三輪 晁勢

三輪晁勢は、新潟県出身の日本画家です。

1901年に生まれ、昭和期に多くの優れた作品を残されました。

父の影響から、晁勢は小学校を卒業した後より絵を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校を卒業したあと、京都市立絵画専門学校に入学します。そこで同校に在学していた堂本印象に師事することとなり、以降印象との関係は長く続くこととなります。

同校卒業後は帝展で初入選、また特選を二度受賞するなど大きな躍進を遂げます。師・印象が画塾「東丘社」を結成すると、そこでは塾頭として中心的な存在となりました。
戦後は日展を中心に活動し、のちに日展評議員となった他、師・印象の没後は東丘社の主宰となるなど日本画壇で位置を占めるようになりました。

広い画題を扱い、鮮やかな色彩を用いた画風が特徴となります。色彩から迫力を感じさせるような風景画を描く一方、華やかな色味ながらどこか落ち着きのある花鳥画が特に印象的で、風景と花鳥は晁勢の画題の中でも人気のあるものとなります。

森 一鳳

森一鳳は、江戸時代後期に活躍した絵師です。

写生的な画風が人気を呼び、多くの作品が今でも親しまれております。

森狙仙、森徹山に続く森派の絵師であり、同時に弟弟子の森寛斎とともに森派最後の絵師として語られております。
播磨国吉田村(現・兵庫県)を出世の地とし、丸山応挙や森徹山に学びました。24歳の時に徹山の養子となって森派を継承し、代々森派が仕えてきた熊本藩細川家のお抱え絵師となります。

一鳳は写生を基本とした画風で、季節感のある描写を得意としました。一流の絵師としての人気を確立していた一鳳ですが、その地位を確固たるものにしたのは「藻刈舟」を題材にした作品です。
藻刈舟とは、舟運の妨げとなる藻を刈る舟のことです。当時の大阪の商家では「藻を刈る」=「儲かる」として藻刈舟絵が縁起物的な人気を博していました。その中で一鳳の描く藻刈舟絵は「藻を刈る 一鳳」=「儲かる 一方」となることから、大変縁起が良いと評判になりました。

大阪の商人たちがこぞって求めた森一鳳の作品は、単なる洒落気のみではない魅力がございます。機会があればじっくりとご覧になってみてください。

渡辺 小崋

渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。

小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿山(つばき ちんざん)の弟子となり、絵画を学びました。

1854年に椿山が亡くなると、小崋は画家として独立します。
1864年には田原藩家老に任命されます。当時の田原藩主や筆頭家老は、かつて崋山に後押しされてその役職に就いた経緯を持ち、崋山の次男である小崋は自然、重んじられることとなりました。
小崋は戊辰戦争において重臣として大きく仕事を果たし、
明治に入ると藩政の実務を執ることになりました。廃藩置県の後の1874年、小崋は豊橋に移り住みます。以後は、画家一本で生活してゆくこととなります。

作風としては師・椿山譲りの花鳥画を得意としておりました。繊細かつ伸びやかな花の描写で人気を得る一方、水墨山水画や人物画などでも高い技量を発揮し、渡辺崋山の次男として申し分ない才能を見せました。山下青厓や大橋翠石など、多くの門人を育成したことでも有名です。

立石 春美

立石春美は、1908年に佐賀県生まれの画家です。

1927年に上京し洋画家の梶原貫五の紹介により鏑木清方に入門を願うがかなわず、1928年に深水画塾に入り、伊東深水に師事、洋画から路線を変更して日本画を学びます。
師である伊東深水と同じく、美人画を描いた立石はその腕前は他の門下生を驚かせたことから、才能に溢れた人物であったと思われます。

そして作品としては美人画が高い評価を得ています。1931年の『淑女』での帝展入選し以後帝展、新文展に出品し、戦後は日展を中心に制作発表を行い、同21年の第1回日展に『年寄』で特選を受け、同26年の第7回日展では『山荘の朝』で特選、朝倉賞を受賞しました。この事から昭和から平成初期にかけて美人画を描き活躍し上品、静謐、清澄と称えられ数多くの賞を受賞しました。

また故郷である佐賀や福岡の伝統文化にも深い関心を持っておりました。
地元の着物をきた美人画や陶磁器の職人を描くなど多くの作品を残していらっしゃいます。美人画や人物を描き続け今なお世界的に人気の作家です。

高橋新三郎

新三郎は、1955年に東京で生まれました。
1979年に第34回春の院展初出品入選、以降様々な賞を受賞します。
1983年に東京芸術大学大学院修了、在学中に平山郁夫教室で学び、その後は院展への出品以外にも、個展やグループ展でも作品を発表したりと、多岐にわたって活動を行っています。
師の平山郁夫画伯ゆずりの確かなデッサン力に加え、優しい色彩で描かれいる作品は定評です。

こちらの作品は牡丹の目引く存在感とともに映る長谷寺の柔らかい背景がとても魅力的なお品物です。
また絵の輪郭がないので平山郁夫と同じような幻想的な世界をイメージさせる作品です。

 

