清水 六兵衛(しみず ろくべい)は、江戸時代中期以来の清水焼の陶工です。
京都五条坂の陶芸の家系であり、当代・清水六兵衛は八代目となります。
初代 (1738~1799) は京都五条坂の窯元・海老屋清兵衛に学んだあと、独立して五条坂に窯を開きます。そこから六兵衛を名乗りはじめました。茶器、煎茶器をはじめ置物や文房具なども製作し、野趣に富む六兵衛風として独自の京焼を体現しました。
二代以降は初代の築いた土台から、中国や日本の諸陶の写し、染付、赤絵、青磁など様々な焼物を制作しました。中でも六代・清水六兵衛は、新しい焼成法「玄窯」や新釉「銹泑 (しゅうよう) 」を開発するなど創作陶芸に新風を吹き込み、芸術性を高めるとともに清水六兵衛の名を広く知らしめました。
伝統的な京焼の作風を生かしつつ、食器から花器、インテリア、茶陶など様々な作品を製作し、当代に至るまで常に新しいものを生み出し続けています。
江戸時代初期の1625年、南部藩(盛岡藩)御用鋳物師として創始し、現在までその技術を脈々と受け継ぐ鈴木盛久工房。長年守り続けた伝統技能は、現在非常に高い評価を受けています。
御用鋳物師を勤めていた頃は仏具や梵鐘、燈籠の鋳造を主としていました。藩の御用鋳物師は他に3家しかなく、南部鉄器の歴史を作ったのは鈴木氏を含めた4家となっています。明治の廃藩置県で南部藩が解体されると、南部鉄器も一時は苦境に立たされました。しかし、全国にその技術の高さが広まったことでその勢いを取り戻しています。鈴木家は明治以後、「盛久」の名で制作を行うようになりました。
その後戦争に突入し、鉄製品には大きく規制がかかります。多くの職人が廃業する中、鈴木家は戦争を乗り越えた数少ない南部鋳物師となりました。
13代盛久である鈴木繁吉の時代には、その伝統技能が国による「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」(いわゆる選択無形文化財)に選出されています。
現在は14代貫爾の長女、熊谷̪志衣子氏が15代目として活動されています。
子ども時代に惚れこんだ古代の土器を元に作陶を行う陶芸家・肥沼美智雄。唐草紋を配した置物や角張った花器などで確立された独自の作風は、その造形の巧みさから人気を得ています。
肥沼は1936年、東京の青梅で生まれました。小学校時代、担任の教師に連れられ参加した遺跡の発掘が、その後の肥沼に大きな影響を与えました。大学進学後もこの時の体験が忘れられず、自身の手で作品を作りたいとの思いから大学を中退、陶芸家へ転身しました。
1970年には栃木県の益子に窯を築いて独立を果たし、その後は北関東美術展で優秀賞を獲得、都心での個展開催などを重ねその知名度を高めていきました。
現在は茶器やぐい呑み、花入れ、オブジェなど様々なタイプの作品をその独特な作風で制作しています。
ジャパン・クタニという呼び名で世界中より評価され、有名な陶芸として知られている九谷焼。
九谷焼は約360年の伝統や多くの技法が多くの人々を魅了しております。
そんな九谷焼の作家として有名な方の一人はなんといっても三ツ井為吉の名があげられるでしょう。
三ツ井為吉の作風は緑・赤・紺・紫・黄色といった五色の色を使った古九谷以来の伝統的な図柄が特徴的で、素地にも強いこだわりを持つ三ツ井為吉の作品はすべて手作りのものを使用しております。
絵付けもすべて手描きといったこだわりももっており、その丁寧に描かれる花鳥と小紋の組み合わせにより完成するその作品は誰しもが最も九谷らしいと高い評価を得ております。
当代は三代目は、2002年にアメリカのスミソニアン・サックラー美術館にて個展を開催するなどの精力的な活動をしており、その人気は国内のみならず海外でも高いものとなっております。
三ツ井為吉の作品は九谷焼の魅力である五彩を基にした重厚感のある色彩を存分に味わえることは間違いないでしょう。
中川浄益(1559~2008年)は、金物、金工品を得意とした千家十職(金物師)の一人です。
初代である紹益は、当初、武具や鎧などの製作をしていたが、千利休の依頼をきっかけに茶道具製品の製作を開始したと言われております。
二代目以降は、千家十職にも選ばれ、現在の号である『浄益』となりました。
浄益家は、直近の十一代になるまでに、表千家の出入りを禁じられる(六代目)など数々の苦難がありましたが、乗り越えて現在まで至ります。
中川浄益は、茶道具製品を中心に香道具や置物など、あらゆる分野の作品を製作、多くの名品を世に残しました。
中川浄益の作品は、現在でも国内のみならず、国内外にも多くのコレクターが存在し、市場でも高い人気を誇ります。
緑和堂では、中川浄益の作品を強化買取中です。
茶道具製品はもちろん、あらゆる分野の作品の買取にご対応しております。
ご売却をご検討中の際は、是非お気軽にお声かけくださいませ。
備前焼にて人間国宝に認定されていないものの、近年、人気が高まってきている原田拾六という陶芸家をご存知でしょうか。
岡山県の備前市に生まれた原田拾六は東京農業大学を卒業してから普通の会社員として働いておりました。
ですが、ギャラリーなどで陶芸の作品を見かけているうちに改めて故郷である備前の焼き物を認めるようになり、1971年に小六窯を築窯し作陶を始めていきます。
その後は桂又三郎に師事し、古備前の研究をしておりますが桂又三郎から「末恐ろしい鬼才」と言わしめるほどの腕前でした。
師からそれほどまで言わしめるということはもともとの才能のみならず、努力されていた結果ではないでしょうか。
原田拾六の作品は古来の備前焼の特徴を活かした独創的で豪快なものとなっております。さすがは師の桂又三郎から「鬼才」と言わしめるほどです。
備前焼はシンプルな造形が多いのですが、原田拾六の作品は創造性のある作品が多いです。
その作品はアメリカ ニューオーリンズのメトロポリタン美術館やニューオリンズのミュージアム・オブ・アートにも収蔵されており、国内のみならず海外からも人気の高い作家となっております。