渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。
小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿山(つばき ちんざん)の弟子となり、絵画を学びました。
1854年に椿山が亡くなると、小崋は画家として独立します。
1864年には田原藩家老に任命されます。当時の田原藩主や筆頭家老は、かつて崋山に後押しされてその役職に就いた経緯を持ち、崋山の次男である小崋は自然、重んじられることとなりました。
小崋は戊辰戦争において重臣として大きく仕事を果たし、明治に入ると藩政の実務を執ることになりました。廃藩置県の後の1874年、小崋は豊橋に移り住みます。以後は、画家一本で生活してゆくこととなります。
作風としては師・椿山譲りの花鳥画を得意としておりました。繊細かつ伸びやかな花の描写で人気を得る一方、水墨山水画や人物画などでも高い技量を発揮し、渡辺崋山の次男として申し分ない才能を見せました。山下青厓や大橋翠石など、多くの門人を育成したことでも有名です。
水木しげるは、日本の国民的漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として、また妖怪研究家として国内外問わず広く知られています。
鳥取県境港市の水木しげるロードや、東京都調布市の鬼太郎茶屋、商店街に並ぶ妖怪オブジェをご存じの方も多いのではないでしょうか。
水木は1922年大阪市住吉区に生まれ、鳥取県境港市で育ちました。
幼少期に、家に出入りしていたまかない婦「のんのんばあ」が語り聞かせた妖怪の話に興味を持ち、強い影響を受けたと言われています。小学校では勉強よりも体育や図画が得意で、図画に関しては早くからその才能を発揮していたようです。
しかしその後21歳で召集され大日本帝国陸軍として戦争を経験しました。戦時下で爆撃により左腕を失うも、残った右手を治療し絵を描き続けたそうです。
帰国後は紙芝居作家、貸本漫画家としてデビューしたのち「悪魔くん」を出版し、「テレビくん」が第4回講談社児童漫画賞を受賞。1968年に「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放送が開始し、漫画だけでなくテレビや映画の世界にも妖怪ブームが訪れ、人気作家としてその名を世に知らしめました。
のち1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受賞し、2010年には文化功労者となりました。
2023年11月には「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」という映画が全国公開されました。2015年に彼がこの世を去ってからも変わらず多くのファンに愛されていることがうかがえます。
ロバート・ワイランドは国際的に有名な海洋生物アーティストです。画家、彫刻、作家、写真家、慈善家、映画製作者としても活躍している経歴を持っています。
海洋生物アーティスト(マリンアーティスト)といえば日本だとラッセンが人気ですが、世界的にはラッセンと並ぶほどの人気があり、マリンアーティストの第一人者とも呼ばれています。
ワイランドは、19歳の時に世界中の100カ所に壁画を描くという壮大な挑戦を始めました。1981年から始め、30年近い年月をかけて100枚を超えるマリンアートの壁画を完成させ、プロジェクトを達成しました。このプロジェクトは「ホエーリング ウォールズ」という名がつき、史上最大の公共芸術プロジェクトの 1 つとなっています。この世界的プロジェクトで描かれた作品は、年間で推定10 億人が鑑賞し続けています。
その他にもカリフォルニア州ロングビーチのコンベンションセンターに描いた巨大な海洋壁画は、3エーカー(12140㎡)以上の大きさでギネス世界記録に登録されるなど、多くの活動を行っています。
ワイランドのこれらの活動は全て自然保護の為の行動で、環境問題への関心を高めるための活動として取り組んでいます。美術や芸術を通して地球の大切さなどを訴え続けています。
井田幸昌は1990年、鳥取県生まれの現代美術作家です。
彫刻家である父、井田勝己のもと幼い頃より芸術に触れながら育ち、2016年に東京藝術大学 美術学部絵画科を油画専攻で卒業、2019年には同学大学院美術研究科修士課程を油画専攻で修了しました。在学時から作品を発表し続け、個展やグループ展を数多く開催してきました。
2017年には株式会社IDA Studioを設立、決まったギャラリーには属さず海外での活動も精力的に行っています。そうした活動が評価され、2018年にはFobusJAPANが毎年選出している30 UNDER 30 JAPANの一人に選ばれました。
「一期一会」を製作におけるコンセプトとし、「現象そのものを作品に投影することで、過去から現在に至るまで、多くの“今”との出会いを心のフィルターを通して可視化することを目指す(IDA Studio公式HPより)」としています。
コンセプトの通り、表情や顔立ちをはっきりとは描かず、その瞬間を切り取った独特の画風・色彩が特徴的です。近年はブロンズや木彫りでの彫刻作成も行っており、確かな画力と表現力・世界観で、今最も注目の若手作家といえます。
ギィ・デサップは1938年にフランスで生まれました。
12歳でデッサン等に強く興味をもち、17歳でヴェルサイユ宮殿の一室を修繕した「アトリエダーバル」に入学しそこで美術学等を学びました。18歳から20歳までの2年間はモロッコで兵役に就きました。その後はフランスに行き、そこで作品を製作していきます。
旅好きで知られるデサップは様々な国や地域を旅してきました。その経験が絵にも活きているのです。ポルトガル、スペイン、イタリア、オーストリア、ドイツ、などの国を旅し、時には中古の救急車を購入し、その車で生活しながらヨーロッパ全土を回ったりもしました。1980年にはカンヌ国際絵画祭で大賞を受賞し、パリやヴェネツィア、日本など世界各国で個展を開きその作品は国際的に愛されてきました。
作品の特徴は、油彩とアクリル絵の具を一緒に使うことで作り出される光の加減であり、表現したいものを作る為なら石や砂なども用いて表現されます。街灯の灯や夕焼けなどの自然光まで見事に表現され、まるでその絵が実際に輝いているかのように見えます。また人や建物を一つ一つ細かく描いているのも特徴であり、作品たちからはデサップが旅の中で焼き付けた景観を追体験できるような魅力を感じ取れます。
小澤 摩純は絵本などの挿絵なども手掛けている東京出身の女流画家です。
1962年に東京で生まれ、1981年に女子美術大学芸術学部版画科に入学します。在学中の1984年期特の新人版画大賞展にて買い上げ賞、大学版画展にて買い上げ賞を受賞します。1985年女子美術大学芸術学部版画科を卒業し、画家として活動していきます。
ほるぶ出版社『クリスマス急行』、佼成出版社『魔女シャーホ』などの挿絵・『ゆめがとびだしたケーキ』『くいしんぼうがまってるぞ』といった絵本なども手掛け作家として認知されるようになりました。個展なども開き、自身の作る作品のこだわりや、作り出したい世界観を表現しています。
小澤 摩純は、絵本などを手掛けていることからわかるように、優しくて柔らかい絵柄が特徴です。色彩が豊かで多くの色を使用しますが、調和という言葉がぴったりはまる美しいタッチで描かれています。
銅版画やシルクスクリーンなども手掛けており、いろんなことにチャレンジしているのも彼女の特徴で、絵本風のタッチのまま描く掛け軸のような和風作品を作っていたりもします。
小澤 摩純の作品は、絵本の挿絵などに使われるほどの優しい作品なので、学校や子供部屋など、子供が関わる所に飾ると柔らかい雰囲気になり空間が和やかになるように思います。