岡部嶺男は陶芸家・加藤唐九郎の息子として生まれ、現代的な感覚で作られた青瓷や織部の優れた作品をのこした作家です。
若き頃から父に続き陶芸を学び、1952年の第8回日展にて志野の壺で初入選を果たします。2年後の第10回日展では北斗賞を、また1958年の日本伝統工芸展で奨励賞を受賞するなどその実力は着実に高まっていました。
1960年、いわゆる「永仁の壷事件」が発生。父・唐九郎と嶺男は双方が自作の壷であるとして世間の注目を集めました。
その後嶺男は妻の旧姓である岡部に改名します。
また所属していた日本工芸会を脱退、作品発表の場は個展へと移しました。
永仁の壷事件は当時の美術界の一大スキャンダルとなってしまいましたが、その作陶技術はたしかなもので、織部や黄瀬戸、志野などの優れた作品を数多く制作しています。
茶道の話になると歴史の教科書にも出てくる千利休はみなさんご存じかと思います。その利休を祖とする千家流茶道の本家(表千家)の十三代目を受け継いだのが即中斎です。
利休が作り出した茶道は400年という長い歴史の中で根幹は変わらずとも時代にあわせ多様に変化していきました。その中で即中斎は表千家を「社団法人 表千家同門会」として組織化し、海外に日本の茶道を広める支部を設置するなど、今世のグローバル化の波に合わせ茶道を世界に認知されるきっかけを作りました。
即中斎が作った表千家同門会の役割は、伝統の継承と茶道の普及が主な目的です。
なので表千家同門会の人たちが茶道具を制作しているかというとそうではなく、茶道の普及に力を入れている団体という捉え方がいいかもしれません(書物などの作品を残している方は多くいらっしゃいます)。
即中斎の本人作というのは数が少なく、実際は即中斎がお墨付きをした作品を見かける機会が多くなります。
即中斎に限らず、茶道の家元のお墨付きをもらった作品は価値の高いものとして評価されます。
家元お墨付きの作品には花押という書判が入っており、この花押というのは、家元それぞれが複数持っております。花押が入っている作品は、その家元が認めた作品という証明付きのものとなります。
三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。
三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続いておりますが、400年の道のりの中で一度衰退したといわれるまでに落ち込んだことがあります。
そこから再度萩焼を盛り立てたのは、十代目休雪と十一代目休雪でした。その最大の功績は「休雪白」と呼ばれる純白に近い萩焼です。白萩釉を使用することで作り出す白は、まさに春の雪解けを感じさせる温かみのある仕上がりとなっています。
後に十代目と十一代目の休雪は人間国宝にも指定され、当代の十三代目休雪にも休雪白は引き継がれ、白萩釉を使用し「休雪白」が作り出す渾身の純白、ダイナミックな造形美と、使い込むことで顔を変える「七化け」と呼ばれる萩焼の特徴を生かした作品が数多く輩出されるようになってきました。
塚本快示は岐阜県土岐市に生まれ、実家が累代製陶を営んでいた。そのため、幼少の頃より作陶姿を目にしており、自然とその世界を目指す志を持ち始めたと言われている。
1927年頃より父の手伝いで作陶を開始する。1950年に小山冨士夫を知り、以後指導を受ける。中国北宋時代の白磁や青白磁の研究を始める。
1961年には、 第10回日本伝統工芸展に初入選を果たし、陶芸界で大きな存在となる。その後、カリフォルニア博覧会で金賞を受賞、第12回日本伝統工芸展日本工芸会会長賞の受賞、岐阜県重要無形文化財「青白磁」保持者に認定、人間国宝に認定されるなど輝かしい経歴を重ねる。本人亡き後、2007年現在、長男である塚本満が引き継いでいる。
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須田祥豊は1885年京都府生まれの陶芸作家である。須田祥豊は家業である製陶業に従事し、明治時代末期には祥雲と称し、茶陶制作を始めるようになる。後に五条坂に窯を築くと、国焼、朝鮮の写しを中心に作陶を行うようになる。朝鮮、唐津、仁清、高取、青井戸、京焼き、瀬戸、伊羅保、三島、光悦、信楽、安南、三島など様々な写しを得意とした作家で、数々の端正な作品を残した。幅広い作域は現在の作家の中ではなかなか見られる事がないため、幻の名工として知られている。制作された茶器は、重すぎず、軽すぎず、大きすぎず、小さすぎない絶妙なサイズ感が茶人達からの評価が高く愛され続けている。須田祥豊が1974年に逝去してからは2代目が須田祥豊を継ぐも、作陶は行われておらず、須田祥豊の名はまさに幻となっている。
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真清水蔵六は初代から4代続く京焼の陶工である。現在は4代目真清水蔵六が家業を継いでいる。初代真清水蔵六は、江戸末期から明治の京都の陶工である。山城国(京都府)に生まれ、清水太三郎(たさぶろう)と称した。13歳のとき、陶法を和気亀亭(わけきてい)に学び、16歳で青磁を焼き、注目を集めた。当時の陶業界の時流にのって中国、朝鮮、ベトナムなどの東洋古陶磁の陶技を習得し、1843年に京都五条坂に開窯して真清水蔵六と改めた。中国,朝鮮の古陶を学び,特に青磁の分野において秀でた才能を発揮した。「青磁の蔵六」とも呼ばれ、京都五条坂において青磁を制作する陶工の先駆けとして活躍した。
明治には外国博覧会にも出品,色絵・金襴手・青磁・染付等を作り,茶器を得意とした。茶道具買取で注目される作家のひとりである。
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