落合 芳幾は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。
伝統的な浮世絵の様式を受け継ぎつつ、新たな主題や視点を積極的に取り入れた作品を数多く残しました。
1833年、江戸・日本堤にて引手茶屋(遊廓の客と店との仲介を担う茶屋)を営む家に生まれました。
一説には、遊郭に入る客へ顔隠し用の編笠を貸す茶屋の生まれとも伝えられています。
父親は「堅気の商売に就いてほしい」と願い、芳幾を質屋へ奉公に出しましたが、芳幾は絵師になる夢を諦められず、最終的に許しを得て歌川国芳に入門しました。
1854年、柳水亭種清作『箱根霊験躄仇討』の挿絵を手がけ、絵師としてデビューしました。しかし翌年の安政大地震で新婚の妻を亡くし、悲嘆の中、吉原の惨状を現地で写生し、三枚続きの錦絵として発表しました。
この作品が評判を呼んで多くの注文が舞い込むようになり、芳幾は人気絵師としての地位を確立します。
1861年には師である国芳が没し、一門の中で認められた者のみが描ける「死絵」を手掛けました。
その後は月岡芳年との競作をはじめ、「東京日日新聞」の発起や「平仮名絵入新聞」の創刊、挿絵や新聞錦絵など、多岐にわたる分野で活躍しました。
しかし、1890年に絵入新聞が終刊すると、新聞錦絵の需要も急速に衰退し、芳幾は次第に困窮しました。晩年には借金取りに追われ、一家は離散。あばら家での貧しい生活を送った末に72歳で亡くなりました。
代表作には『英名二十八衆句』『小栗一代記』などがあります。
Michael Leu(マイケル・ルー)は1950年に台湾で生まれたポップアート作家、イラストレーターです。
「ルーグラフ」と呼ばれる、コンピューターで描画・配色・製版を行う版画技法が有名です。
幼少期から「絵画の天才児」と呼ばれ、7歳で東京国際児童絵画コンクールで1位を獲得するなど早くから才能を発揮していました。1968年から1983年にかけて台湾の主要な新聞や雑誌、ユネスコ関連出版物など、重要な国際的出版物の挿絵画家としても活躍しました。
彼の作品のトレードマークは「猫」です。飼い猫の「ファジー」をモデルにした、自由気ままさや人の心に優しく寄り添う姿を描いた作品が知られており、独特な色使いと造形センスが特徴で豊かで多彩な色彩、タッチで描かれます。
観る人に明るい気持ちや癒しを与えてくれる彼の作品は、イメージを通して愛情、希望、勇気、平和などを力強く訴えかけています。
日本の洋画家として活動し、特に裸婦や異国風俗画を題材とした作品描いたことで知られています。
1925年兵庫県神戸市で生まれ、1949年の自由美術展出品を皮切りに、数々の作品を出品・受賞してきました。また、1952年に反戦平和美術協会を結成、1955年にはリアリズム美術集団を結成し、今現在作品の特徴的軸となる具象リアリズムの基盤を作っていきます。
1966年からは個展を開催し、1970年代は制作の為に欧州の取材旅行をするなど、多岐にわたる活躍を見せます。
生命賛歌に満ちた健康的な肉体美や、光導く美しい風景画を描く栄永氏の作品は、恍惚感に浸るほど魅力的で惹きつける力を持ち合わせています。
ゲーリー・ウェルティは、海や自然をテーマにした風景画を得意とする画家です。
1964年にアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、10歳で油絵を始めた彼は、学生時代から数々のコンテストで入賞を重ねます。
1982年に訪れたマウイ島に魅了され、その後、マウイ島に活動拠点を移しました。移住後すぐにいくつかのギャラリーと契約を結びますが、自然と戯れることに夢中になって絵を描かなくなってしまいました。
20代後半で故郷に戻って本格的に作品制作に没頭します。企業向けイラストレーションを中心に活動し、これをきっかけに自身の作品制作に自信が持てるようになりました。
そして再びマウイ島に移り、毎日絵を描くようになります。この時期は、作品がギャラリーに掛けられるとすぐになくなってしまうほどの人気でした。現在は、故郷で創作活動を続けているとのことです。
ゲーリー・ウェルティは、スケッチや写真の模写を行わずにアクリルボードに筆を滑らせる、という独自の描き方が特徴で、「天性の画家」として多くの人に愛されています。
山下 大五郎は、風景画を得意とする洋画家として知られています。
1908年に神奈川県藤沢市で生まれ、中学校在学中は萬鉄五郎宅に出入りして絵を学びます。その後は東京美術学校に通い、田辺至、林武から指導を受けました。
卒業後は帝展や文展に出品し、高い評価を得ます。戦時中には召集・抑留生活を経験しますが、戦後は牛島憲之、須田寿らと「立軌会」を結成し、独自の画風を追求しました。
また、1983年には長谷川仁記念賞を受賞し、1987年には画集が刊行されています。
山下は、信州・安曇野の山並みや田園風景を題材に、自然の美しさと人々の営みを繊細に描きました。特にアルプスの稜線と麓の広がる風景の対比を生かした構図は、清澄で透明感のある表現として高く評価されています。
彼の作品は、日本の原風景を愛情深く捉えた重要な芸術遺産といえるでしょう。
石川 茂男は1938年、神奈川県出身の洋画家です。日本各地の原風景を描いており、題名に特定の地名が記載されている作品を多く制作しております。60歳を過ぎてからは富士山を主題とする作品を多く手掛けました。
1958年に初出品した第一美術協会展で入選し、1964年には渡欧。帰国後に初個展を開催しました。
その後、東南アジアへ遊学し、東南アジアスケッチ展 第一美術協会委員に就任されました。1972年には同会を退会して無所属となり、個展を多数開催します。さらに東南アジアスケッチ展の開催や、NHKテレビ「民家の画家」出演など多岐にわたって活躍しました。
原風景を写実的に切り取ったその作風は、どこか懐かしく穏やかで、私たちの故郷の記憶をそっと呼び覚ましてくれます。柔らかな質感と細部にわたる繊細な表現が特徴で、彼の作品は日本の風景画の重要な一翼を担っています。