奥西賀男は、岐阜県岐阜市出身の油彩画家です。
1945年に生まれ、現在まで多くの作品を残されています。
東京藝術大学の出身であり、油画科の小磯良平教室で学んでおりました。卒業後、しばらくしてフランスに渡り、パリ国立美術大学に入学します。そこではピエール・マッティーに師事し、翌年にはサロン・ドートンヌで入選を果たします。以後は積極的に個展を開催するなど、画家として確実に階段を踏みしめてきました。1992年からは毎年現美展に出品するなど、平成以後も活躍をとどめない作家さんです。
奥西のエッセンスがよく感じ取れるのが、季節を映した風景画や花の静物画ではないでしょうか。特に花瓶に生けられた花の作品は、奥西の魅力が最も現れる題材でしょう。柔らかな色彩を扱い、一方ではっきりと繊細に描画が行われます。モチーフとなる題材だけでなく、背景の小道具まで静謐に描き切ることで作品に深みが感じられます。
奥西の作品は、現在においても多くのコレクターを魅了しております。
中村大三郎は、京都府出身の日本画家です。
1898年に生まれ、美人画を中心に多くの作品を残されております。
1918年の第12回文展で初入選した後、翌年の第一回帝展で入選し、さらに第二回・第四回帝展では特選に選ばれるなど早くから才覚を現しました。
1922年には大阪高島屋で初の個展を開催します。またこの年、堂本印象や福田平八郎らとともに「九名会」に参加し、気鋭の作家としての地盤が固まっていきました。その後も積極的に個展などを開催しながら、多くの作品を制作・出品しました。
代表作として挙げられるのは、1926年の『ピアノ』です。こちらは大三郎の妻がモデルとなった作品であり、着物姿の女性が大きな洋風ピアノを弾く大胆な構図が目を引きます。この作品のように人物とモノ、洋と和を日本画のテイストで融和させた作風が大三郎の特徴であり、今なお持つ根強い人気に繋がっております。
松山智一は1976年岐阜県出身の現代美術家です。
上智大学卒業後、アメリカに渡り、NY Pratt Instituteを首席で卒業しました。2012~2017年にSchool of Visuai Art(SVA)の非常勤教授となり、2020年には新宿アートスペースの監修をしています。
世界中で展覧会を開催しており、その収蔵作品はロサンゼルス・カウンティ美術館や宝龍美術館、ドバイ首長国の王室コレクションなど各地にあります。
作風は、両極の要素を含むもので「古代と現代」「東洋と西洋」「具象と抽象」などが挙げられます。
織田広比古は、東京都出身の洋画家です。
1953年、仁科会理事長を務めた織田廣喜の子として生まれ、画家一家の中で育ちました。東京造形大学卒業後、銀座能楽堂の画廊で三人展が開かれ、画家として活動しました。その後も銀座を中心に東京で個展を開いていき数々の賞も受賞していきました。
1988年、仁科展でパリ賞を受賞し、1990年に仁科展の会友、1996年には仁科展会員となります。この一連の活動の中で知名度も大きく広まり、札幌・名古屋・福岡・横浜など日本中で個展を開きました。
2009年にパリで若くして逝去しました。
作風は夕焼けや日没を背景にしており、メランコリーな色調が特徴です。幻想的な雰囲気の中で楽器を演奏する女性のモチーフが多く、明るい印象を受ける作家です。
松林桂月は南画を代表する人物として知られています。
桂月は山口県出身で、上京後に野口幽谷に師事しました。幽谷に師事する前から独学で絵を描いていたようですが、師事のあとから名前が広まりました。日本美術協会展や文展で数多く賞を受賞しました。その後、日本南宗画院の設立や日本美術院展の審査員など、日本画の発展に大きく貢献しました。その活躍もあり、1944年帝室技芸員に任命されています。太平洋戦争終戦の半年後に行われた日展の審査主任となり見事に成功させ、その後も美術界に尽くしていきます。しかし、1953年病に倒れこの世を去ります。この時、新聞各社は「最後の南画家」と報じました。
その作風は、漢詩の教養を活かして描く「詩書画三絶」を目指し、細かな筆致と墨線のリズミカルさによる独特な世界観であると言えます。
樋口洋は日本の画家で日本の美術家団体、示現会の理事長を務め、日本美術展覧会(日展)においては審査員や評議員に就き、日展内閣総理大臣賞も受賞した人物です。
1942年に神奈川県に生まれ、若い頃から画家を志し制作活動に励みました。1967年の示現会展で入選したことをきっかけに示現会創立者の一人でもある楢原健三に師事し絵の腕を磨きました。
1975年には日展で入選、1987~93年には特選と着実に画家としての腕や知名度を上げていきました。また、その後審査員を務めるなど大きな存在感を示し、評議員や理事にも就いており、画壇においてなくてはならない存在となりました。
2016年の改組新第3回日展では重病を患い車椅子での生活を強いられていましたが、審査主任に就き審査するなど次世代の画家への思いも強いものでした。
画風は油彩による風景画を得意としており、日本アルプスの雄大な景色や北海道の雪景などを多く描いたことで”雪の画家”と称され人気が高いです。