20世紀最後の印象派と呼ばれているリャドは、1944年にスペイン・カタルーニャ州のバダロナで生まれました。
1955年頃からバルセロナのアカデミーで絵を描き始め、その後はバルセロナのサン・ホルヘ高等学校で絵画を学び、在学中に多数の賞を受賞し19歳で助教授に任命されるなど、その経歴はそうそうたるものです。
1968年に自然の美しさにひかれ、マジョルカ島パルマにアトリエを設置します。 1977年には絵画学校「地中海自由学校」を創立。 1988年には、各分野で最も活躍した人物に贈られる「パーソナリティオブザイヤー」に選ばれました。この賞をスペイン画家が受賞したのはミロ・ダリに続き史上3人目の快挙でした。
1990年には日本で個展を行い、そこでリャド自身初のシルクスクリーン作品を発表しました。そうして右肩上がりに人気を高めていた1993年。病気により突然この世を去りました。47歳という若さでした。
リャドの作品は、絵の具を叩きつけるようにして飛沫を飛び散らせ、ダイナミックに見せる「スプラッシング」という手法が使われています。しかしながら荒々しさの中には精密さを兼ね備えており、離れて見ると穏やかな風景画に様変わりします。
スプラッシングの手法など荒々しさは原画でなければわからないもので、原画で感じる立体感は迫力があります。
著名な作家の原画といえば期間限定の原画展などでしか見れないイメージですが、リャドの作品は熱狂的な1ファンによって集められており、個人で開いた美術館(東京)で展示されています。
機会があれば是非訪れてみてください。
山口華楊は京都府中京区の出身です。
幼い頃から粘土や筆を使って動物を写すことを好み、明治45年に小学校を卒業後、岸竹堂や竹内栖鳳の弟子である西村五雲に入門しました。
病弱だった師・五雲の勧めにより、大正5年に京都市立絵画専門学校別科に入学し、同年の第10回文展に初入選を果たしました。その後、昭和2年および昭和3年には、2年連続で帝展において特選となるなど、官展系の展覧会で活躍しました。
山口は、師である五雲や栖鳳から受け継いだ円山・四条派の写生の伝統に、絵画専門学校で学んだ近代西洋画や革新的な日本画の知識を融合させ、新しい時代にふさわしい花鳥画を創出しました。そして、「黒豹」に代表されるような、近代的な構成を持つ独自の動物画を完成させました。
現代フランス画壇を代表し、日本と繋がりが深い画家としても知られている人気作家といえば、カシニョールでしょう。
1935年にパリに生まれたカシニョールは父親が高級衣服店を経営していたこともあってか、幼少期よりモデルの女性たちと過ごしていたそうです。そういった経験からカシニョールの作風を代表する優雅で艶美な女性をモチーフとした作品が生まれていったのではないでしょうか。
13歳の時にはドーヴィルの海岸で砂の芸術コンクールに参加して一等賞になるといった功績を残し、新聞で報じられたりしました。そういった功績から10代の頃には画壇で活躍するようになり、24歳の時にはフランスで毎年秋に開催されている「サロン・ドートンヌ」の会員に推挙されるほどでした。
来日経験も豊富で、女優の黒柳徹子には前述の砂の芸術コンクールのエピソードも笑いながら話したりしていたとのことです。また、1990年代にはボリジョイ・バレイ団の衣装と舞台装置の制作も手掛けるなど新しい分野にも挑戦しているカシニョールの作品は、とても人気の高いものとなっております。
丁紹光(ティンシャオカン)は中華人民共和国出身の画家であり、国際派現代中国絵画の大巨匠です。
1939年に中国陝西省に生まれた丁紹光は1962年に北京中央美術工芸学院を最高成績で卒業し、昆明雲南芸術学院にて教授を務めました。その後、中国政府より依頼を受けて北京人民大会堂に「麗しき神秘的西双版納」を制作しました。
その後アメリカに移住し1986年にはアメリカSEAGAL社と契約して本格的にシルクスクリーンの制作を始めていきます。1992年のクリスティーズオークションにて岩彩画が東洋作家史上最高価格で入札、さらに1993年には国連公認作家に任命されアメリカでの評価も非常に高い作家となっています。
丁紹光の作品は「女性」や「母子」を題材にしたものを想像される方が多いかと思います。直線が多く用いられることにより中国の古来からの作風を踏襲しつつ、華麗な色彩は「ティン・ブルー」と呼ばれ多くの人の心に安らぎを与えてくれます。
クリスチャン・ラッセンはアメリカのカリフォルニア州、海沿いの町であるメンドシーノ出身の画家です。
ラッセンが11歳の時にハワイ・マウイ島へ家族で移住し、1976年より作品を発表します。幼少のころハワイに移り住んだラッセンは海の魅力に魅せられ、海・イルカ・自然への愛情を膨らませました。
ラッセンの作風はハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフとして、南洋の自然観を鮮やかな色彩の画風で描き、「マリンアート」と称されます。その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得ました。特に日本ではバブル期に一世を風靡し、大きな知名度を持つ作家となりました。
1990年頃からは環境保護活動を行っており、作品の収益の一部を環境問題に投じるなど、自身の愛した自然への孝行的な一面も見られます。
三木翠山は大正時代から昭和時代にかけての京都の日本画家、版画家です。兵庫県加東市の出身で美人画家として名を馳せた三木翠山。竹内栖鳳に師事した後、「祇園会」や「鏡」、「維新の花」など華やかで気品のある作風により人気を博しました。大正2年文展で朝顔によって入選して以来、文展、帝展などで数々の賞を受賞した三木翠山は、京都風俗を取り上げた新版画 新選京都名所をシリーズで版行し、吉川観方とともに創作版画展なども行い版画家としての名声も手にしています。昭和7年の帝展から無鑑査になりました。昭和27年には渡米し美人画の個展を開き盛況を得ます。その後、昭和28年になりメトロポリタンミュージアムから終生名誉会員を贈られその地位を確固たるものとしました。代表作には嫁ぐ姉などもあります。