鈴木英人

鈴木英人は、福岡県出身のイラストレーターです。

1980年頃にイラストレーターとしての活動を始め、ラジオ雑誌や企業の広告カタログの表紙、英語教科書やミュージックアルバムの表紙など様々なイラストを手掛けていきました。

鈴木さんはリーニュクレール様式という技法を使い、色の境目を実践で表示し、コントラストをはっきりさせる作品作りを特徴としています。
この技法は「タンタンの冒険」で有名なベルギー漫画家のエルジェによって作成され、ポップで明るい印象の作風が瞬く間に全世界で人気を博しました。

鈴木さんの作品も同様にポップな印象となっています。
初期の作品ではアメリカの西海岸をモデルとした作品が多くあります。
また、アメ車と呼ばれる古き良きアメリカの車を描いた作品も多くあります。
鈴木さんは80年代に主に活動していたため、漫画家のわたせせいぞうやイラストレーターの永井博と同じく80年代を代表する方として広く知られています。

現代から見る鈴木さんの作品は、80年代からある作風でありながら現在ではそれが新鮮味に感じ、改めて再注目されております。
芸術作品は常に新たな方向へ進化していきますが、以前からある作品や技法も再度見直され、そして人気が出てくる場合もありますので、鈴木英人さんは今後期待が高まる方になるでしょう。

中西 繁

中西繁は、東京都神田で生まれた洋画家です。
東京理科大学工学部建築学科を卒業した後、建築家となり数々の設計を手掛けました。建築家として働く一方画家としても活動し、建築家と画家の二足の草鞋を履いて活動していました。

1990年までは日展や現代洋画精鋭選抜展などに出品し、入選するなど結果を残してきました。1990年に現代洋画精鋭選抜展にて金賞を受賞。以降は毎年個展を開催するなど、画壇デビューから画家としての活動に力を注ぎました。毎年開く個展の為ヨーロッパ各地を巡り風景画を描いてまわりました。2000年には建築家の職を辞め、画家一本で活動していくことを決めました。

2004年にはフランスのパリに留学し、フランス国立美術学校で学びました。パリを拠点として制作活動に力を入れる傍ら、オランダやベルギー、アメリカなども旅し各地の風景画を描きました。

そんな中西繁の描く美しい風景画は、ヨーロッパ各地を自身で見て回り、自身が美しいと思った景色を一枚の絵に収めているので、中西繁が感動した思いが込められているように感じます。
想いが込められている作品と言えば、「廃墟」や「棄てられた街」という作品を紹介しないわけにはいきません。これらの作品は1995年阪神淡路大震災をきっかけに描き始め、人類の正と負をテーマに、平和と社会主義を強く訴えている作品になります。

世界には美しい景色もあり、人類が起こした過ちによって変わってしまった風景もある。その正と負両方の側面を中西繁は描き、作品を見たものに知ってもらう考えてもらう、それが大切であると訴えています。
中西繁の描く作品は落ち着きと悲しさを含んだ作品が多いですが、そのどれもが美しく多くのファンが魅了されています。

疋田 正章

疋田正章は1978年生まれ京都出身の洋画家です。大学は立命館大学の理工学部ロボティクス学科に入り卒業。卒業後は立命館大学大学院に進みますが、2004年に中退。絵描きとしての才能だけでなく、理系分野の高い頭脳を持っている洋画家です。

疋田正章が描く作品は、自身が美しいと思ったもの、心惹かれた物を描いています。主なモチーフとなる物は猫と女性の人物画です。風景画を描くこともありますが基本的には猫と女性画が大半を占めています。
作品の形態は、自己のフィルターを通して美しいと思ったものをそのまま描いているので写実的な写実絵画になります。

モチーフに選んでいる事からも伝わるとは思いますが、猫好きな作家でHPなどのプロフィール写真のほとんどが猫と一緒に写った写真を使用しています。画家としては珍しくどこの会にも所属していない無所属の作家で、TwitterやYouTubeなどで絵の公開や、書き始めから完成までの製作動画などを上げています。
2011年には和歌山県からの依頼で、猫ブームの火付け役ともいわれる猫の駅長「たま」の肖像画の作成するなど、猫関連で認知度が高くなった作家です。

