大樋 長左衛門

大樋長左衛門は石川県金沢市が誇る江戸時代から続く楽焼を、現代でも受け継ぎ続けてる大樋家の当主です。

大樋家の作る大樋焼は、ろくろを使わず手で捻りながら成型し、へらを使い削りながら作り上げます。これは楽焼の流れを汲んでおり大樋焼と楽焼の特徴です。中でも大樋焼は飴色の釉薬を使うことで艶のある独特な輝きが魅力です。

「派手なものは、あっと驚くかもしれないが、無為のもので世間をあっと言わせるものは難しい。その点、茶碗を作ることも難しい。特に無地ものの大樋焼は派手さがない」「見どころの多い茶碗ならいいとか、世間ではいうが、そういう茶碗は、本当の茶碗じゃないと思う。無為で作って、頭の下がるほどの品位のある茶碗がいいということでしょう」 

これは大樋焼について9代目の大樋長左衛門が語った言葉で、シンプルなデザインとシンプルな色使いながら、輝きによって出る存在感で魅了する大樋焼の深みが感じられます。

中里 太郎右衛門

江戸初期から続く唐津焼の名工、中里太郎右衛門。技術の継承とともに、そこに現代的なデザインを組み込み作られる作品群は現在の14代目に至るまで、着実に受け継がれています。

中里又七を祖として現在まで続く中里家。特に注目されたのが12代太郎右衛門(本名重利)です。途絶えていた古唐津を研究復興し、さらに叩き技法と呼ばれる独自の作風が評価され、1976年には唐津焼の人間国宝に認定されました。晩年は無庵と号し、息子に代を譲った後も作陶に専念しました。

13代太郎右衛門は父に続き古唐津の研究を行いつつ、より芸術性の高い作品を生み出しました。また、唐津焼研究者としても活躍し、その起源を探るため海外調査も行い、論文発表を行っいました。

当代である14代太郎右衛門(本名忠寛)は、先々代から受け継いだ叩き技法に中国的な装飾を組み合わせた作風が特徴となっています。

岡部 嶺男

岡部嶺男は陶芸家・加藤唐九郎の息子として生まれ、現代的な感覚で作られた青瓷や織部の優れた作品をのこした作家です。

若き頃から父に続き陶芸を学び、1952年の第8回日展にて志野の壺で初入選を果たします。2年後の第10回日展では北斗賞を、また1958年の日本伝統工芸展で奨励賞を受賞するなどその実力は着実に高まっていました。

1960年、いわゆる「永仁の壷事件」が発生。父・唐九郎と嶺男は双方が自作の壷であるとして世間の注目を集めました。
その後嶺男は妻の旧姓である岡部に改名します。
また所属していた日本工芸会を脱退、作品発表の場は個展へと移しました。

永仁の壷事件は当時の美術界の一大スキャンダルとなってしまいましたが、その作陶技術はたしかなもので、織部や黄瀬戸、志野などの優れた作品を数多く制作しています。

河合 誓徳

河合 誓徳(かわい せいとく)は日本の陶芸家であり日本芸術院会員でした。大分県に生まれ、旧制宇佐中学校を卒業。1951年京都陶芸家倶楽部に加入し、6代清水六兵衛に師事されました。1962年日展特選北斗賞を受賞=「蒼」、1968年日展菊華賞を「宴」で受賞しました。1971年日本現代工芸美術十周年記念展で現代美術会員賞を「円像」で受賞するなど数々の賞を受賞した方になります。その後日本新工芸家連盟会長、2005年日本芸術会員、2007年日展常務理事、2008年日顧問を務めました。2010年、肺炎のため82歳で死去されました。

宮之原 謙

宮之原 謙(みやのはら けん)明治31年(1898年)2月9日~昭和52年(1977年)8月23まで活躍された陶芸家になります。鹿児島県出生の方で1924年(大正13年)頃に川端画学校へ通い、山之内高門に日本画、宮川香山に陶芸を学びました。また、板谷波山にも師事し、1972年(昭和2年)「東陶会」創立に参加し、1929年(昭和4年)第10回帝展に「鉄砂釉竹又陶製花器」で入選。岡倉由三郎にインド哲学を学びます。1931年(昭和6年)「銀河」、翌年の第13回には釉薬象嵌「十字文花瓶」で連続して特選を受賞し、1933年(昭和8年)帝展無鑑査となった。また、佐々木象堂とともに「新潟陶苑」を創設し越路焼の指導を行った人物になります。

三輪 休雪

三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。

三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続いておりますが、400年の道のりの中で一度衰退したといわれるまでに落ち込んだことがあります。
そこから再度萩焼を盛り立てたのは、十代目休雪と十一代目休雪でした。その最大の功績は「休雪白」と呼ばれる純白に近い萩焼です。白萩釉を使用することで作り出す白は、まさに春の雪解けを感じさせる温かみのある仕上がりとなっています。

後に十代目と十一代目の休雪は人間国宝にも指定され、当代の十三代目休雪にも休雪白は引き継がれ、白萩釉を使用し「休雪白」が作り出す渾身の純白、ダイナミックな造形美と、使い込むことで顔を変える「七化け」と呼ばれる萩焼の特徴を生かした作品が数多く輩出されるようになってきました。

