愛新覚羅 溥傑

愛新覚羅 溥傑は、清・満洲国の皇帝である愛新覚羅溥儀の同母弟です。
ラストエンペラーの実弟として、波乱万丈な生涯を歩みました。

皇帝一族である愛新覚羅家は、その政治的・歴史的な役割のほかにも書家として高名です。
書の格と政治的な格とが繋がる文化を背景に、各々が一族の上の存在から書を学びました。またその後生涯において政治的な活動を行う上で、書を記す行為はずっと続いたことでしょう。
その取り組みの中で、それぞれの型が醸成され評価されるものとなりました。

愛新覚羅溥傑の書は、流れる水のようなフォルムが特徴的です。
溥傑の遺した書をもとに、『相依為命体(そういいめいたい)書体』としてフォント化もされております。
溥傑は波乱曲折の人生を得て、日中友好に大きく貢献しその生涯を閉じます。
一言では言い表せない壮絶な人生のなかで、その美しいどこか淡々とした風情の書を書き残した愛新覚羅溥傑。その作品は、氏の人生や歴史を感じることによって、より一層想い深く鑑賞されるものでしょう。

張世簡

張世簡は、中国の花鳥画作家です。

1926年に「画家の故郷」として知られる浙江省浦江県禮張村に生まれました。
叔父には花鳥画家である張振鐸(1908-1989)、従兄には同じく花鳥画家として活躍し、巨匠として知られる張書旂(1900-1957)がおり、自身も画家しての道を進むこととなりました。

大学在学中には潘天壽(1987-1971)、傅抱石(1904-1065)、黃賓虹(1865-1955)などの現代に名が継がれる有名画家から指導を受け、自身の技術を研鑽しました。そして実力派の花鳥画家として羽ばたいていくこととなります。
1979年には中央美術工芸院で教鞭をとる傍ら花鳥画の技法をまとめた書籍を出版するなど、中国花鳥画の発展に尽力した側面も持ちます。

季節を感じさせる自然の彩りと、しなやかで力強く、生命力のある鳥の描写が張世簡の特徴と言えるでしょう。鮮やかながら侘しさや寧静を思わせるその作品は、現在も高い人気を獲得しております。

武者小路千家七代 堅叟宗守 直斎

七代 堅叟宗守 直斎は茶道 武者小路千家の家元です。
直斎が活躍したのは江戸時代。今から300年ほど前の1725年に生を受けます。
直斎は六代 真伯宗守 静々斎に子がいなかったことから養子として引き取られ、茶を学びます。
静々斎が1745年に53歳で亡くなると直斎が七代目を襲名します。
武者小路千家、正式には官休庵ですが、直斎は官休庵中興とも呼ばれています。
時代は江戸時代中葉。時の将軍は八代将軍徳川将軍でした。
吉宗と聞くと目安箱の設置や某テレビ番組などでも有名で人気がありますが、時代は変革期と言っても過言ではないよう様相を呈していました。
幕府財政は破綻寸前で、吉宗はその財政立て直しのため質素倹約、増税を課します。その結果庶民を始め、様々な人たちが影響を受けました。
茶の湯は高尚なものです。そのため茶道の千家の家々もその影響はまぬがれません。
そんな中で直斎は辣腕を振るいます。
表千家、裏千家とも協力し、現在へと続く家元制度を整え、時代の荒波に対し協力して乗り越えていきます。
また、それまで4畳半以上8畳程の広さの茶室が伝統として受け継がれていた中で、15畳という広さの弘道庵を作ったことも画期的でした。
歌や書に秀で、多才な才能を発揮していた直斎でしたが58歳という若さでこの世を去りました。

木島 櫻谷

木島櫻谷は、1877年生まれの四条派の日本画家です。
京都に生まれ京都で育ち、幼少より周囲の影響で日本画をはじめとした文化の造詣を深めました。青年になると京都画壇を代表する作家・今尾景年に師事し、以降四条派の伝統を汲んだ作風が確立していきました。

櫻谷は初期から動物画を多く描きました。1899年に全国絵画共進会に『瓜生兄弟』を出品し、こちらが宮内省買い上げとなり、人気を確立することとなります。その後は山水や花鳥、人物なども描くようになり、文展を中心に活躍しました。
京都画壇では竹内栖鳳と人気を二分するほどに注目されますが、やがて画壇と反りが合わなくなり、筆致に対して評価は落ち着いていきました。
晩年は衣笠に隠棲し、街に下りず晴耕雨読の日々を送ったといいます。

四条派を正統に継承しながら、モチーフのくまない観察と自身のイメージの投影によって明瞭かつ精緻な画風をとるのが櫻谷の特徴です。究めた写生能力は動物、自然、人物等ジャンルを問わず発揮され、現在も多くの日本画ファンを魅了しております。

三尾 呉石

三尾呉石は、明治期から昭和期にかけて活躍した日本画家です。

1885年の東京・日本橋に生まれ、幼少の頃から熱心に絵を描いていたといいます。
15歳の時に日本美術協会に出品した作品が認められ、その縁から動物画の巨匠・大橋翠石に師事することとなります。翠石のもとで四条派を基礎から学び、大胆な描画力を身に着けていきました。師を翠石としたこともあり、特に虎画において一線を画す描画をみせ、「虎の呉石」と称されるようになりました。

インド、アラビア地方の虎を訪ねて写生旅行を行うなど、呉石の虎に対するこだわりは翠石にも引けを取らないものでした。写実性を何より重視し、細部まで綿密に描写された虎の姿は実体を持つかのような迫力と気高さを感じさせます。

