中川清司は京都府出身の木工芸にて2001年に国の重要無形文化財に認定された木工芸家です。
釘などの接続金具を使用しないことで有名な京都の指桶物師の家庭に生まれた中川清司は三重県立松阪高等学校を卒業した後に父の中川亀一に師事し、10年間修業をしました。1972年に日本工芸展に入選を果たし、その翌年からは日本工芸会近畿支部展を2年連続で受賞しました。1974年から1986年まで竹内碧外に師事しながら作品を制作し、日本工芸展近畿支部展などで賞を受賞する実績を残しました。1988年には第3回伝統工芸木竹展にて毎日新聞社賞を受賞するなどの実績を残したことから2001年に「木工芸」にて国の重要無形文化財に認定されました。
中川清司の作品は主に京都の老舗料理店で使われており、「柾合わせ」という技法を考案し、美しい作品を作り上げております。「柾合わせ」とは柾目に沿って一定角度で木を削り合わせていくことで木材の収縮をコントロールし木の割れや狂いを防ぎ、美しい木目が表れていきます。また、取引先の京の老舗は良い木を使っているということにステータスを持っている為、中川清司は木へもこだわりを持っており、徳川幕府の御用林であった木曽の檜、椹、槇、杉は吉野杉を使っており、最高の木材を最高の作品に仕上げております。
中川衛は加賀象嵌に新しいスタイルを生み出し、話題となった金工師です。「彫金」にて国の重要無形文化財にも認定されております。
中川は1947年、石川県金沢市に生まれます。金沢美術工芸大学産業美術学科を卒業した後、大阪の松下電工に入社しました。27歳で金沢に帰郷しますが、石川県立美術館の展覧会で観た加賀象嵌に中川は心を打たれます。その後は彫金家・高橋介州に入門し、金工師として歩み始めました。
「象嵌」は金属や陶磁器などの素体に模様を刻み込み、そこに金や銀をはじめとした材料を嵌め込み、装飾を施す技法です。「加賀象嵌」は金属象嵌の技法の一つであり、華麗で洗練された文様が特徴です。
加賀象嵌の代名詞として「鎧」があり、デザインの豪華さや斬新さに加え技の入念さから絶対に外れないという点でも評価されました。
中川衛の技法は加賀象嵌の伝統を重んじ、主に鉄、赤銅、朧銀などでできた金工品の表面に金や銀などの金属を嵌入して装飾模様を表すものです。技術的に難しい重象嵌(鎧象嵌)等の現代的な感覚によるその作品には魅了される人が多くいらっしゃることでしょう。
桂盛仁は2008年に「彫金」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
江戸時代初期より続いている彫金の一派である柳川派の流れを汲み、煙草入れなどの装身具で明治~昭和期にかけて人気を博した桂光春や二代豊川光長を輩出した装剣金工の流派の内の一派であり、叔父である桂光春を継いだのが桂盛行でした。その桂盛行の息子として生まれた桂盛仁は、父である盛行のもとで修業をし、1968年に武蔵野美術短期大学を卒業後には第11回伝統工芸新作展、第1回日本金工展、第18回日本伝統工芸展に入選を果たし、その後は数々の賞を受賞する功績を残します。1995年には第25回伝統工芸日本金工展にて文化庁長官賞を受賞し、2008年には「彫金」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
桂盛仁は四分一といった銅3、銀1という配合の合金を使用した作品作りを得意としております。この四分一という合金は硬い上に熱に弱い為、細かな表現をするのは非常に難しいといわれており、この卓越した技術を持った桂盛仁の作る作品は人々を魅了していくことでしょう。
鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人物である原清は2005年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されたの陶芸家です。
1936年に島根県斐川という現在の出雲市に生まれました。少年時代を過ごした出雲という土地は江戸時代より北前船の寄港地となっており、有田焼や唐津焼の陶器が渡ってくるところでありました。原清が学校からの登下校中に拾った古い染付の陶器に魅了されたことがきっかけとなって、陶芸の道を志すようになり、1955年に後の人間国宝となる石黒宗麿、清水卯一に陶芸を学ぶようになります。その後は、1958年に日本伝統工芸展に初入選後の1965年に東京の世田谷区に窯を築いて独立を果たし第16回日本伝統工芸展にて日本工芸会会長賞を受賞し、鈞窯の技法にて評価を高めていきます。その後は埼玉県に窯を移し、鉄釉の技法の研究を進めていき、この鉄釉技法によって原清は陶芸家としての知名度を大きくしていくことになり、人間国宝として認定されました。
原清の作品は黒色と褐色の二種類の鉄釉を使った美しい色合いが特徴的で、草原を悠々と駆ける馬や風に揺らぐ草や花などを題材とした身近な世界をこの二色の鉄釉を使って絶妙に表しているその作品は非常に魅力的です。また、石黒宗麿→清水卯一→原清の三代にわたって人間国宝に認定されており、この系譜は他には成し得ない凄さがあることはもちろんですが、代が下がることに認定されるのは難しくなりますので原清の凄さがここでも伺えます。
中野孝一は「蒔絵」にて国の重要無形文化財に認定された漆芸家で、特に高蒔絵を得意とされております。
高蒔絵とは漆を何度も塗っては乾かしての作業を繰りかえすことで模様を作っていく技法で、塗り重ねる時に漆の厚さを変えたり、研ぎ具合を変えることで文様などを立体的に見せることができます。
中野孝一は変わり塗を独自に応用した蒔絵や研出し蒔絵、螺鈿や平文、卵殻などを駆使した様々な表現を得意とされており、作品のモチーフは栗鼠(リス)やうさぎなどの可憐な小動物を用いることが多く、躍動感に満ちた姿を生き生きと表して軽妙な独自の作風を表していることから高い評価を得ております。
また、中野孝一の木地作りから下地作りや蒔絵などの工程を一貫して自身で行っていることで漆芸の風合いを大事にされており、漆の持つ黒を引き立たせるために蒔絵には金粉を使うといったこだわりを持っております。
中野孝一は作品を作る上で毎日の積み重ねが重要であると考えており、基本の積み重ねで初めてその人の独創性や個性が発揮されると考え、人から見えない部分への誠実さを踏まえた上で毎日コツコツと作品を制作することで良い作品が出来上がると考えております。
増村紀一郎は2008年に「髹漆 」にて国の重要無形文化財に認定された東京都出身の漆芸家です。
「髹漆 」とは昔からある漆芸の技法であり、素地の材料を選ぶことから始まり、下地工程を経て、上塗・仕上げ工程に至る幅広い領域にわたり、漆芸の根幹をなす重要な技法であり、素地の材料には木材、竹、布、和紙、革等さまざまあり、髹漆(きゅうしつ)は素地を選ばず、各材質の特色を生かした作品作りが可能です。麻を漆で塗り何枚も重ねて風合いを出す乾漆という技法がありますが、増村紀一郎の作品はそれだけにとどまらず、中には動物の皮に漆を塗った「漆皮」という技法もあります。この漆皮という技法は平安時代以前より確立されていた技法であるといわれており、木材の加工技術の向上により廃れてしまったのではないかといわれております。
このような技法を駆使して増村紀一郎はあらゆるものを漆工芸品と変化させており、その作品は多くの人々を魅了しているに違いないでしょう。