関東圏を中心に百貨店や画廊にて作品を展示しています。他な作家との合同展示も行いますが、疋田正章のみの個展も何度か開催しています。そんな展示会には多くの猫好きが集まり、猫愛好家と絵画のファン両方からの人気が高い作家となっています。
もちろん猫以外の作品においても、疋田正章が感じる美しさを、余すことなく伝えている技術が確かにあり、一目見てビビっとくるそんな作品を作り上げています。

林 功

林 功(はやし いさお)は1946年の千葉県茂原市にて生まれました。

千葉県の高等学校在学中に、当時美術教師だった洋画家の山本文彦に感化されて絵の勉強を始めます。その結果千葉県の美術展で県美術会賞及び市長賞を受賞しました。その後は東京芸術大学日本画科に進学し、1969年の卒業後に院展に初入選しました。東京芸術大学大学院保存修復技術研究室で指導を受け、1971年に日本美術院院友となりました。
1972年には新人画家の登竜門とされるシェル美術賞展にて一等賞を獲得し、その後も多くの賞や活動によって注目を集めました。戦後世代である日本画家による「横の会」に1984年結成から1993年の解散まで参加しました。

1990年に愛知県立芸術大学美術学部講師として、1994年からは同学部の助教授を務めました。1996年頃に「横の会」メンバーだった数名とのグループを結成し、大作へ試みていました。製作活動以外として文化財修復模写事業に参加し、科学的調査として古画模写の第一人者として活動してきました。活動にて多くの国宝及び重要文化財の模写事業を手がけて原画との同技法・同素材にこだわり、修復現場には影響を与え続けました。

2000年中国の章懐太子墓の復元作業に参加している最中、郊外での交通事故によって死去しました。

 

松本 零士

松本零士は、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など多くの作品が年代問わず認知されている漫画家となります。松本さんといえばSF作家として知られていますが、様々なジャンルの漫画を描かれてきました。誰もが知る大作家となられた松本零士は惜しくも2023年2月に逝去されましたが、その功績は後世に長く語り継がれることでしょう。

1938年、福岡県久留米市に誕生。
6歳の頃から絵を描き始め、小学生の頃に漫画家を志ざした理由して手塚治虫の漫画との出会いがきっかけとなっているそうです。幼少期疎開先での、戦闘機や空襲に向かう軍用機を目撃した経験が作品に影響しているとのことです。
高等学校1年生の時、投稿作が受賞掲載されデビューを果たし、これまで数多くの人気作を生み出されてきました。1970年代から1980年代では松本アニメブームを巻き起こす程人気があり、日本の漫画賞のみではなく2012年にはフランスの芸術文化勲章シュヴァリエ賞も受賞されています。

『片道でもいいから宇宙に行かせてくれ』と言葉があるほど宇宙への憧れが強く、SF作品では想像での世界感が広がっていることが感じられます。

晩年は東京都内で過ごされ、過去には住民票や原動機付き自転車のナンバープレートに漫画のキャラクターが採用されました。漫画家としての活動以外にも、博物館の名誉館長や大学の教授などなされている他分野でもご活躍なされた方です。

木下 孝則

木下孝則は、東京都出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。

絵に興味を持ったきっかけは、母方の祖父でもあり西洋美術史家でもある小島喜久雄の影響でした。木下は勉学に秀でており、大学は京都大学法学部に入学します。さらには京大在学中に東京大学にも入学するという、大変なエリート学生でした。しかし、画家になりたいという夢を追いかけるため二つの大学を退学し、仲間と共に油絵を描く道に進みました。

その後は仁科会に出展し賞をもらったり、一歩ずつ画家としての道を歩んでいきました。
その歩みの中でフランスにも留学し、技術の研鑽を行いました。絵画に対する高いバイタリティを持った木下は、多くの美術会の会員になります。さらには仲間たちと新しい協会「一九三〇年協会」を立ち上げたりもしました。

木下孝則は、婦人画を多く描く穏健な写実派の作家として知られています。婦人像のモデルは若い都会的な女性が多く、作風は、わかりやすい色調を自身の優れた描写力で描く木下孝則独自の作風と言えます。戦後から書き始めたバレリーナの絵が高く評価され、注目を集めました。
婦人画以外ではバラの絵を描くことも知られており、明快な色調と優れた描写力を活かした作風で人気となっています。

金子 國義

金子國義は埼玉県出身の油彩画家です。 織物業を営む家庭の四男として生まれました。家庭は比較的裕福で、幼少期から図画工作に優れ、バレエも習っていました。少年時代からその才能が光る存在でした。   中学・高校を卒業 …