許麟盧

許麟盧は、中国の絵画・書画作家です。

1916年に中国は山東省蓬莱市で生まれ、幼いころから絵画や書画に触れて成長していきました。1939年からは書家・絵画家の溥心畲に師事し、技術と心得を学びました。溥心畲は朱子学をはじめとしたさまざまな学派や古典に精通しており、許麟盧の創作の礎となる教養は彼から学びえたと考えられます。

1945年頃からは当時すでに評価を得ていた斉白石に師事し、13年間の同行の中で絵画の真髄を学び取りました。

許麟盧は花鳥画を得意としました。力強く、それでいて繊細な筆遣いは花鳥の生命力をありありと描き出し、凛とした迫力を感じさせます。生前は北京花鳥画研究会の会長職も務めていましたように、中国花鳥画において大きな位置を占めていた作家であったと分かります。

現在でも評価は高く国内外問わず希少な作品を多数残しております。

緑和堂では、中国人作家・花鳥画の名人である許麟盧の作品を取り扱っております。

頼 山陽

頼 山陽は、江戸時代後期の日本を代表する歴史家であり、漢詩人、漢学者です。 1780年大阪江戸堀で広島出身の儒家であった頼春水(しゅんすい)の長男として生まれます。 翌年、1781年には広島藩藩儒に就任した頼山春水ととも …

王 錫良

王錫良は、中国の美術工芸作家です。 1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。 1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者た …

梶田 半古

梶田半古は、明治から大正にかけての日本画家です。 門弟には小林古径や前田青邨、奥村土牛らがおり、近代日本画界を語る上では重要な立ち位置にいる人物です。 東京出身で、家は代々幕府の鷹狩でしたが、父は彫金を業としていました。 …

藩 天寿

潘天寿は中国・浙江省寧波市に生まれた画家・美術教育家です。幼少期から書道、絵画、切手彫刻などに興味を持ちます。特に書道と絵画に熱中し生涯をささげる決意をしたほどでした。 学政時代は成績も優秀で、卒業後は教師として小学生を …

高橋 草坪

高橋草坪は日本の文人画家です。 文化元年頃に現在の大分県杵築市の商家・槇屋(高橋氏)休平の次男として生まれました。 本名は雨、字は草坪、元吉、通称は富三郎と言い、草坪はその号で、他に草坪寒民、草坪間人、草坪逸人などと号し …

黒田 悦子

黒田悦子は日本の画家です。 1942年、宮城県・石巻市に生まれました。 1962年に女子美術大学付属中等科入学し、1968年大調和展新人賞を受賞。 1971年女子美術大学専攻科を修了、その後シェル賞展で佳作を受賞など入選 …

大綱 宗彦

大綱宗彦は江戸時代後期の臨済宗の僧侶です。 安永元年京都に生まれ、6歳の時に大徳寺黄梅院、融谷宗通の下で得度を受け臨済宗大徳寺派の僧侶となりました。 臨済宗は仏の道を説くとともに茶の湯や書画をたしなむことを奨励した宗派で …

竹田 益州

 竹田 益州は昭和を代表する臨済宗の僧侶です。法諱は宗進、道号は益川、室号は金剛窟です。   1896年大分で生まれ、尋常小学校3年の時近くの施恩寺という禅寺に5、6日滞在したことが縁となり、1906年に滋賀県大津市堅田 …

岡田 米山人

岡田 米山人は江戸時代中期~後期の南画家です。 岡田半江はその子にあたります。 通称を岡田彦兵衛、あるいは米屋彦兵衛と称し一説には彦吉とも称しました。名を国、字は士彦、通称は彦兵衛、米山人は画号です。 若いころには播磨神 …

野呂介石

野呂介石は江戸時代後期に活躍した日本の文人画家です。 主に花鳥水墨画を得意とし、詩文にも定評がありました。 紀州藩に仕えており、祇園南海や桑山玉洲と共に紀州三大南画家と呼ばれています。また当時は長町竹石、僧愛石らと共に「 …

藤村 庸軒

藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。 庸軒は表千家久田流 …

後藤瑞巌

後藤瑞巌は明治から昭和にかけての臨済宗の僧です。 岐阜県安八群南にて父・後藤吉左衛門、母・なおの五男として生まれ、小、中、高、大学と進学し、東京帝国大学在学中に鎌倉円覚寺にて参禅し得度(出家)します。 大学卒業後は渡米、 …

石川 丈山

石川丈山は安土桃山時代から江戸初期にかけての武将、文人です。江戸初期において漢詩の代表的な人物です。漢詩以外にも儒学、茶道、書道の他に庭園の設計にまで精通しており、『煎茶家系譜』の初代に丈山の名があることから煎茶の祖とも …

本阿弥 光悦

1558年~1637年 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期に活躍した、書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人等多岐にわたり活躍した方になります。生まれは、刀剣の鑑定を家業にする家元の長男として誕生し刀剣も触れ …

王 一亭(王震)

王一亭は書画家であり、実業家であり、政治家でもある稀有な経歴を持つ作家です。どの分野でも非凡な才能を発揮した著名人です。 王一亭には様々な名があり作品によって使い分けていました。本名は「震」という名ですが、作品名には「白 …

与謝 蕪村

与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。 与謝蕪村は摂津国(現大阪府)で生まれ、20代の頃に江戸に下り俳諧を学びます。27の頃に俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、 …