山
金重素山は1905年岡山県生まれの陶芸家です。本名七郎左衛門といいます。金重楳陽の三男で兄は人間国宝の金重陶陽です。1951年、京都府亀岡市の大本教本部内の花明山窯に奉仕する。当地で三代教主出口直日の作陶を指導しながら、油滴天目の石黒宗麿に釉薬について学びます。桃山時代調の緋棒を得意とする備前茶陶の第一人者です。人間国宝の兄・金重陶陽に師事し、桃山備前再現に共に尽力します。後に、京都に出て人間国宝、石黒宗麿から彩薬の指導を受け、鶴山窯を築き、信楽焼を中心に作陶していました。
緑和堂では、金重素山の作品を買取しております。売却を検討されたいお品物がございましたら、ご気軽にご相談ください。
大野 昭和斎
岡山県出身の国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された木工芸師として有名な人物は大野昭和斎といえるでしょう。
1912年に岡山県の総社市に生まれた大野昭和斎(本名 片岡誠喜男)は14歳の時には指物師の父である片岡斎三郎に師事し、指物や象嵌などの木工芸の技術を全般的に教わり、高い技術を身に着けていきました。
23歳のころにはより高い技術を習得する為に文人画家である柚木玉邨に絵画を習い、昭和斎という号を授かります。その後は1937年に中四国九県連合展にて「松造小箱」を出品して特賞を受賞したことを皮切りに数々の賞を受賞していきます。1965年には第12回日本伝統工芸展に「欅香盆」にて特賞を、1968年に第15回同展にて「拭漆桑飾筥」にて日本工芸会会長賞を受賞し、その年に日本工芸会の正会員となります。1974年には木創会を設立し、後進の育成に努めました。そういった功績が称えれて1977年に「指物・刳物・象嵌」にて岡山県の重要無形文化財に、1984年には「木工芸」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
佐藤 走波
走波焼にて有名であった佐藤走波。5代目、6代目の作品が有名でファンの方も多いかと思います。その精細な筆さばきによる染付と初期伊万里を彷彿とさせる素朴さと豪快さを兼ね備えた作品は人々を魅了しております。
ですが、6代目がお亡くなりになられたことと後継者の方がいらっしゃらないとのことで現在は窯が閉鎖されております。
走波焼が途絶えてしまったことは非常に残念ですが、今ある作品をより多くの方に知って頂くことが重要だと感じました。
もともと、走波焼とは今から250年前に鍋島藩の支藩である蓮の池藩に画工した際に「臼井走波」を招き「走波焼」が完成したと言われています。
臼井走波は白石焼の中でも異彩を放っていた為、「走波焼」と別称されており、その作品は数が少なく希少なものとなっております。
しかし、時代の流れが陶器より磁器へと変わっていったことの影響から走波焼は残念なことに一度途絶えてしまいます。
その後、5代佐藤走波が走波焼を見事再興させ、6代佐藤走波も継承して作品を世に送りだしておりました。
しかし、上述のように6代佐藤走波がお亡くなりになってしまった為、また走波焼は幻の焼物となってしまいました。
宇野 宗甕
中国五大名窯の釉薬研究と作品の制作に努めた陶芸家をご存知でしょうか。
それは、宇野宗甕です。
京都市に生まれた宇野宗甕は父が宇野仁松という同じく陶芸家であったことや幼いころより京都市立陶磁試験場に通って陶芸をしていたことより窯業の技術を習得していっておりました。
中国五大窯の研究に興味を持ったきっかけは、名家の入札に参加していた際に中国磁器と出会い、その作品に魅了されたからではないでしょうか。
その後も名家の入札にて中国磁器を入札していき、どんどん中国磁器に魅了をされていきました。
中国磁器の中でも特に南宋の青磁の研究に没頭していたといわれていたことから他の作品も魅力的ですが、青磁の作品が特に人気があります。
残念ながら初代宇野宗甕は1973年にお亡くなりになってしまいましたが、現在は初代宇野宗甕の孫娘が二代目を引き継いでおります。
二代目はモンゴルへ旅に行った際の体験をもとにした作品も制作されており、素晴らしい作品も多く制作されております。
これからも素晴らしい作品を世の中に生み出していって欲しいですね。
三代 山田 常山
三代山田常山は「常滑焼(急須)」で重要無形文化財に認定された人物です。
常滑(とこなめ)の時代は古く、日本六古窯の中でも最も古い歴史を持つとされており、その始まりは奈良、平安時代を代表する遠投の影響を受けて、十二世紀初頭とされています。
常山は何故、常滑焼の急須にこだわったのか?