水森 亜土

水森亜土は、イラストレーター、歌手、女優、画家、作家など多くのジャンルで活躍しており、ご存じの方も多いかと思います。水森亜土の名を多くの人が知るようになったのは、NHKの教育番組にレギュラー出演してからではないでしょうか …

高光 一也

高光一也は、石川県金沢市生まれの洋画家です。 戦後日本の洋画壇を代表する画家の一人として活躍しました。また金沢美術工芸大学教授、石川県美術文化協会理事長・顧問、石川県美術文化振興協議会委員などを歴任され、石川県の美術教育 …

野呂介石

野呂介石は江戸時代後期に活躍した日本の文人画家です。 主に花鳥水墨画を得意とし、詩文にも定評がありました。 紀州藩に仕えており、祇園南海や桑山玉洲と共に紀州三大南画家と呼ばれています。また当時は長町竹石、僧愛石らと共に「 …

松任谷 國子

松任谷國子さんは、本業を画家としながらも、1960年代にタレントとしてデビューし名が知られるようになりました。タレント業の傍ら展覧会に出品し仁科会などでの受賞歴を残します。1966年にはローマに留学ヨーロッパを中心に展示 …

藤田 吉香

藤田 吉香は日本の洋画家です。清らかな色彩に加え、非常に描写力の高い静物画が特徴的でございます。 藤田 吉香は福岡県久留米市櫛原町にに生まれます。九州大学工学部を卒業後、多くの画家を輩出した松田塾にて松田実から洋画の指導 …

村田 省蔵

村田 省蔵は、1929年石川県金沢市の生糸問屋の5男として生まれました。1944年に滋賀航空隊に入隊するが、1945年に終戦を向かえ中学に復学するという経歴を持っています。 復学後に第1回現代美術展にて宮本三郎の作品に惹 …

生田 宏司

生田宏司は日本を代表するメゾチント技法による銅版画家の一人です。 多摩美術大学の絵画科日本画専攻で学び、上野泰明、加山又造、堀文子などに師事しました。 日本画を専攻しながらも版画を独学で学び、アメリカやブラジル、フランス …

浮田 克躬

浮田 克躬(うきた かつみ) 東京都出身の画家になります。小学時代は、集団生活になじめず不登校となり、専ら好きな絵を書いていたそうです。 もともと、絵は好きでしたが1934年に第1回聖戦美術展をみて本格的に画家を志します …

レスリー・セイヤー

カリフォルニア在住の女流画家です。 1947年、アメリカのアリゾナ州フェニックスにて生まれました。 レスリー・セイヤーの作品は、色鮮やかで明るい花々をモチーフに描かれています。抽象画の柔らかいフォルムが色彩豊かな花とマッ …

中村 清治

中村清治は、神奈川県横浜市生まれの洋画家です。 東京芸術大学油画科にて伊東廉の教室に所属し、卒業制作で学内賞の安宅賞を受賞しております。卒業後はグループ展「大地」を結成。 自身初の個展は東京銀座で31歳の頃に開催。その後 …

北川 民次

北川民次は日本の洋画家であり、児童美術の教育者としても活動した人物です。 北川民次は1894年、静岡県に生まれます。 地主でもある北川家は製茶業を営んでおり、アメリカへの日本茶輸出も手掛けていました。小学校卒業と共に静岡 …

丹野 忍

丹野忍は茨城県出身のイラストレーターです。 1997年立命館大学文学部を卒業、イラスト技術を独学で習得、ファミ通文庫編集部に持ち込みに行ったことをきっかけにイラストレーターとして仕事を行うようになりました。 以降、小説の …

クリフトン・カーフ

クリフトン・カーフ

クリフトン・カーフはアメリカの版画家です。 家族全員が筆を執る画家一家に生まれ、カーフも幼少のころから絵に興味を持っていました。18歳の時に軍人画家として長崎の佐世保に訪れた際に、アメリカとは違う日本の文化・風習・風景に …

マン・レイ

マン・レイは20世紀のアメリカ出身の画家、写真家です。 絵画や写真だけでなく、彫刻や映画製作など芸術に関して多彩な才能を持つ方でもありました。 マン・レイの作品の評価は彼の生きた時代を含めあまり高くありません。 芸術家た …