池田 満寿夫

池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。

1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ」ではないでしょうか。

文学の他にも彫刻や陶芸、映画監督などとマルチな才能を発揮しておりますが、その中でもやはり画家としての一面は、官能的な「池田芸術」が前面に押し出たものが多く、国際的にも親しまれています。

そんな池田満寿夫は数多くの作品を輩出しており、制作した版画は1000点余り、陶芸作品は3000点を超えるとみられています。版画は絵画作品の中でもかなり力を入れられており、木版やシルクスリーン、リトグラフなどを制作していますが、中でもドライポイント技法による銅版画は高い評価を得ております。

池田満寿夫の官能的な芸術世界は、深層意識を駆り立てるような不思議な魅力を感じられます。機会がございましたら、是非一度ご鑑賞ください。

バーナード・リーチ

バーナード・リーチはイギリス出身の芸術家です。
画家、陶芸家の他にデザイナーとしても知られています。

リーチは官僚であった父の影響で香港で産声をあげました。
幼少期を日本で過ごした事で日本に憧れを抱きます。その後ロンドン美術学校で高村光太郎と出会い、高村光雲を頼り来日。高村光雲の協力等を得て日本でエッチング教室を開きます。その生活の中で富本憲吉や柳宗悦、白樺創刊のメンバーと出会い交流を深めていきました。

一時期日本を離れ、香港等に滞在していたリーチでしたが、そういった縁もあり柳宗悦の民藝運動や日本民藝館の設立等に関わりました。

日本から帰国したリーチは英国イングランドのコーンウォールのセント・アイブスに新たに窯を開きます。東洋の文化と西洋の文化の融合を目指した新たな挑戦でした。
そういった活躍からリーチは英国ではスタジオ・ポタリーの父と言われています。
人気小説家の原田マハさんがリーチを題材とした小説を書くなど、国内でも人気の高い芸術家であります。

藤城 清治

藤城 清治は、日本を代表する影絵作家です。
影絵とは、動物や人物などに光を当てて、その影を投影したものの名称です。
影絵は日本だけでなく、あらゆる国で親しまれており、影絵芝居は世界的にもとても有名です。

元々絵を描くことが好きだった藤城清治は、大学在学中に影絵、人形劇と出合い、現在の『劇団 木馬座』を立ち上げました。
劇団木馬座は、当初『人形劇場ジュヌ・パントル』という名称でしたが、1952年に子供たちが親しみを持てるように『劇団 木馬座』と改名しております。

『劇団 木馬座』では、影絵、人形劇を使い、多くの名作を世に残しました。
1966年から日本テレビ系で放送されていた『木馬座アワー』では、名キャラクターであるケロヨンというカエルのキャラクターが誕生したことでも有名です。

そんな影絵作家である藤城清治の手掛ける作品は、日本のみならず、海外でも高い人気を誇り、現在でも美術品市場で高い評価を持っております。

栃木県那須郡には『藤城清治美術館』もあり、約150点以上の作品が展示されているとのことで、個人的にも行ってみたい美術館の一つです。

岩田 専太郎

岩田専太郎は長い挿絵の歴史の中でも長期間にわたって人気を持ち続けた挿絵画家です。
1901年に東京都に生まれた岩田専太郎ですが、印刷業を営んでいた岩田家はもともと徳川家の御家人であり、武家の商法であったことが影響して家計は傾いていた為、両親は妹と弟を連れて京都に戻りましたが専太郎は小学校卒業までは東京の叔母の下で暮らし、卒業と同時に親元へ帰りました。
京都では、京都の友禅図案や日本画家、印刷図案家の順に弟子入りをしていき、その傍らで菊池契月に日本画を学んでいました。
10代の後半には、東京都に戻り伊藤深水に師事して講談雑誌を発行する博文館の挿絵画家に採用され挿絵画家として本格的にデビューします。
以後、新聞や雑誌を舞台にして時代小説、現代小説、探偵小説などのあらゆるジャンルの挿絵を常に新鮮な感覚で描き、どんな小説家にも相応しい作品を次々に提供しました。
岩田専太郎の作風は浮世絵の伝統を基盤にしつつも、敏感に時代の流行をとらえて画風を変化させていき、大胆な遠近法や装飾的な画面構成、映画のアングルやクローズアップ等を新しい印刷技術を先どりしながら「和製ビアズレー」や「専太郎調」といった独自の作風を作り上げました。