呉石は優れた虎画で院展や文展などにおいて多く入選を重ねました。現在においても独自性の強い呉石の作品は視線を集め、多くの日本画ファンの間で愛されております。

表千家十四代 而妙斎

千宗左而妙斎は、茶道表千家十四代家元です。

表千家とは、千利休を祖とする茶道流派の一つです。裏千家・武者小路千家と共に茶道三千家とも呼ばれる、茶道では大変有名な流派となります。

而妙斎(幼名:岑一郎)は1938年、そんな表千家の十三代家元・即中斎の長男として生まれます。
1967年に大徳寺の方谷浩明老師から「而妙斎」の斎号を与えられて、宗員となりました。1980年の先代・即中斎の逝去に伴って、翌年1981年に表千家家元十四代宗左を襲名します。1990年の利休400年忌を迎えるにあたっては而妙斎が亭主となり、三千家合同でお茶会が行われました。

2000年には芸術文化分野において優れた業績を残した者に与えられる紫綬褒章を受章します。

その後2018年に長男・猶有斎に家督を譲り、自身は隠居します。昭和から平成にかけて表千家を発展させた方として、広く名が知られております。美術品だと、茶道具の書付などで見かける場面が多いかもしれません。

中村 大三郎

中村大三郎は、京都府出身の日本画家です。 1898年に生まれ、美人画を中心に多くの作品を残されております。 1918年の第12回文展で初入選した後、翌年の第一回帝展で入選し、さらに第二回・第四回帝展では特選に選ばれるなど …

松林桂月

松林桂月は南画を代表する人物として知られています。 桂月は山口県出身で、上京後に野口幽谷に師事しました。幽谷に師事する前から独学で絵を描いていたようですが、師事のあとから名前が広まりました。日本美術協会展や文展で数多く賞 …

榊原 紫峰

榊原紫峰は、京都市出身の日本画家です。 1887年に生まれ、明治~昭和期にかけて活躍されました。 1904年に京都市立美術工芸学校の日本画科を卒業した後、京都市立絵画専門学校でも学び、日本画家としての基盤を築きました。 …

呉 清源

呉清源は、昭和期に日本で活躍したプロの囲碁棋士です。その活躍から「昭和の棋聖」とも呼ばれております。 生まれは1914年の中国福建省、その後は北京で過ごし、幼少の頃より父から囲碁を教わっていました。非凡な実力はこの頃から …

竹山 博

竹山博は、東京出身の日本画家です。 1923年に生まれ、これまでに多くの作品を残されております。 1940年、東京美術学校(現:東京藝術大学)の日本画科予科に入学します。日本は当時太平洋戦争のただ中であり、竹山は43年の …

江月 宗玩

江月宗玩(こうげつ そうがん)は、安土桃山時代から江戸時代前期に生きた臨済宗の僧です。 1574年、堺の豪商であった津田宗及の子として生まれます。津田宗及は織田信長や豊臣秀吉に仕えた茶人であり、天王寺屋とともに名の知られ …

吉井 英二

吉井英二は、1930年の生まれの高知県出身の日本画家です。 戦前から活動し、二科会で多くの評価を得た方です。 1950年に第40回二科展初入選し、1970年の第55回二科展では特選に選ばれております。1972年二科会絵画 …

三輪 晁勢

三輪晁勢は、新潟県出身の日本画家です。 1901年に生まれ、昭和期に多くの優れた作品を残されました。 父の影響から、晁勢は小学校を卒業した後より絵を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校を卒業したあと、京都市立絵画 …

森 一鳳

森一鳳は、江戸時代後期に活躍した絵師です。 写生的な画風が人気を呼び、多くの作品が今でも親しまれております。 森狙仙、森徹山に続く森派の絵師であり、同時に弟弟子の森寛斎とともに森派最後の絵師として語られております。 播磨 …

渡辺 小崋

渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。 小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿 …

立石 春美

立石春美は、1908年に佐賀県生まれの画家です。 1927年に上京し洋画家の梶原貫五の紹介により鏑木清方に入門を願うがかなわず、1928年に深水画塾に入り、伊東深水に師事、洋画から路線を変更して日本画を学びます。 師であ …

高橋新三郎

新三郎は、1955年に東京で生まれました。 1979年に第34回春の院展初出品入選、以降様々な賞を受賞します。 1983年に東京芸術大学大学院修了、在学中に平山郁夫教室で学び、その後は院展への出品以外にも、個展やグループ …

許麟盧

許麟盧は、中国の絵画・書画作家です。 1916年に中国は山東省蓬莱市で生まれ、幼いころから絵画や書画に触れて成長していきました。1939年からは書家・絵画家の溥心畲に師事し、技術と心得を学びました。溥心畲は朱子学をはじめ …

頼 山陽

頼 山陽は、江戸時代後期の日本を代表する歴史家であり、漢詩人、漢学者です。 1780年大阪江戸堀で広島出身の儒家であった頼春水(しゅんすい)の長男として生まれます。 翌年、1781年には広島藩藩儒に就任した頼山春水ととも …

王 錫良

王錫良は、中国の美術工芸作家です。 1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。 1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者た …

梶田 半古

梶田半古は、明治から大正にかけての日本画家です。 門弟には小林古径や前田青邨、奥村土牛らがおり、近代日本画界を語る上では重要な立ち位置にいる人物です。 東京出身で、家は代々幕府の鷹狩でしたが、父は彫金を業としていました。 …

藩 天寿

潘天寿は中国・浙江省寧波市に生まれた画家・美術教育家です。幼少期から書道、絵画、切手彫刻などに興味を持ちます。特に書道と絵画に熱中し生涯をささげる決意をしたほどでした。 学政時代は成績も優秀で、卒業後は教師として小学生を …