草間 彌生

 草間 彌生は長野県松本市生まれの芸術家です。幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニ …

塚本 快示

 塚本快示は岐阜県土岐市に生まれ、実家が累代製陶を営んでいた。そのため、幼少の頃より作陶姿を目にしており、自然とその世界を目指す志を持ち始めたと言われている。 1927年頃より父の手伝いで作陶を開始する。1950年に小山 …

井口 大輔

井口大輔は気鋭の若き陶芸家として陶芸界から注目されています。1975年に栃木県生まれです。栃木と言えば、焼物好きがすぐ思い浮かべるのは「益子焼」ですが、「益子焼」の影響を微塵も感じさせない、孤高のオリジナリティが異彩を放 …

鈴木 爽司

1939年、鈴木爽司は京都で陶芸家である。鈴木清の長男として生まれ幼い頃から、陶芸が身近にある環境で育ちました。 京都府工芸美術展に12歳という若さで初出品、入選を果たすと、本格的に陶芸家になることを決意して京都市立美術 …

須田 祥豊

 須田祥豊は1885年京都府生まれの陶芸作家である。須田祥豊は家業である製陶業に従事し、明治時代末期には祥雲と称し、茶陶制作を始めるようになる。後に五条坂に窯を築くと、国焼、朝鮮の写しを中心に作陶を行うようになる。朝鮮、 …

真清水 蔵六

 真清水蔵六は初代から4代続く京焼の陶工である。現在は4代目真清水蔵六が家業を継いでいる。初代真清水蔵六は、江戸末期から明治の京都の陶工である。山城国(京都府)に生まれ、清水太三郎(たさぶろう)と称した。13歳のとき、陶 …

川瀬 忍

川瀬 忍は、中国陶磁に倣った名工・川瀬竹春(初代および2代目)に師事し、 18歳から陶芸の道に入った川瀬は、青磁を発表するようになるとすぐにその質の高さで注目された。細部まで隙のないシャープなかたち、静謐で深い青の釉調と …

清水 六兵衛

 清水 六兵衛(しみず ろくべい)は、江戸時代中期以来の清水焼の陶工です。 京都五条坂の陶芸の家系であり、当代・清水六兵衛は八代目となります。 初代 (1738~1799) は京都五条坂の窯元・海老屋清兵衛に学んだあと、 …

肥沼 美智雄

子ども時代に惚れこんだ古代の土器を元に作陶を行う陶芸家・肥沼美智雄。唐草紋を配した置物や角張った花器などで確立された独自の作風は、その造形の巧みさから人気を得ています。 肥沼は1936年、東京の青梅で生まれました。小学校 …

松井 康成

「練上手」にて1993年に国の重要無形文化財に認定された陶芸家として有名な人物は松井康成でしょう。 「練上手」とは異なる色の粘土を練り合わせてその収縮にて模様を表す技法です。色が違うといっても土は同一で顔料にて色を変えて …

三ツ井 為吉

 ジャパン・クタニという呼び名で世界中より評価され、有名な陶芸として知られている九谷焼。  九谷焼は約360年の伝統や多くの技法が多くの人々を魅了しております。  そんな九谷焼の作家として有名な方の一人はなんといっても三 …

池田 満寿夫

池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。 1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ …

原田 拾六

備前焼にて人間国宝に認定されていないものの、近年、人気が高まってきている原田拾六という陶芸家をご存知でしょうか。 岡山県の備前市に生まれた原田拾六は東京農業大学を卒業してから普通の会社員として働いておりました。 ですが、 …

バーナード・リーチ

バーナード・リーチはイギリス出身の芸術家です。 画家、陶芸家の他にデザイナーとしても知られています。 リーチは官僚であった父の影響で香港で産声をあげました。 幼少期を日本で過ごした事で日本に憧れを抱きます。その後ロンドン …

佐々木 二六

三代目佐々木二六は1917年に愛媛県に生まれました。 1932年旧制三島中学校卒業後は、初代・二代のもとで陶磁器製造に従事し、1940年三代目佐々木二六を襲名しました。 二六焼の命名は、祖先で楽焼を製作した人から二代目に …

鎌田 幸二

陶芸家 鎌田幸二は、1948年京都に生まれました。 高等学校卒業後は、作陶を志し、五条坂共同登釜で清水正氏の指導を受けます。 京都府立陶工職業訓練校専攻科修了後は、指導員として働きながら共同登窯『鐘鋳窯(しょうじゅ)』に …

三浦 竹軒

三浦 竹軒は、京焼(清水焼)を代表とする京都府出身の陶芸家です。 京焼の名工『初代 三浦 竹泉』が父であり、その三男として生まれました。当初は三代竹泉として活動をしていましたが、昭和9年に独立をし、竹軒という名に改名しま …

楽 吉左衛門

楽吉左衛門は千家十職の一つで楽焼の茶碗を制作する茶碗師が代々襲名している名称で当代は十五代となります。 楽焼のは桃山時代(16世紀)に楽家の初代であった長次郎によって始められ、その技術は近年の研究にて三彩陶というものとさ …

山田 和

山田和は愛知県出身の陶芸家です。 1954年に日展作家であった山田健吉の息子として生まれた山田和は、叔父も人間国宝である三代山田常山といった陶芸一家で育ち、幼いころより父や叔父の仕事を見て育ったことから中学生の頃には轆轤 …