ベルナール・シャロワ

透き通るような白い肌、画面の向こうからこちらを見つめる優しい眼差し。フランス人画家のベルナール・シャロワが描くパリジェンヌの微笑みは、世界中で多くの人々を魅了しています。

1931年にフランスの村に生まれ、第二次大戦後は技術学校に進学しました。1955年、パリで絵画の基礎技法を学んだ後、初期は政治家の肖像画を描くなどイラストレーターとして生計を立てます。可憐な女性像作品の人気が高まると共に世界中でその作品が販売されるようになり、間もなく日本でも個展が開催されました。

清潔感を持ち、裸婦像でさえ清楚を宿す作品たちは、部屋にも飾りやすく、今も高い人気を誇ります。また油彩画の他に、リトグラフ作品も数多く手掛けており、油彩画に比べ手軽に楽しめることからこちらも人気となっています。

 

安井 曾太郎

青い服を纏い肘掛け椅子に座る女性の姿。梅原龍三郎と並び昭和洋画壇の双璧を成した画家・安井曾太郎の代表作『金蓉』は、当時の写実主義絵画のまさに基準となるような作品でした。

安井は1888年、京都の商家に生まれます。親の反対を押し切り商業学校を中退し、画家を目指した安井は平清水亮太郎に洋画の基礎を学びました。その後は聖護院洋画研究所に入り、梅原龍三郎と共に浅井忠に学びます。
1907年、津田青楓について欧州へ渡ります。このときこれまでの作品を処分し、安井の初期作はほとんどが失われました。滞欧中はポスト印象派・セザンヌに強く影響を受けています。帰国翌年の第二回二科展では滞欧中の作品44点を発表し、一躍注目を集めました。
その後は二科展での発表を続けますが、『金蓉』を発表した翌年、帝国美術院の会員となり二科会を去ることとなります。1936年、有島生馬らと一水会を結成。安井は最期まで会員として籍を置きました。
戦時中には東京美術学校の教授を務め、1944年には帝室技芸員にも任ぜられています。戦後は日本美術家連盟の会長を務め、1952年には文化勲章を受章しています。

対象を細部まで観察し、破綻無く画面に収めた作品は、セザンヌの複雑な人体描写も取り入れられた非常に高度で写実的な作品となりました。梅原と並び、その作品たちは今日に至るまで、日本洋画史において重要な存在となっています。

梅原龍三郎 リトグラフ 「犬を抱く少女」

梅原 龍三郎

安井曾太郎と並び戦後日本の洋画壇を支えたのが洋画家・梅原龍三郎です。 梅原は1888年に京都に生まれました。中学校を中退し、伊藤快彦の画塾で洋画の基礎を学びました。その後聖護院洋画研究所、関西美術院と渡り、安井曽太郎と共 …

浜口 陽三

浜口陽三は和歌山県出身の版画家であり、銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者です。また、葉巻の愛好者としても知られております。妻である南桂子も版画家です。 1909年にヤマサ醤油の創業家である …

須田 剋太

須田剋太は埼玉県出身の力強く荒々しい作風が魅力的な洋画家です。 埼玉県の吹上町に生まれた須田剋太(本名勝太郎)は埼玉県立熊谷中学校を卒業後に東京の本郷にある川端画学校で学んだ後に東京美術学校の入学を試みましたが4回失敗し …

関根 伸夫

戦後日本の現代美術に大きな影響を与えた「もの派」。その中心的位置にいたのが現代芸術家・関根伸夫です。 1942年埼玉県大宮に生まれ、高校卒業後は多摩美術大学の油絵科に進学します。このとき指導をうけた現代美術家の斎藤義重に …

藤田 嗣治

日本を離れフランスで活躍した画家、藤田嗣治。晩年、フランスに帰化しレオナール・フジタとなった彼の人生は波乱万丈に満ちたものでした。 藤田は1886年、東京牛込の医者の家に生まれます。子供の頃からよく絵を描き、旧制中学卒業 …