急須の文化は明治時代に中国からもたらされます。その立役者として「陶祖」と呼ばれる鯉江方寿(こいえほうじゅ1821~1901)がいました。鯉江は1878年に急須作りの技法を広めるべく中国から金士恒(きんしこう)を招きます。つまり、朱泥・紫泥急須(しゅでい・しでいきゅうす)の名産地、中国の宜興窯(ぎこうよう)の技術は現代の常滑急須の原点といえます。鯉江や金士恒から技法を学び「金士恒」の印を使うことを許された陶工は初代山田常山(1868~1942)、杉江寿門(すぎえじゅもん1826~1898)、片岡二光(かたおかにこう1821~1903)の三名のみとされました。
その初代 山田常山(1868~1942)と父にあたる二代 常山から学んだため、三代目にあたる常山も初代 常山の金士恒としての伝統と技術を受け継ぎ常滑焼の急須にこだわり続けたのでしょう。
また急須という制約された作陶でありながら、その造形は多様性を極め、常山作とわかるオリジナリティを兼ね備え、その形は実に100種類を超えるといわれています。
1958年に開催されたベルギーのブリュッセル万博のグランプリを皮切りに1961年に三代目を襲名してから国内外で数多くの出展と受賞を重ね1998年には国の重要無形文化財「常滑焼(急須)」の認定を受けます。
オリジナリティ溢れるその造形は、国内外問わず見る物を今もなお魅了し続けています。
加藤 卓男
岐阜県多治見市にある窯元の6代目である加藤卓男は、1961年イランへの初めての旅で青釉や三彩などの古代ペルシャ陶器の美しさに触れ異文化と日本の融合に着手しました。中でもひときわ力を入れたのが、18世紀ごろに姿を消してしま …
藤田 潤
藤田潤はガラス工芸の第一人者である藤田喬平を父に持つガラス工芸家です。 1951年に東京にて生まれた藤田潤は学習院大学卒業後に藤田喬平に師事し、ガラス工芸の道を志すようになります。その後はヴェネツィアと日本に制作の拠点を …
中里 茂右ヱ門
中里茂右ヱ門は1600年頃から続く平戸焼の陶芸家一族で、当代は1972年に襲名した15代目となります。一子相伝といわれる茂右ヱ門窯の技法、「籠目透かし」の技法を受け継ぎ、その作品はフランスのルーブル美術館で永久展示される …
原 清
鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人物である原清は2005年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されたの陶芸家です。 1936年に島根県斐川という現在の出雲市に生まれました。少年時代を過ごした出雲という土地は江戸時代より …
辻 常陸
辻常陸とは佐賀県有田に窯を構える辻家の現当主が襲名した名で、当代は15代目に当たります。辻家の歴史は長く400年以上続く名門です。3代喜右エ門の時代に仙台藩主伊達綱宗によって皇室に献上された陶磁器が認められ皇室御用達とな …
久世久宝
京焼の伝統的な作品を製作している陶芸家として有名な久世久宝という家元をご存知でしょうか。 京焼の伝統を踏まえながらも仁清写色絵付や染付、金襴手などの技法を持つ陶芸家で、当代が5代目となります。 初代久世久宝は1874年に …
鹿児島 寿蔵
紙塑人形にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の作家と言えば鹿児島寿蔵ではないでしょうか。 紙塑人形とは昭和初期に創生された日本人形であり、紙塑とは和紙などの繊維を煮詰めて糊などを加えてかき混ぜて作った粘土状の材料 …
中村 元風
中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテ …
佐々木 象堂
佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。 1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を …
慶入 (十一代楽 吉左衛門)
慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。 江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退によ …
諏訪 蘇山
明治から現在まで続く青磁陶芸の作家である諏訪蘇山。初代が高麗青磁を研究し作りあげた京焼青磁は当代まで受け継がれ、刷毛目や練り込みを用い、より現代的な姿へと進化しました。 初代蘇山は加賀の武士の家に生まれ、公務員・水産業・ …
吉田 美統
吉田美統(よした みのり)は、人間国宝に認定されている九谷焼の陶芸家です。 石川県小松市にある錦山窯の三代目として生まれ、高校生の時に陶芸の修業を始めました。しかし当時、戦後ということで釜の燃料が少なく、値上がり防止のた …
前田 昭博
前田昭博は「白磁」で国の重要無形文化財に認定された陶芸家です。 1954年に鳥取県に生まれた前田昭博は、小学校2~3年生の際に学校の教員をしていた父が木版画を始め、その後ろ姿を見てモノを夢中になっているところがうらやまし …
岩田 久利
日本におけるガラス工芸の先駆者である岩田藤七、その長男として自身も父と同じ道を進むことなったのがガラス工芸家、岩田久利です。 久利は1925年、東京美術学校を卒業してまだ間もない藤七の子として生まれました。父と同じく東京 …
野々村 仁清
野々村仁清は生没年が不明などわからないことはいくつかあるのですが、生まれは丹波国(京都)野々村と伝えられており、本名は清右衛門といいます。 京都の粟田口や瀬戸などで修業を積み1647年ごろに京都仁和寺の門前にて開窯します …
尾形 乾山
乾山は寛文3年(1663年)京都の富裕な呉服商の三男として生まれました。尾形と聞いて尾形光琳が頭に浮かぶ人も多いと思いますが、その尾形光琳の弟が尾形乾山です。派手好きな性格の光琳と対照的に、乾山の性格は穏やかで書物や学問 …
高橋道八
高橋道八は江戸時代後期より続く京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡です。茶道具や煎茶器の名品を数多く輩出しています。 初代高橋道八の時代は煎茶隆盛期で、初代高橋道八も時代の流れに合わせ多くの煎茶器を作成し名品を残し …
宮川 香山(真葛 香山)
(初代)宮川香山は1842年、京都の真葛ヶ原に陶工・真葛宮川長造の四男として誕生します。幼名は虎之助。 19歳(1861)の時に父と兄を亡くし、陶工の家を継ぐことになった虎之助は生前父が朝廷用の茶碗等を制作していた際に「 …
館林 源右衛門
館林源右衛門は、江戸時代中期に創業した陶芸家です。 民窯として磁器を制作しますが、 明治・大正時代には料亭用の食器を中心に製造を行っていました。六代・館林源右衛門は、有田焼の一つである古伊万里復興に取り組み、伝統的技法 …