鴨居 玲

孤独や不安といった人間の内面を画面に描き出す画家・鴨居玲。作風の模索を繰り返しながらようやくたどり着いたその画風は、鴨居自身の苦悩や不安が投影されたものでした。 鴨居は1928年、金沢に生まれたとされています。はっきりし …

小磯 良平

昭和の日本洋画界をけん引した画家、小磯良平。現地で学んだヨーロッパの伝統的な絵画技法に、自身の描写力や色彩感覚を調和させた、モダンで気品のある画風が特徴となっています。 小磯は1903年、神戸の旧家に生まれました。外国人 …

奈良 美智

現代日本アートを代表する人物となっている奈良美智。その名は日本のみならず海外でも広く知られています。 奈良は1959年、青森県弘前市に生まれました。地元の高校を卒業後は武蔵野美術大学を経て、愛知県立芸術大学にて大学院まで …

香月 泰男

香月泰男は山口県出身の洋画家です。 故郷・山口を愛し、「ここが<私の>地球だ」と語った彼は、自身の悲惨な体験を元に、人間愛と平和をテーマとした作品を描き続けました。 1911年、山口県三隈村(現・長門市)に生まれ、地元の …

荻須 高徳

「最もフランス的な日本人」。当時のパリ市長で、のちに大統領となるジャック・シラクは、彼のことをこのように評しました。 荻須高徳はその生涯の大部分を、フランスでの制作活動に捧げ、今もフランスの地で眠る洋画家です。 1901 …

歌川 広重

葛飾北斎と並ぶ江戸の有名浮世絵師・歌川広重。『東海道五十三次』に代表する数多くの作品は江戸庶民から現代に至るまで、多くの人々の心を掴みました。 広重は元々は江戸の定火消に所属する家系でしたが、幼いころから絵に対する興味を …

小山 敬三

残雪を頂き陽光に照らされる浅間山。時には日没間近の夕日に輝き、時には力強く噴煙を上げる。そんな四季折々の浅間山の表情を描いたのが、長野県小諸市の洋画家・小山敬三です。 敬三は1897年、長野県の小諸町(現・小諸市)に生ま …

葛飾 北斎

『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』、彼方に見える富士を背景に、そびえ立ち崩れ落ちようとする大波と、必死に耐える小舟の姿。 浮世絵界で最も著名な人物であり、世界的にも有名な浮世絵師・葛飾北斎によって描かれたその作品は、日本文化 …

歌川 国芳

奇想天外な作品の数々が現代でも人気な歌川国芳。 多岐にわたる奇抜なテーマと迫力ある画面構成は、江戸庶民からも人気を得ており、多くの作品が現代に受け継がれています。 国芳は1748年に江戸日本橋で生まれました。幼いころから …

河鍋 暁斎

狩野派絵師でありながら多くの浮世絵も描いた絵師・河鍋暁斎。幕末から明治へと向かう動乱の時代の中で、実力を発揮し、高い評価を得た人気絵師です。 暁斎は1831年に下総(現在の茨城)で生まれました。翌年は家族で江戸に移り、以 …

橋本 明治

橋本明治は、島根県出身の日本画家です。 明治37年に生まれ、幼少期に祖父の影響を大きく受けて、絵画の道を進みます。 中学校を卒業した翌年の4月に上京。東京美術学校日本画科に入学しました。同期には、明治と共に日本画家の大御 …

棟方 志功

棟方志功は日本を代表する版画家です。 「板画」と称した志功の版画は、その独特な作風から現在でも高い人気を誇っています。また「倭画」と称した肉筆画も、同様に人気の高いものとなっています。 志功は1903年、青森の刀鍛冶職人 …

加山 又造

加山又造は、京都出身の日本画家です。 西陣の衣装図案師を父に持ち、祖父は京都四條派、円山派に学んだ絵師の下で生まれ育ちました。父は弟子を抱えて工房を営んでいたこともあり、幼いころから父や弟子の方たちの仕事を見ていたことと …